唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

天復三年~天祐元年 西暦903~4年

2020-09-01 10:00:55 | Weblog
天復三年 その2 西暦903年
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三月,朱全忠陷青州。楊行密陷密州。
新唐書はこの辺はでたらめで、実際は「朱全忠攻青州。楊行密軍密州に入る。」
全忠は師範を攻めます。単独ではどうにもならない師範は淮南楊行密の支援を求めます。

五月壬子,荊南節度使成汭及楊行密戰於君山,死之。武貞軍節度使雷彥威之弟彥恭陷江陵。
全忠に従う江西杜洪は楊行密に圧迫されています。全忠は荊南成汭に洪をたすけるように依頼し、汭は主力軍を東下させます。その隙を朗州雷彥威につかれて江陵[荊南の使府]を寇掠されてしまいます。汭の麾下は動揺して潰乱し、行密軍に大破されて汭は敗死しました。

六月乙亥,朱全忠陷登州。辛亥,朱全忠陷棣州,陷密州。
戊午,平盧軍節度使王師範叛附于全忠。
全忠の猛攻により師範は降ります。行密軍も撤収します。この戦闘中に全忠の嗣子友寧が戦死してしまいました。

十月,忠義軍將趙匡明陷江陵,自稱留後。王建陷忠、萬、施三州。甲戌,陷夔州。
成汭の死後、領域は山東趙匡凝と劍南王建が分け取りしました。雷彥威は蕃族あがりの水賊なので寇掠はしますが維持でできません。

十月丁丑,平盧軍將劉鄩以兗州叛附于朱全忠。
勇戦していた王師範麾下の鄩が主命により降りました。

十二月丙申,朱全忠殺尚書左僕射致仕張濬。
濬は全忠の対唐朝政策の指南役でしたが、簒奪をねらう全忠には邪魔になったようです。


天復四年/天祐元年 その1 西暦904年
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正月乙巳,宰相崔胤罷。
全忠派の胤でしたが、禁軍を再建しようとして募兵したことで全忠の疑惑を招きました。それに胤はあくまで唐朝の継続を望んでいましたので全忠との路線の違いがでてきたのでしょう。

正月戊午,全忠遷唐都於洛陽。
閏四月甲辰,至自西都。
全忠は、茂貞等の勢力圏に近い京師長安から、自分の勢力圏内の東都洛陽に昭宗を遷すことにしました。

閏四月乙巳,大赦,改元「天祐」
唐朝最後の改元です。

八月壬寅,全忠以左右龍武統軍朱友恭、氏叔琮、樞密使蔣玄暉兵犯宮門;是夕,皇帝崩,年三十八。
全忠は簒奪の邪魔になる昭宗を殺害させました。幼少の輝王を擁立します。