1991年
「オープン戦の後半で球は行ってたけれど、コントロールが甘くなって結果が出てないんで、どうかなと思ってたんです」と麦倉。オープン戦4試合に投げたところでは、カーブ、スライダー、SFFと多彩な球種に加え、ケン制やフィールディングの巧さに光るものがあって、若手投手陣の中でも目立った存在だった。
歩み寄る中村監督、「ムギよ、ごくろうさん。よく投げたぞ」七回二死一、二塁から久保の救援を受けたがプロ初勝利ー。そして、チームの連敗をも止める白星。「二日前に登板を言われて、きのうは実家(栃木)に電話しました。頑張って投げるよって」初の先発。しかもこの日一軍登録されたばかり。しかし十九歳の右腕はなえることなく、縮んでしまうこともなかった。「先輩たちから、自分のピッチングだけに専念しろと言われました。でも内心、なんとか(連敗を)止めてやろうという気はあった」初回、1点を失ったものの、以後の立ち直りも素早かった。伸びのあるストレートを主体にして、安芸キャンプ中に村田兆治氏(評論家)から伝授された「抜かずにたたきつけるように投げるフォーク」で大洋打線をほんろうした。四月十七日にファーム落ちした際、復調を焦るあまり左足を止めてタメをつくるフォームにした。結果は以前の悪癖に戻しただけだった。体重移動をスムーズに、と大石コーチとこの二日間、二人三脚でフォーム修正に努めてきた。いわば突貫工事が生んだ快投だった。6回2/3、90球。熱く燃えたマウンドが、麦倉のタテジマ・ストーリーの華々しい第一幕である。
ゲームセットの瞬間、麦倉は目を潤ませていた。ナインから握手攻めに合ったときも、こぼれそうになる涙を抑えようと、うつむき加減にいっぱいの照れ笑い…。それは決して2勝目を挙げた喜びからではなかった。「この前負けて、初心に帰っていくつもりが、ボールが多くて…。5点も取ってもらったのに、こんなピッチングで、木戸さんに迷惑かけたし、僕が一番悪いんです」プロ初勝利を挙げた六日の大洋戦(甲子園)と同じく、七回降板で完投できなかった悔しさが涙につながったのだ。しかし、中盤までの投球は堂々たるものがあった。確かに、カウント0-3になるのが五度と制球に難はあったが、カーブ、フォークで大洋打者のタイミングを外し、四回までは無安打。五回に谷繁、代打・横谷の長短打で無死一、三塁。大ピンチのここからが麦倉の真骨頂。続く宮里の痛烈な投手右を襲うライナーを、瞬間的な反応でグラブに収め、併殺に。「あそこは出るもんですよ。手は。だって体に当たりたくないですからね」フィールディングではチームの一、二のうまさを誇る麦倉。さすがに、この場面だけはちょっぴり自慢げな表情を浮かべた。ともあれ、白星は二つに増えた。そして、ここ横浜では五年前。栃木・都賀中時代に全国大会で優勝して以来の白星。「僕としては、まだ完投もないし、一回でもいいから九回まで投げ切ってみたいんですよ」と後ろを振り返ることより、その目を見据えている。「ストライクを先行させる。完投する」前回KOされた時(十六日、中日戦)に決めた目標は達成できなかった。けれど、「今度は絶対、完投を目指しますよ」この負けん気さえあれば、実績はもとより、虎投の救世主として羽ばたけるはずだ。
「オープン戦の後半で球は行ってたけれど、コントロールが甘くなって結果が出てないんで、どうかなと思ってたんです」と麦倉。オープン戦4試合に投げたところでは、カーブ、スライダー、SFFと多彩な球種に加え、ケン制やフィールディングの巧さに光るものがあって、若手投手陣の中でも目立った存在だった。
歩み寄る中村監督、「ムギよ、ごくろうさん。よく投げたぞ」七回二死一、二塁から久保の救援を受けたがプロ初勝利ー。そして、チームの連敗をも止める白星。「二日前に登板を言われて、きのうは実家(栃木)に電話しました。頑張って投げるよって」初の先発。しかもこの日一軍登録されたばかり。しかし十九歳の右腕はなえることなく、縮んでしまうこともなかった。「先輩たちから、自分のピッチングだけに専念しろと言われました。でも内心、なんとか(連敗を)止めてやろうという気はあった」初回、1点を失ったものの、以後の立ち直りも素早かった。伸びのあるストレートを主体にして、安芸キャンプ中に村田兆治氏(評論家)から伝授された「抜かずにたたきつけるように投げるフォーク」で大洋打線をほんろうした。四月十七日にファーム落ちした際、復調を焦るあまり左足を止めてタメをつくるフォームにした。結果は以前の悪癖に戻しただけだった。体重移動をスムーズに、と大石コーチとこの二日間、二人三脚でフォーム修正に努めてきた。いわば突貫工事が生んだ快投だった。6回2/3、90球。熱く燃えたマウンドが、麦倉のタテジマ・ストーリーの華々しい第一幕である。
ゲームセットの瞬間、麦倉は目を潤ませていた。ナインから握手攻めに合ったときも、こぼれそうになる涙を抑えようと、うつむき加減にいっぱいの照れ笑い…。それは決して2勝目を挙げた喜びからではなかった。「この前負けて、初心に帰っていくつもりが、ボールが多くて…。5点も取ってもらったのに、こんなピッチングで、木戸さんに迷惑かけたし、僕が一番悪いんです」プロ初勝利を挙げた六日の大洋戦(甲子園)と同じく、七回降板で完投できなかった悔しさが涙につながったのだ。しかし、中盤までの投球は堂々たるものがあった。確かに、カウント0-3になるのが五度と制球に難はあったが、カーブ、フォークで大洋打者のタイミングを外し、四回までは無安打。五回に谷繁、代打・横谷の長短打で無死一、三塁。大ピンチのここからが麦倉の真骨頂。続く宮里の痛烈な投手右を襲うライナーを、瞬間的な反応でグラブに収め、併殺に。「あそこは出るもんですよ。手は。だって体に当たりたくないですからね」フィールディングではチームの一、二のうまさを誇る麦倉。さすがに、この場面だけはちょっぴり自慢げな表情を浮かべた。ともあれ、白星は二つに増えた。そして、ここ横浜では五年前。栃木・都賀中時代に全国大会で優勝して以来の白星。「僕としては、まだ完投もないし、一回でもいいから九回まで投げ切ってみたいんですよ」と後ろを振り返ることより、その目を見据えている。「ストライクを先行させる。完投する」前回KOされた時(十六日、中日戦)に決めた目標は達成できなかった。けれど、「今度は絶対、完投を目指しますよ」この負けん気さえあれば、実績はもとより、虎投の救世主として羽ばたけるはずだ。
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