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いろはに笛ッセイ 42~し~循環呼吸

2013-03-11 22:45:58 | いろはに笛ッセイ
一般の人々の反応:す、すごい肺活量ですね、いったいどのくらいあるのですか?
管楽器奏者の反応:う~ん、まだ技術が追いつかないねぇ、特訓不足だよ。
厳しい方々の反応:コレができれば一体なんだと言うんだ、何かの役に立つのかネ?
その他の人々の反応:だから何?

ずーと息を吸わず(吸わないように見せかけて)笛を吹き続けるのが循環呼吸、管楽器奏者でこれが出来る人は多いのか少ないのかよく分かりませんが、練習さえすれば出来るようになるのです。ただ演奏する上でこの技法が欠かせない場面は殆ど無く、単なるこれ見よがしなのですが。ただ循環呼吸という呼称は正しいとは言えないでしょう、どこを空気が循環しているの?と問うても答えようがない、循環なんかしていないのですから。正確には「ポンピング呼吸法」と言うべきかも知れません。灯油のポンプ(赤いペコペコするのがついているあれ)の構造によく似ているのです。詳しく知りたい方はネットで検索してください。実演で見たことがあるのは2回だけ、一つは長いラッパをずーっとふきつづけている奏者、もうひとりはフルートをずっと吹きつづけている奏者、伴奏者が自転車用の手押しポンプを舞台袖からもってきてポンプの先をフルート奏者のお尻にあててポンピングをしているのです。そこまでやるかい!ちなみに私は耳にポンプをあてて空気を入れ(る格好をし)ます。なんともあほらしいこと。でもまあ、この技法は呼吸法がちゃんとしていないと上手く出来ませんので、呼吸法訓練のために身につけるのも一手ではあります。間違っても本当にお尻や耳から空気を送り込まないように、あとが大変ですから・・・
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いろはに笛ッセイ 41~み~身の程を知る

2013-02-20 22:23:46 | いろはに笛ッセイ
座右の銘は何ですか?と聞かれても、特にないのです。ないよ、という答えでは味気ないので「諦めが肝心」と答えるのです。この歳になるとどんなことが可能でどんなことが不可能か分かるような気がするのでそこを明らかにする、明らめ、つまり諦めなのです。言葉を変えれば「身の程を知る」なのです。一つの楽器を完璧にこなせる、という意味での演奏家になる、というのはどだいムリ、この歳から特訓しても音感、リズム感を向上させるのは全く不可能、音楽で社会に貢献しようなどということはハナから勘違い(わたくしの場合ですぞ)、などということに気づいたのはまさに身の程を知ったのであり、実に良いことなのです。二つの楽器を同時に演奏することはそれなりに可能性はあることが分かったのですが、3つ同時に、というのもやれば出来るんだ、という思い込みがはなはだしい勘違いだと「身の程を知った」のです。楽器習得に大事なのがこの「身の程を知る」なのです。夢も希望もないことばかり申しました。、でも、練習を重ねているうちに、自分にはこんな能力もあったのか、という発見が必ずあります。つまりそんな可能性も「身の程」のうちですので、不可能性だけではなく可能性に関しても知ることが大事。自分の中にある未知の領域を知る、これが楽器習得の一番の楽しさなのです。エラそうなことを申してしまいましたな。へへへ。
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いろはに笛ッセイ 40~め~目力(めぢから)

2013-01-16 11:20:51 | いろはに笛ッセイ
保育園での公演は大変なのです。リズム室に入ってきたオチビさんたちを静かにさせ、集中させる保育士さんのワザを見ることが出来ます。手遊びをしたり、お歌を歌ったり、大きな声を上げながらの奮闘ぶりを控えから見ているのですが、楽しいものです。ある保育園ですごい園長さんがいました。声は上げません。手振り身振りも無し。ひたすらにこやかに大きく目を見開いて園児一人ひとりに微笑を送るのです、とても豊かな表情で。すると10秒もしないうちに賑やかだった園児たちがシーンと静まり返ってしまったのです。う~んお見事。これが目力(めぢから)というものなのですね。大いに参考になりました。演奏技術云々よりもまずは顔の表情なのです。この日以来、私の舞台も大きく変わり、表情豊かに、コンサートもメリハリが付き、お客さんもさらににこやかに・・・・と自分で勝手に思っているだけで、何にも変わっちゃいないのです。やはりDNAが邪魔している?
久々の投稿です。ホイQ作りに忙しく、ヘンテコ画ななしです。
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いろはに笛ッセイ 39~ゆ~夢も希望もありません

2012-09-08 21:01:58 | いろはに笛ッセイ
メダリストやノーベル賞受賞者、そのほか世界最高レベルの方々の中でこうおっしゃる方々が少なからずいらっしゃいます。「夢はかなえられるのですよ」「夢さえもっていれば努力次第で必ずかなえられます」「夢、かなうんです、必ず」。うーん、彼らは物事を論理的に考えているのだろうか。少なくとも競争の社会では、極々一部の人が多数の敗者の上に立って夢をかなえているのに・・・この事実からすれば本来は「夢なんかかなうわけ無いじゃないですか、神に微笑んでもらった極く一部の人をのぞいてはね」というべきなのでは?なんて言うのはヤボ、というものです。「夢はかなう」なんて美辞麗句の一つに過ぎないのですから。
 でも競争の世界から一歩外れると、夢は叶うという言葉も生きてくるのかもしれません。一つの楽器をこなしたい、という夢であれば努力次第でかなうでしょうし、数千万円のバイオリンが欲しい、という夢であれば金策次第では叶うかもしれません。でも高い楽器を手に入れてそれをこなせるようになると私のような邪な人間には邪念が出てくるのです。あの人よりうまくなりたい、もっと高い楽器が欲しい、・・・・。そこでまた苦しむのです。
 ある人が明るい表情で笑ってこういいました。「私には夢も希望もないのですよ。はははっ」。う~ん、これっていいなあ。俺も真似しよう。というわけで私にも夢も希望もないのです。楽です。あれ欲しい、あれしたい、などとは思わないので苦にもならない。楽器製作演奏家稼業をやっていると良く言われるのは「夢をかなえられてよかったですね」という言葉。でも楽器製作演奏家になりたいなどという夢は持ったことがないのです。最初から諦めていたので・・・でも気づいたらそんな感じになっていた、というところでしょうか。
 以前中学生の前で演奏して、そのあと感想文が送られてきたのです。その中には「夢を持たなくちゃいけない、と思うけどでもそんなの無い」「頑張って夢を追いかけなくちゃいけないのかなあ」という夢に対する重圧をもつ生徒が少なからずいたのが印象に残っています。 がんばろう、がんばろう、の社会の中で「頑張らない」という言葉が少しずつ市民権を得てきたようです。同様に「夢も希望ももたない」という概念も広がってくるといいんじゃないかなあ。
 本当に夢も希望もないのですか?と聞かれると、ありません、その代わり楽しみがいっぱいあるのです。そして妄想も。新型Qホイッスルが完成間近。いくらで売れるか知らん???
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いろはに笛ッセイ38~き~気

2012-09-08 20:01:41 | いろはに笛ッセイ
 木のオカリナ「Qホイッスル」と打つと、気のオカリナ・・・と出てしまうことが多いIME、使いにくいソフトだ、以前使っていたATOKの方が使いやすかった、と常々思っていたのですが、友人へのメールで『気のオカリナ「Qホイッスル」』という文を送ってしまったら、「それ、いいんじゃないの」とのこと。なるほど「気のオカリナ」で売り出そうか?、吹けば吹くほど幸せになる気がするオカリナ、吹くほどに元気になるオカリナ、吹くほどに運が向いてくるオカリナ、首から下げているだけで健康になるオカリナ、もっているだけで美しくなってくる、お金がたまる・・・・だめだ、霊感商法になってしまう。地道に行かねばなりません。
 私の住む信州伊那の長谷地区は「気の里」と呼ばれ、パワースポットなるものが点在しているのです。その極め付きが分杭峠、なにやら強烈な気が発生しているようで(ゼロ磁場、と呼ばれています)療養を目的とした人々が大勢来るようになり、シャトルバスまで出ているのです。癒された、病気がよくなった、明るい気分になった、何も変わらない、気分が悪い、など人それぞれの反応ですが、なぜゼロ磁場に当たると体に影響を及ぼすのですか?と言う質問はしないでください。私自身知りませんし、説明出来る人も周りにはいません。一つだけいえるのは、気の効果を微塵も疑う者(私のような)には効果は皆無なのだろうな。気の里効果で治るも治らぬも「気のせい」なのでしょうか?気のお陰?気のせい?言いえて妙だな。実は痛いのは「気のせい」だった、という経験があるのです。椎間板ヘルニアの手術を2回も受けた後、膝、股関節、腰と原因不明の痛みが何年も続いて、様々の治療も全く効果がなく半ば諦めていた時に出会った本。そこに、原因が無い痛みは気のせい、勘違い。だから考え方次第で治ってしまう旨のことが書いてあって、早速セミナー受講、数ヵ月後には全然痛みを感じなくなってしまったのです。不思議な現象にやはり気の持ち方次第なのだ、と思った次第です。
 「気のせい」というのは「勘違い」と同義の部分もあるようです。演奏業もまさにその勘違いの塊なのです。(あくまでも私の演奏業ですが)。うん、なかなか良い演奏だ、と思っても録音を聞いて見ると悲惨な音の塊であることに気づいたり、この演奏に関してはワシの右に出るものはいまいと思っても、調べてみたら上手の人は大勢いたり、コンサートでみんな感動してくれているだろうと思っても、客席を良く見ればほとんどの人が居眠りをしていたり・・・アマ時代を含め30年の演奏活動で得た結論、「自分が奏でる音楽は、自分が良いと思うほど観客は良いと思ってくれない。逆に自分がこりゃダメだ、と思うほど観客は悪くは思わない」。うーん、ほとんど勘違いの30年?でもお客さんはちゃんと自分では気づかぬところを見ていてくださるのですね。「とってもいい声をされていますね」「立派な衣装ですね」「バックの幕の模様が素敵ですね」
さあ、もっと腕を磨かなくちゃ。
コメント (1)
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