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楽器を始めよう

葦笛工房の楽器
Qホイッスル(ホイQ)
片手オカリナ
ニンジン・ちくわ笛
面白楽器
ハープ・ケーナ

いろはに笛ッセイ37~さ~才能

2012-08-04 13:33:21 | いろはに笛ッセイ
ホイQ、ケーナ、フルート、鼻笛、ニンジンチクワ笛、ギター、チャランゴ、各種パーカッション、ラッパ、などなどいろいろな楽器を演奏するのですが、一つとして極めたものがないのです。フルートでバッハが吹ける訳でも無し、ギターでアルハンブラが弾ける訳でも無し、バンドでドラムセットがたたけるわけでも無し。もし一つに集中してきたのだったら今頃名手になっているかも、と妄想もするのですが、それはありえない話です。ちょっとずつかじるのが私の脳の構造なのでしょうから仕方がないのです。うちのカミさんもたくさんの楽器をやるのです。ハープ、オートハープ、ホイQ、ケーナ、シンセサイザー。でも一つとして極めたものはありません。その能力をまとめて「ケーキ大食い競争選手権」につぎ込んでいたのなら、今頃アスリート級になっていたに違いありません。でも一つだけ褒められるものがあるのです。楽譜が読めない代わりに曲をすぐ覚えてしまえますし、旋律を覚えればコード進行もすぐわかってしまう、と言う私には全くない能力をもっているのです。この能力に楽譜が読める能力も備わっていたらなあ、と思っても、それはどだい無理な話なのです。才能がある、とかない、とか言いますが、一人の人間のもっている全ての能力の指数の総計はどの人間も一定なのではないか、と思うのです。つまり飛びぬけて優れた能力の持ち主でもその能力を他の部分に埋め合わせをすれば、平均的な人間になる、と言うこと。そんな事はない、才能のある人間は他の部分も優れているのだ、というお叱りの声が聞こえてきそうですが。笛師九兵衛・・・サルバンドを作る才能-社交性の無さ=0

いろはに笛ッセイ36~あ~悪戦苦闘

2012-06-24 20:24:11 | いろはに笛ッセイ
現在、サルバンドを改造中、サル坊主が木魚を叩く仕組みを作る予定。その前に作っているのがサルのバーチャイム。これは吊り下げた沢山の金属製(真鍮製)のパイプをぶつかりあわせ、キラキラ音を効果的に発生させるパーカッションのこと。2つのペダルだけでサルを歩かせ、チャイムを鳴らし、手も振る、と言う仕組みを作るのに1週間悪戦苦闘してやっと見通しが立ったところ。良かったよかった、早速サル坊主を作り出すぞ、と思いきや畑でブヨになんと唇を刺され手しまうのです。アレルギー体質もあり、1時間もしないうちに下唇は特大タラコ状に膨れ上がりブヨブヨ、頬まで膨れ上がりオバケ顔、まともにしゃべれない、食べるのに一苦労、ケーナはもちろんホイQも吹くことは出来ず、微熱が続き、何もやる気が起きない。昨年もブヨに何回もやられたのに、ブヨうじん(無用心)だった~、なんていっている場合ではないのです。1週間後の本番までに悪戦苦闘して治さなくては。それにしてもなんというマヌケぶりなのだ、唇を刺されてしまうとは。トホホ。笛吹きの皆さん、野山へ行くときはブヨ対策を尾忘れなく。



いろはに笛ッセイ35~て~天才

2012-06-13 07:36:23 | いろはに笛ッセイ
 天才とは、一言で言うには無理がありますがあえて一面を言えば、反復練習をしなくても楽に出来てしまう能力を持った人。作曲をするなんていうと、書いて消して書いて破って、の繰り返し、と思いますが、モーツアルトにはきっと消しゴムなんか必要なかったのでしょうね。イタリアの天才バイオリニスト・パガニーニ(だと思ったけれど?違ったかな)何かの軽い罪で牢屋にぶち込まれたときのこと、バイオリンを差し入れてもらった。超絶技巧の曲を弾いていたのだが1本の弦が切れてしまった。弦までは差し入れてくれないので、3本で同じ曲を弾いたが、4本のときと全く同じに弾きこなす。さらにもう1本切れたが、全く同じように弾きこなす。最後は3本目も切れてとうとう1本になってしまった。それでも4本のときと全く同じに弾きこなしていた。・・・などと言う話を聞いたことがあります。きっと子供の頃から1回旋律聞けばそれだけで弾きこなすことができた、まさに天才だったのでしょう。
 「天才とは努力を惜しまない人のこと」「天才とは、ただ、努力の継続をできる人のことをいう」などと言う表現がありますが、私は少し、いや大いに違うと思うのです。楽器をやっているとわかるのですが、超難しい曲をゆっくり練習を始めて段々早くなってきて曲らしくなると、なんだか脳が活性化してきて、脳内麻薬が出ているゾ~、と言う気分になり、練習が全く億劫でないどころか楽しくてしようがない、と言う状態になるのです。天才とは子供の頃からこの状態がずっと継続している人のことではないだろうかと思うのです。つまり努力の必要がないのです。努力の語源は奴隷の奴と力が組み合わさったもの、つまりやりたくないけれど頑張らざるを得ない、と言うことらしいですが、このことから言うと努力なんかいくらしたって天才にはなれっこない、と言うことです。どうすれば脳内麻薬がどんどん出てくる人間になれるのか・・・それは神様がその人を選んでくださったかそうでないか、なのでしょうね。つまり諦めるしかない、私はとうの昔に諦めているのです。ああ楽だ駱駝。

