楊師道。字は字景猷。
隋皇族で恭仁の弟。
隋末に王世充下より唐に帰属。
上儀同・備身左右となる。
名族出身のため桂陽公主を妻とし,吏部侍郎
太常卿・封安郡公に昇進する。
侍中として宰相となるが、謹慎であった。
草隸の書に長けていた。
十三年中書令に転じた。
太子承乾の事件では無罪ではあったが、連座する家族
を庇ったとされて宰相を解かれ吏部尚書となる。
人事任用においては慎重で事を起こさない姿勢であった。
高麗遠征時は,攝中書令として従うが有能ではなかったようで
工部尚書に貶され、やがて太常卿に移る。
隋皇族であることから疑惑を受けないように常に慎重に
行動していたようである。
二十一年に卒し贈吏部尚書并州都督
子の豫之が嗣ぎ、巢剌王の女壽春縣主を妻とする。
[宰相履歴]
①貞観10年6月侍中參豫朝政~13年11月中書令~17年4月罷
②19年3月摂中書令~19年11月貶
隋皇族で恭仁の弟。
隋末に王世充下より唐に帰属。
上儀同・備身左右となる。
名族出身のため桂陽公主を妻とし,吏部侍郎
太常卿・封安郡公に昇進する。
侍中として宰相となるが、謹慎であった。
草隸の書に長けていた。
十三年中書令に転じた。
太子承乾の事件では無罪ではあったが、連座する家族
を庇ったとされて宰相を解かれ吏部尚書となる。
人事任用においては慎重で事を起こさない姿勢であった。
高麗遠征時は,攝中書令として従うが有能ではなかったようで
工部尚書に貶され、やがて太常卿に移る。
隋皇族であることから疑惑を受けないように常に慎重に
行動していたようである。
二十一年に卒し贈吏部尚書并州都督
子の豫之が嗣ぎ、巢剌王の女壽春縣主を妻とする。
[宰相履歴]
①貞観10年6月侍中參豫朝政~13年11月中書令~17年4月罷
②19年3月摂中書令~19年11月貶
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