唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

河北の軍閥 その6 建中-興元の乱3 涇原の乱

2018-07-22 18:11:44 | Weblog
驍將淮西李希烈は汝州を落とし、荊南や鄂岳など南部にも侵攻しますが。主攻は経済の中心地汴州を目指します。
唐朝は哥舒曜[翰の子]を東都汝行營節度使として防戦しますが戦況は極めて不利です。
淄青李納には宣武劉洽が専念します。こちらは膠着です。
幽州朱滔は回紇など塞外の蕃族を味方に付け、朔方李懷光・神策李晟・河東馬燧・昭義李抱眞・義武張孝忠を圧迫します。
全般的に反乱軍優勢という状況になってきました。

唐朝は状況打開のために皇子舒王謨を荊襄行營元帥として、李希烈を制圧することをねらい、關内の諸軍を総動員し、吐蕃の応援をも求めます。
しかし偏狭な德宗皇帝は財政難もあり、動員した諸軍の待遇をケチります。
建中4年10月、動員された諸軍のうち姚令言に率いられた涇原節度軍が冷遇に激怒して反乱し京師に乱入し、德宗は奉天城に逃亡します。德宗の吝嗇が招いた結果でした。
京師を占拠はしたものの姚令言は叛意はなく、また総帥となる器量もありません。そこで弟滔の反乱の巻き添えで兵権を奪われていた朱泚を擁立することにしました。
唐朝はこのあと滅亡の危機に瀕します。
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