1969年
このところ寿美子夫人(22)は困惑顔だ。昨年十月十三日に挙式したばかりの新婚家庭。それなのに大阪市東住吉区湯里町、金竜マンション二階の愛の巣は今年にはいってすっかり甘いムードがなくなってしまった。岩本コーチに呼ばれて正月二日に上京した山田は、二日間東京にいて四日には帰阪したが、まるで目つきが変わってしまっていた。長居競技場での練習は、午前十一時開始だから十時には家を出る。帰ってくるのは夕方だ。軽い食事をすませて二時間の仮眠。八時ごろむっくり起き上がった山田は、バット一本をぶらさげて三階建ての同マンションの屋上へ上がっていく。ある日こっそりとあとを追った夫人は、あっと声をあげて立ちすくんだ。山田が手すりの外のわずかの屋上のふちに一本足で立っていたのだ。三階建てビルの屋上、すぐ下はコンクリートの道路。ちょっと足をすべらせれば即死だろう。寿美子夫人でなくても、ぞっとするようなシーンだった。夫人に泣きつかれて以後の山田は腰に命綱を巻きつけ、この決死の一本足打法に取り組んでいるが、この練習ぶりが今季に勝負をかける山田の意気込みのすべてを物語っているといえるだろう。プロ入り六年目の昨シーズン、山田は102試合に出場、170打数38安打で2割2分4厘という成績だった。しかし終盤の30試合に連続出場、この間の打率は2割6分台をマークしている。ようやくバッティングのコツがわかりかけてきた矢先だった。それだけに山田は一本足打法に変えるときは迷ったという。しかし岩本コーチの自信に満ちたアドバイスで山田の気持ちは変わった。同コーチはいった。「一本足の方が長打力がつく、ただこの打法で打てるのは、とくに下半身の強い人に限られる。君はその強い足腰のバネを生かさねばウソだ」上京したとき同コーチの紹介で合気道本部道場師範の藤井光一さんに会った。いろんなフォームで構えてみて、同師範も一本足が一番いいと保証した。ロッテの榎本、巨人の王に合気道のコツを教えた人だ。「下腹だけ神経を集中しろ。そうすればバットが体の一部になりボールを打つ力は最高のものが出る」これが同師範の教えだった。バッティングの技術的なことについては岩本コーチに聞ける。しかし「下腹だけに神経を集中する」という精神面については自分一人で修業するしか方法がない。マンションの屋上で必死の練習もそのためなのだ。「初めてあのギリギリのところで一本足で構えれたのは一分間だけです。今は下腹に神経を集中しているとビクともしない。しかし下を車が通ったりするとつい気持ちがゆれて構えもゆれる。何が通ろうとビクともしないところまでいかないと…」連日の練習の成果は目にみえて出てきている。もう普通のところでは十分間ぐらい片足で立っていられそうだ。この山田に今季岩本コーチが課しているノルマは2割8分、25ホーマーだそうだ。「自分でも不思議なほどそれぐらいはやれそうな気持ちになっているんです」というから頼もしい。ノンプロ東洋高圧大牟田時代、フェンスに激突して肩を痛め、プロ入り後も六年間に二度フェンスに激突と故障の多かった山田。もともと大器といわれている山田が今シーズン見事に開花するかどうか、一番注意しなければならないのはこのケガしないということだろう。
このところ寿美子夫人(22)は困惑顔だ。昨年十月十三日に挙式したばかりの新婚家庭。それなのに大阪市東住吉区湯里町、金竜マンション二階の愛の巣は今年にはいってすっかり甘いムードがなくなってしまった。岩本コーチに呼ばれて正月二日に上京した山田は、二日間東京にいて四日には帰阪したが、まるで目つきが変わってしまっていた。長居競技場での練習は、午前十一時開始だから十時には家を出る。帰ってくるのは夕方だ。軽い食事をすませて二時間の仮眠。八時ごろむっくり起き上がった山田は、バット一本をぶらさげて三階建ての同マンションの屋上へ上がっていく。ある日こっそりとあとを追った夫人は、あっと声をあげて立ちすくんだ。山田が手すりの外のわずかの屋上のふちに一本足で立っていたのだ。三階建てビルの屋上、すぐ下はコンクリートの道路。ちょっと足をすべらせれば即死だろう。寿美子夫人でなくても、ぞっとするようなシーンだった。夫人に泣きつかれて以後の山田は腰に命綱を巻きつけ、この決死の一本足打法に取り組んでいるが、この練習ぶりが今季に勝負をかける山田の意気込みのすべてを物語っているといえるだろう。プロ入り六年目の昨シーズン、山田は102試合に出場、170打数38安打で2割2分4厘という成績だった。しかし終盤の30試合に連続出場、この間の打率は2割6分台をマークしている。ようやくバッティングのコツがわかりかけてきた矢先だった。それだけに山田は一本足打法に変えるときは迷ったという。しかし岩本コーチの自信に満ちたアドバイスで山田の気持ちは変わった。同コーチはいった。「一本足の方が長打力がつく、ただこの打法で打てるのは、とくに下半身の強い人に限られる。君はその強い足腰のバネを生かさねばウソだ」上京したとき同コーチの紹介で合気道本部道場師範の藤井光一さんに会った。いろんなフォームで構えてみて、同師範も一本足が一番いいと保証した。ロッテの榎本、巨人の王に合気道のコツを教えた人だ。「下腹だけ神経を集中しろ。そうすればバットが体の一部になりボールを打つ力は最高のものが出る」これが同師範の教えだった。バッティングの技術的なことについては岩本コーチに聞ける。しかし「下腹だけに神経を集中する」という精神面については自分一人で修業するしか方法がない。マンションの屋上で必死の練習もそのためなのだ。「初めてあのギリギリのところで一本足で構えれたのは一分間だけです。今は下腹に神経を集中しているとビクともしない。しかし下を車が通ったりするとつい気持ちがゆれて構えもゆれる。何が通ろうとビクともしないところまでいかないと…」連日の練習の成果は目にみえて出てきている。もう普通のところでは十分間ぐらい片足で立っていられそうだ。この山田に今季岩本コーチが課しているノルマは2割8分、25ホーマーだそうだ。「自分でも不思議なほどそれぐらいはやれそうな気持ちになっているんです」というから頼もしい。ノンプロ東洋高圧大牟田時代、フェンスに激突して肩を痛め、プロ入り後も六年間に二度フェンスに激突と故障の多かった山田。もともと大器といわれている山田が今シーズン見事に開花するかどうか、一番注意しなければならないのはこのケガしないということだろう。
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