1960年
斎藤正弘投手…宮崎県日向学院高、左投左打。
斎藤選手は身長1㍍80、体重74㌔、ことし西鉄を退団し新潟全電化チーム入りが決まった、桑原投手の三年後輩である。斎藤投手のワンマン・チームのため中央球界にはあまり知られていないが、投手兼四番打者として南九州地区では打で名のとおった選手である。とくにその打棒は通算ホームラン8本、打率も3割4分2厘をマークし、長距離打者として定評があり、最後まで東映が勧誘をつづけていた。
斎藤選手の話 先輩に桑原さんがいたし、九州であることとチーム・カラーが一番好きだった。投手か打者かは監督さんに一任します。一応投手でいくようにといわれているが、バッターにも非常に未練があります。一日でも早く球団、監督さんの期待にこたえ得るようにがんばりたい。
斎藤正弘投手…宮崎県日向学院高、左投左打。
斎藤選手は身長1㍍80、体重74㌔、ことし西鉄を退団し新潟全電化チーム入りが決まった、桑原投手の三年後輩である。斎藤投手のワンマン・チームのため中央球界にはあまり知られていないが、投手兼四番打者として南九州地区では打で名のとおった選手である。とくにその打棒は通算ホームラン8本、打率も3割4分2厘をマークし、長距離打者として定評があり、最後まで東映が勧誘をつづけていた。
斎藤選手の話 先輩に桑原さんがいたし、九州であることとチーム・カラーが一番好きだった。投手か打者かは監督さんに一任します。一応投手でいくようにといわれているが、バッターにも非常に未練があります。一日でも早く球団、監督さんの期待にこたえ得るようにがんばりたい。
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