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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

植村秀明

2012-01-24 20:34:23 | 日記

長身生かした速球

両リーグを通じ外人選手を除くともっとも大きい一八八㌢、八五㌔の本格派投手。
恵まれたからだから投げ込む速球が魅力である。奈良・郡山高二年のとき夏の甲子園へ出場、
二回戦で横浜一商に敗れたが、力いっぱいの投球は 大器 として注目を集めた。広島東洋が
二位にリストアップしたのももちろんその素質にほれ込んでのこと。まだ荒削りだが「そこが魅力」
と備前コーチ。「じっくりと鍛えこむ。キャッチボールを見ただけでよくわからないが、下半身のバネ
をつけさせたい。一年生に期待するのはコクだが後半戦あたりから出てくれれば・・・」
植村は「一日も早くプレートを踏みたい。聞いてみると速いだけではだめだということですし、
シュートを覚えようと思います。ライバルは阪神にはいった野上君(和歌山市商)。僕とよく似たタイプですし
負けたくありません。それとチーム内の全選手。自主トレーニングに二日ほど参加してきつかったことより、
やらにゃかんと身がひきしまる思いでした。」
根本監督は「小細工を覚えさせないでよさを伸ばし、威圧感をあたえる大型投手に育てたい」という。
この若ゴイをじっくりと鍛え上げようとしている。


郡山・植村秀明投手 惜しくも大記録逃す

郡山・植村投手の快投が続く。ズシッと木村のミットにおさまる球は、見るからに重そうだ。
小千谷は球威に押されて内野へのゴロが精いっぱい。四球で出た二人の走者も、併殺と二盗を
しくじり、三人ずつで七回を経った。記者席のあちこちから「ノーヒット・ノーラン」の声が
かかる。八回も二死になった。これまで四十七度の大会で、十五人の投手しかやったことのない
記録、しかも開会式後の第一試合では、昭和7年第十八回大会の明石中楠本投手以来三十四年ぶりの
快挙だったのに、ここで広川の三塁右でちょっと不規則バウンドした内野安打が出た。
「本当に、ノーヒットだったのは知りませんでした。それよりいま何回をやってるのかも気がつかなかった
です」と植村は身長が1㍍86もある大きな体に似ぬ小さい声で、はずかしそうに話した。
植村は二年生で、まだカーブの投げ方を覚えるところまでいかず、シュートと著球で勝負する投手、との評判が
早くから伝えられていた。コツコツ当てていく打者をそろえた小千谷は「うちの好きな型の投手」と意気込み、
プレートの二㍍ほどまえから投げさせて打撃練習、植村に備えた。郡山の森本監督はこの練習ぶりから「外角に
強そうなので、思い切って内角のひざ元をシュートで攻め、外角はボール一つはずれる球を投げるように」と
バッテリーに作戦をさずけた。小千谷はこの配給にまんまとひっかかった。シュートにつまり、これではいけない、
外角球を打とうとあせるので、ついボールに手を出した。小千谷の柴山監督は「北陸大会で打ちすぎたことから、
みんなに引っ張ろうとする悪いくせがつき、得意の右翼打ちが出たのは九回だけ」と反省する。
もう一つ植村を元気付けたのは一回の先取点だ。郡山は奈良県予選からジャンケンに勝つと必ず後攻をとった。
小千谷はそこまで調べて、この日にたとえジャンケンで負けても好きな先攻になれると思いこんでいた。
ところが郡山は「守りにつく選手が少しでも落ち着けるように」と先攻をとり、ここでも森本監督の読みが
当り、小千谷の堅い立ち上がりをついて一点を拾った。すべてにうまく先手をとったといえる。植村は九回の
二死から石坂を四球で出し、2-1と追い込んでいた関に投げたドロップを右前に適時打された。大会を前に
やっと覚えたドロップ、三球しか投げなかったうちの一球で完封を逃しただけに、バッテリーサインを送る森本監督は
「速球でいくべきだった」と残念がった。


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