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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

牧田政彦

2019-05-26 20:48:40 | 日記
1961年

球団の色やチームカラーというものはそのチームの歴史が古ければ古いほど、そうした色やカラーをぬこうとしても、なかなかぬけないものらしい。阪急は昔から好投手の生まれるチームで、古くは森幸太郎投手や現コーチの天保や今西の活躍した時代から現在の米田、梶本といったように続いている。今シーズンは、今までの看板の投手力に打撃力を付け加えようと現役時代打撃の天才といわれた大下をコーチに迎えて仕上げに懸命だが、いくら天才児大下といえども基礎からでは時間がかかるのは当然のことだ。この打撃にくらべると投手陣の方は土台もオモヤもできているのだから若手を育てるのにはもってこいだ。だがいくら投手が売りものといっても米田や梶本のような大ものはそうざらにいないものだ。左右エースをつぐ候補者ほど見渡せば右では石井、左なら牧田の二投手がうかぶ。この二人はことしで同じ四年生で身長もほぼいっしょだ。牧田の生まれは信州。小畑実のヒット曲伊奈の勘太郎で名高い伊奈の産だ。阪急にはいったときから球が速くて、われわれ仲間内では将来の大ものと目をつけられていた。それが一、二年は泣かずとばずだったが、三年目の去年やっとプロ入り初の1勝をあげた。しかも、その相手がパ・リーグのペナントをとった大毎。「さあーいよいよ牧田ダンナのお出ましだ」と期待したが、あとは皆さんご承知の通り頭デッカチしりスボミで終ってしまった。あれやこれやと前年のことを思い出しながら、阪急のキャンプ地姫路まで足をはこんだ。グラウンドを見渡す。いんがなもので私が投手出身のせいかどうも投手陣の練習に目がむく。いたいた外人とまちがえるような六尺男、しかも足がめっぽう長いのが、一球一球ていねいに投げている。背番号35が右左に動くたびに白い球が捕手のミットの同じところえすいこまれていく。そばで伊勢川コーチがじいっと見つめている。見る方も真剣なら投げる方も慎重だ。牧田の今までに見られなかった姿だ。私は内心これはいけると思った。そこで総大将戸倉監督にさぐりを入れて見た。すると「牧田か、ああ、まあまあやるだろう」と軽くいなされた。そこでこんどはコーチの伊勢川氏に聞いてみたら「まだ十分とはいえないが、コントロールがついてきたから、ことしはつかえそうだ」と。これまたやんわり受けとめられた。そうこうしているうちに紅白戦が始まった。ブルペンで早い球を投げる牧田が本物のプレートの投げ振りはどうかと見ているとプレート上の態度も去年にくらべれ落ち着きがあるし、フォームも安定してきている。球の威力はとみれば左投手の武器の一つであるシュートがホームプレート真ん中へんから外角一パイに決まっている。外角から右打者のヒザに食いこむカーブはまだあまいがシュートとのコンビネーションがよいのでなかなかレギュラーの打者も手こずっていた。三回投げて1安打しか打たせないのだからたいしたものだ。その1安打も外野手がグラブにあてておとした安打だから、驚きだ。そこでまた戸倉監督に「なかなか牧田はやるではないの」といったら返事のかわりに監督はニッコリ笑った。そばて評論家の青田氏が「マキ(牧田)もピリッとしたところができた」と自分のことのようによろこんでいた。こんどは本人をつかまえて聞いて見た。人なつこい顔で、はにかみながら「どうにかストライクが投げられるようになりました。でもまだ勉強することが多くて」と六尺の身体をもてあますようにしていう。聞いている私まで、なんとなく若々しい気分にさえなった。彼のようなのをかくれたホープとでもいうのだろうか・・・。

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