1990年
仮契約は、同校で午後三時から行われた。巨人から加藤克巳スカウト部長、城之内邦雄スカウトが出席。秋葉投手側からは本人をはじめ父親の定夫氏、母親の君江さん、同校野球部の矢内邑路監督が出迎えた。話し合いは、秋葉投手の強いプロ志向もありトントン拍子に進み、金銭面でも全く問題なくスンナリと決まった。城之内スカウトは「まだまだ体力は無いが、きつい練習も好きならがまんできる。一からのスタートとなるが、体が良く(187㌢、86㌔)将来性を買った。一軍のマウンドはなまやさしいものではないので、大学に行ったつもりで四年やって五年目に上がってきてくれれば」と、自らが発掘した金のタマゴの成長を期待している。秋葉投手は今年、関東で百三十人が受けた巨人の入団テストを受け、一人合格している。ドラフトまでの間にヤクルト、中日、西武、近鉄、ダイエーの各球団から入団の誘いを受け本人も指名を楽しみにしていたが、現実は厳しく6位までに指名されなかった。このため一時は悔しい思いをしたが、ドラフトの翌二十五日に巨人から「ドラフト外で欲しい。ドラフト指名者と同じ条件で取りたい」との連絡があり、「今年だめなら来年もう一度プロで」と考えていた矢先の朗報に、即入団OKとなった。秋葉投手は小学校四年生から千城台の少年野球チーム、リトルサウスで活躍。五年生の時には各チームから選抜された中の一人として千城台ジュニアに入り、中学の時は千葉東リトルシニアで一塁手としてレギュラーで頑張ってきた。千葉大宮高校に入り二年生の秋、矢内監督に素質を見込まれ投手に転向、今夏3回戦で敗れたもののチームを引っ張ってきた。千葉大会が終わってからも後輩たちとランニング、ウェートトレ、サーキット練習を積んでおり、矢内監督も「ピッチャー経験は少ないが、肩を酷使していない。まだまだ伸びる」と、太鼓判を押す。高吉文彦教頭も「在校生らみんながこれから自信を持てる。学校時代も希望が持て、活気づく。これからも頑張ってほしい」と励ました。秋葉投手は一月中旬からの新人特別練習に参加、さらにグアムキャンプ行きの可能性もある。城之内スカウトからは「パスポートも取っておくように」との期待を込めた言葉も贈られた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます