唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

長慶三年 西暦822年

2020-07-04 10:00:26 | Weblog
長慶三年 西暦822年
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三月壬戌,御史中丞牛僧孺為戸部侍郎、同中書門下平章事。
逢吉についで僧孺と牛派の全盛です。

四月甲午,陸州獠反。七月丙寅,黃洞蠻陷欽州。
嶺南地方で獠が蜂起しました。地方官による収奪に我慢できなくなったためでしょう。

四月、工部尚書鄭權,家多姬妾,祿薄不能贍,因注通于守澄以求節鎮。己酉,以權為嶺南節度使。
腐敗していくのは宦官のせいだけではありません。官僚達も地方官は収奪としか思わず赴任するのです。權は妾が多いので生活が苦しいと宦官に贈賄し、実入りの多い嶺南節度使を求めたのです。

長慶四年 西暦823年
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長慶四年正月辛未,以皇太子權句當軍國政事。壬申,皇帝崩于清思殿,年三十。
丙子,皇太子即皇帝[敬宗]位於太極殿。
ずっと病であった穆宗が亡くなりました。宰相は敬宗が幼少のため郭皇太后の称制を求めましたが、郭氏は則天の例を指摘して断りました。

二月丁未,擊鞠于中和殿。戊申,擊鞠於飛龍院。己酉,擊鞠,用樂。
穆宗の喪中であるのに馬鹿息子敬宗は遊びに夢中です。

三月上視朝每晏,戊辰,日絕高尚未坐,百官班于紫宸門外,老病者幾至僵踣。
怠惰な敬宗は朝廷に出て来ません。群臣は待ちくたびれて不満を噴出させています。

四月丙申,梁坊匠張韶反,幸左神策軍,韶伏誅。
韶は宮廷染坊の職人です。占師蘇源明から「お前と俺は殿上で会食すると占いに出ている」と言われ、仲間百人とともに武装して宮廷に突入しました。「あの馬鹿でも皇帝なら俺でも」と思ったのでしょう、突入は成功し韶と源明は殿上で会食しましたが、計画はそこまでで、態勢を立て直した親軍に誅殺されました。敬宗は逃げ惑うばかりでした。

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