唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

貞元三年 西暦787年 1

2020-03-20 10:00:55 | Weblog
正月壬寅,張延賞が再度宰相となる。
 延賞は李晟との不和により解任されたとはいえ德宗の信任は厚かった。
 そのため心配した韓滉が両者を調停し、表面上和解させが、延賞には含
 むところがあった。

正月壬子,宰相劉滋・齊映を解任。柳渾を補充した。
 延賞が邪魔な先任宰相を排除した。渾は韓滉の推薦。

二月戊寅,韓滉が薨。
 乱時、唐朝を財政的に支え、巨大な権限を持っていた滉が卒した。滉の
 権限は分割され、政治は延賞が主役となった。

二月己卯,華州潼關節度使駱元光克鹽、夏二州。
 吐蕃は二州を取ったものの補給ができず放棄した。
 それを回収しただけである。

三月丁未,李晟為太尉。辛亥,馬燧罷副元帥。
 德宗は回紇に昔年の恨み[太子時代に回紇に臣下の儀礼を強いられ、側近
 を殺された]があり、回紇と対抗するため吐蕃と結ぼうとした。延賞や馬
 燧はそれを支持し、李晟や韓滉・柳渾は吐蕃は信用できないと反対した。
 ところが滉の死により、延賞の勢力が強くなり、晟の兵権を解いて、名誉
 職の太尉に祭り上げた。晟に対するこの德宗の処置に、劉玄佐や李抱眞な
 どの軍人達は大きな不信を抱いた。

吐蕃の宰相尚結贊は、講和を提案し、副元帥渾瑊を唐朝の代表に求めた。

五月、反唐朝姿勢の淮西呉少誠に対する陰謀があったが鎮圧された。

閏五月己未,韋皋復東蠻和義王苴那時書,使雲南。
 西川韋皐は対吐蕃策のため、雲南蠻と結ぼうと画策していた。

閏五月庚申,大省州、縣官員,收其祿以給戰士。
 延賞は財政再建のため、地方官の大幅整理を開始した。戦乱の功績に
 より与えられた官職を召し上げられた官員が大きな憤懣を持った。

そして淸水で唐と吐蕃の會盟が行われることとなった。

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