全国再統一を目前に宦官に殺された憲宗皇帝の後、無能な遊び人穆宗皇帝が即位して再び河北三鎮を失ってしまいます。そして低能の敬宗皇帝を経て、生真面目な文宗皇帝が宦官達に擁立されます。しかし彼は宦官達が嫌いでした。そのため宋申錫や李訓・鄭注などを用いて宦官を排除しようとしますが、優柔不断な為に失敗し、かえって宦官達が専権をふるうようになります。
唐史資料集の穆宗敬宗文宗方鎭表[長慶.寶暦.大和.開成]をご覧ください。長慶元年から開成五年までの推移です。
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◎.異動した方鎭をセットにしています。
◎.黒字は新旧唐書・資治通鑑に記載された項目
赤字は刺史考や全唐文・冊府元亀などから追加した内容です。
◎.使相は 赤字の 相+□ マークをつけています。
赤字内容についてはさらに追加する予定です。
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