路傍の露草 ~徒然なる儘、読書日記。時々、映画。~

“夏の朝の野に咲く、清廉な縹色の小花”
そう言うに値する小説や映画等の作品評。
及び生活の単なる備忘録。

松本清張『潜在光景』

2007年07月14日 | Book[小説]
松本清張『潜在光景』
角川文庫
平成16年10月25日 初版発行

【裏表紙より】
二十年ぶりに再会した泰子に溺れていく私は、同時に彼女の幼い息子の不信な目に怯えていた―「潜在光景」
借金苦で自殺した社長はなぜ八十通もの遺書を残していたのか―「八十通の遺書」
わが子をさりげなく殺そうとする父親。が、息子はそれを察知していた―「鬼畜」
日常のちょっとした躓きがその後の運命を大きく変えた世にも怖ろしい六つの結末。

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昭和(そして、平成まで生きた)の文豪、松本清張氏のことを
私のような若輩者があれこれ語ることもあるまい。

“鉄壁のプロット”と評された、抜けのない、計算され尽くしたストーリー展開。

本書の解説で山前譲氏も引用しているが“特異な環境でなく、日常生活に設定を求めること、
人物も特別な性格者でなく、われわれと同じような平凡人である(後略)”
と松本氏自身が語っているように、設定と登場人物の普遍性。


恋人が不治の病でなくても、財閥の家系でなくても、俳優や作家でなくても、
どこにでもいそうなサラリーマンの男と専業主婦を主人公に用いても、
読み手を圧倒し、唸らすような作品は書けるのである。

松本氏の作品は、有名な長編は未読で、まず短編から読み漁っている段階なのだが、
どの作品を読んでも、結末でアッと感嘆してしまう。




本書『潜在光景』には、表題作のほか「八十通の遺書」「発作」「鉢植を買う女」「鬼畜」「雀一羽」の
6作が収録されている。


「潜在光景」「発作」「鬼畜」はどれも、
怠惰なサラリーマン生活や真面目一筋の職人生活から、
ひととき逃げ出すべく嵌った甘美な刺激の果てに起こる悲劇。
同じことの繰り返しの生活をつまらないと思ってしまう、その心の隙間を
見事に突いている。
誰もが持つ、人間の心の小さな闇が、大きな事件を引き起こす様を、
淡々と、見事に描ききっている。


「鉢植を買う女」の執念もすさまじい。
周囲(つまり世の中)の男性から“女性”として扱われなかった女の
執着する先は、“金”だった。
“金”さえあれば、自分の醜さを笑う男性にも、自分より美しい女性にも
「勝てる」と信じ込み、実行する。

しかし、この女性が生まれるのがもう少し早ければ、このように男性なみの
給料をもらって社にい続けることもなかった。
もう一昔なら、一回りも二回りも年上の男の後妻に入るしか道はなかっただろう。
ちょうど、女性の社会進出が当然とみなされる時代が始まろうとしていた。

(若かった彼女が孤立したお局と化した後、唯一の楽しみは新入社員苛めだという
のも、今でも通じて苦笑してしまう。)

また、都会のマンション生活の進行による隣人関係の希薄化も、
この作品の重要なキーだ。
40年以上経った今も、古いと微塵も思わせないテーマである。
社会の変化を鋭く観察し、切り込む様はさすがという他ない。
高度成長のさなか、昭和36(1961)年の作品である。


最終話「雀一羽」は、元禄時代を舞台にした時代小説で、部下の失態の責任を
取らされ役職を取り上げられた人が精神的におかしくなっていく過程を描いて
いるのだが、現代にもこういう人はいるし、こういうこともあるだろう。
読後、物哀しい気持ちになった。


「八十通の遺書」は「河西電気出張所」(『松本清張初文庫化作品集④ 月光』収録/双葉社刊)と
設定がよく似通っている。
というより、まったく同じ性格の登場人物と人間関係(名前は違うが)なので、
松本氏が戦前、青年時代に電気会社の給仕をやっていた頃を投影させているのは
間違いないだろう。

作家になる前に、様々な職業を経験し、苦労した時代があったからこそ、
作家となってから、人生の真髄と人間の奥底を炙り出すような深い作品を生み出せたのだろう。
そこには、学生のうちに作家デビューして、社会人としての労働経験もない人々には
決して描けない種類のリアリティーと深淵がある。



今、全国の博物館・資料館で一番行きたいのは、九州・小倉の「松本清張記念館」であるほど、
この偉大なる九州男児を敬愛している。

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