唐史話三眛

唐朝順宗・憲宗→宣宗→德宗時代の流れを、私見を付け加えて
記述していきます。ご異見があればよろしく。

楊子琳/楊猷伝

2019-03-23 10:27:31 | Weblog
体制には入りきれなかった驍将、実力は相当あったようだ。

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楊子琳/楊猷伝
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新旧唐書に伝はない。

永泰元年十一月.赴任してきた剣南節度使郭英乂が、地元の将崔寧に敗北し殺された時、
瀘州牙將として蜂起し、寧と戦った。

二年八月.副元帥として乱を治めに来た宰相杜鴻漸は、寧等を討伐する力は無く、寧や子琳を慰撫して
表面を糊塗した。子琳は瀘州刺史となった。

大暦三年四月.西川節度使崔寧が入京している留守をついて、子琳は成都に突入し陥した。

留守崔寬は子琳と戦うが勝てなかった。
七月寧の妾任氏が兵を率いて子琳を破った。

四年二月瀘州に拠った子琳は揚子江を下り、涪州守捉使王守仙を破り、夔州別駕張忠を殺し夔州を取った。荊南節度使衛伯玉はこれを配下にしようとした。
客の劉昌裔は唐朝に帰順を薦めた。代宗皇帝は子琳を峽州團練使とした。

大暦五年四月.湖南兵馬使臧玠が觀察使崔灌を殺し、澧州刺史子琳は討つが、賄賂を取って帰還した。

六年四月.入朝し.賜名猷.

九年正月.澧朗鎮遏使.勝手に澧州より揚子江を下り鄂州に至った。
入朝命令を受けてまた遡上し復州、郢州を脅かした。
山南東道節度使梁崇義はあわてて防衛にあたった。

三月.洮州刺史隴右節度兵馬使に任ぜられ、対吐蕃防衛にあたることになった。

五月.入朝した。以降は不明である。
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