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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

青木稔

2016-08-28 11:37:03 | 日記
1955年

青木君は小学校六年のときにはソフトボールの外野手、旭丘中学(京都)に入学してから投手に転向、ただちにエースとなり、在学三年間、京都新制中学野球大会上京区ゾーンには全勝の好成績をあげた。三年生のときには京都大会の決勝戦にこんど相携えて巨人入りした国松のいた平安中学と対戦、惜しくも長打を逸している。同志社高校でもすぐエースとなり、二年生のときには甲子園大会京都予選の準決勝にまで進出している。(高校時代一試合平均被安打五本、三振九)同志社大学では入学の秋からエースとなり、二十九年春腰を痛めて不振を極めた以外は全く好調、文字通り同志社大学の原動力となっていた。当時の成績は二十八年春には一勝一敗、秋は六勝二敗、二十九年春は三勝一敗、秋は三勝二敗。特筆大書するほどきわだっているというものではないが、背後守備の拙劣、味方の攻撃力不振などに災いされせっかくの奮闘も実を結び得なかったきらいなさにしもあらずである。過去の成績を見てもわかるように彼は確かに並々ならぬ投手には違いない。また、たとえカーブにスピードがなくとも、重味ある直速球をもって外角低目をつき、内角をシュートで攻める手法で十分補いをつけ、しかも効果を挙げている。しかし大学野球ならばいざ知らず、プロ野球でははたして、いままでどおりの地位を確保出来るか、どうか?同大おぞ口監督は「技巧派の多い関西六大学にあって彼は正攻法の代表的なものであり、実に得難い存在であった。球質が重く、その重い球で打者を料理する型のピッチングであるが、もし彼がカーブをマスターすることが出来シュートのコースを変化させることを研究体得したならばプロ球界にでも一人前の投手になり得ると思う」と語っている。幸いもともと強肩ではあるし、腰も強じん、耐久力もあるという好条件に恵まれていることではあるし、それに巨人軍という大世帯に籍を置いたことで、周囲に経験豊富な選手が多く、良き指導者、協力者を得ることが容易なので、本人の努力次第で必ず、第一線級の投手となるものと私は確信している。谷口コーチが「身体はまだかたいようであるが、筋肉のボリュームが豊富であるから楽しめる」と論じたことからも将来性に富んだ期待多き投手であるといえる。

プロ入りの動機 私は高校を出るころからいつかはプロで働きたいという希望にもえていた。同じプロでやるならば早い方がそれだけ勉強できると思いはじめていたときにプロから話があったのです。いま入団しても、また卒業してから入っても、一から出直すのは同じこと。それだけにあと二年残っている大学ですが、その二年間が大きいと思ったので中退の決心は割と自然に容易につきました。

まず勉強したいこと フォームの完成です。私は上半身がかたくそれに腰の開きが早すぎる欠点がある。これを直すことが第一です。つぎには直球にいま一段の球速と重味を加えること、カーブの球速を落とさぬようにすることです。

目標とする選手 巨人別所中日杉下両投手。別所投手は私は同じようにオーバー・スローなのでピッチングのすべてを、杉下投手はそのチェンジ・オブ・ペースを・・・。

趣味 ジャズ、洋画。

身長・体重・投打・年齢・背番号 五尺八寸、十八貫五百、右投右打、二十歳、背番25。

現住所 京都市上京区紫竹(シチク)西高繩町42。

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