いろはに笛ッセイ34~え~エコー

2012-06-13 07:35:59 | いろはに笛ッセイ
 エコー、つまり「こだま」効果の事なのですが、演奏をするには不可欠な要素なのです。録音をしてみると分かるのです。録音したままの生の音を聞いてみると、そのあまりに貧相で乾いた音に「なんてえヘタクソなんだ」と激しく落胆するのです。ところがそこに電気的なエコー(専門用語ではエフェクター、リバーブと呼びます)効果をかけると、あらあら不思議、つやつやのしっとり、ボリューム満点の音響になってしまうのです。落胆が一転自己満足の局地に。何百万のマイクを使い専用のホールで録音すれば最初からいい音で録れるのでしょうが、そんなところに縁のない私は10万円の録音セットですので電気エコーに頼るしかないのです。
 長旅の楽しみの一つに、わざと入り組んだ海岸沿いか山の中を通ることがあります。それはトンネルがあるからなのです。車を止めてトンネルコンサート。トンネルが長ければ長いほどたっぷりなエコーがかかり、恍惚状態。
でもなかなか近くに笛吹けるトンネルなんてないですね。トンネルでなくても大きなコンクリート橋の下、道路構造物でコンクリートに囲まれているもの(専門用語ではボックスカルバート等)などでもエコー効果が得られます。また、真夜中で無風状態の山の尾根・広い牧場などでもとびきりのエコー効果が得られますので是非お試しを。トンネルでは得られない透明な広がりを感じる事が出来ます。
 私の秘密、でもないですが穴場を教えてあげましょう。伊那市長谷の美和ダムの堰堤を通り越した先のトンネル、車は通りませんし、人もめったに来ません。比較的長いトンネルでエコーバッチリ。

いろはに笛ッセイ33~こ~コンドルは飛んでいく

2012-05-23 20:04:47 | いろはに笛ッセイ
 ペルーの作曲家ロブレスの作曲、オペレッタの序曲という話ですが、そのオペレッタ、どんなものかは「先住民系鉱山労働者の団結とアメリカ人鉱山主との闘争をうたったかなり政治的メッセージ色の強いもの」以外はよく分かりません。サイモンとガーファンクル(S&G)で有名になったことはよく知られています。ただS&Gのものは原曲と違う部分があります。シミレミファソファソラシ~~レ~シ~~(ミレシ~~)ラソミ~。最初のメロディーですがカッコ内の音はS&Gと共演した人がが付け加えたものらしいです。(それに関して諸説あり)。これが現在一般的に演奏されているのですが、それに慣れてしなっている耳には原曲は物足りなく聞こえるのです。ペルーの演奏家でさえほとんどはS&G式にやっていて(例外は私の知る範囲ではほんの数人)多分原曲はどうのこうのなどということは知られていないが如きです。原典主義ではありませんのでいろいろ編曲してもいいんじゃない、と思っている人間ですが、南米の音楽界の著作権の概念の無さは唖然としたものです。私の好きなロスライカスと言うグループの1枚のCDでは半分がオリジナルと言う書き込みですが、そのほとんどが盗作、または他人の曲そのものなのです。こんな例は数多あるようです。ペルーの田舎町にレコード屋らしきものがあって入ったらそこはコピー屋で好きなLPを選ぶとそれをカセットテープに録音してくれるのです。もちろんお金を取ってです。20年前の話で今はどうかは分かりませんが、まあなんとおおらかなことでしょう。
 観光で訪れた町にコンドルの足の骨で作った笛が売られている、と言うことを聞き早速買い求めました。曲を吹くほどのものではないのですが音はちゃんと出ました。どこにしまいこんだか出てこないので写真は乗せられませんが。人骨の笛も売っているという話を聞きましたが、それは・・・欲しくないなあ。