1962年
試合前の長谷川は寺田の話がもちっきりのダッグアウトを見ながらふきげんだった。「テラ(寺田)は二ホーマー、オレはかすんでしまいそうやな」だがバッティング練習でトップを打った長谷川の打球はガンガン右翼席へとび込んでいた。四回先制のホーマーを放った長谷川は試合前のふきげんはどこかへ吹きとばしたような表情だ。「まっすぐやったと思うな。スイッとバットが出よった。手ごたえはあんまりなかったけど、手首にはツンときたな」四打数ノーヒットの寺田がその前をムッツリとして通った。「バック・スイングを小さくしてスタートしたのがやっと自分のものになってきた。去年までは大きく振りまわしていたけど、いまは気にしなくて小さく、そしてシャープになってきている」石本コーチも「南海時代のもろさはなくなった。五年間ものび悩んでいたものがいまさらうまくなるかとよくいわれたが、私の思いどおりに育っている」と安心したような口ぶりだ。だがこの本塁打にも秘密があった。南海時代杉浦のボールを一番よく打ったのが長谷川だ。森滝はフォームもほとんど杉浦と同じ。それでいてスピードは杉浦より少しない。「リーグはかわってもどんなところでプラスになるかわからんもんだな」とニヤニヤ。ただ北川にはとまどったようだった。「あんなクロスして投げるのは若生(大毎)ぐらいやからな。それも横手と上手との違いがある。八回三振したのは全然見えなかったよ。オープン戦ではほとんどパ・リーグ相手やったからよかったが、これからの相手投手を研究するだけでも精いっぱいや。セ・リーグの投手はパ・リーグより落ちるというけど、そんなことはないよ」中日にはいったとき南海・鶴岡監督が「あれがクリーンアップを打つなんてね・・・」といっていた。奮起をうながすための言葉だったのだろうが、とにかく長谷川は三番定着に必死だ。最近の口ぐせは「他人がどんなこといおうと勝手にいわしておくさ。オレはもう中日の長谷川やで」最後にはおこったような口ぶりでバスに乗り込んだ。
試合前の長谷川は寺田の話がもちっきりのダッグアウトを見ながらふきげんだった。「テラ(寺田)は二ホーマー、オレはかすんでしまいそうやな」だがバッティング練習でトップを打った長谷川の打球はガンガン右翼席へとび込んでいた。四回先制のホーマーを放った長谷川は試合前のふきげんはどこかへ吹きとばしたような表情だ。「まっすぐやったと思うな。スイッとバットが出よった。手ごたえはあんまりなかったけど、手首にはツンときたな」四打数ノーヒットの寺田がその前をムッツリとして通った。「バック・スイングを小さくしてスタートしたのがやっと自分のものになってきた。去年までは大きく振りまわしていたけど、いまは気にしなくて小さく、そしてシャープになってきている」石本コーチも「南海時代のもろさはなくなった。五年間ものび悩んでいたものがいまさらうまくなるかとよくいわれたが、私の思いどおりに育っている」と安心したような口ぶりだ。だがこの本塁打にも秘密があった。南海時代杉浦のボールを一番よく打ったのが長谷川だ。森滝はフォームもほとんど杉浦と同じ。それでいてスピードは杉浦より少しない。「リーグはかわってもどんなところでプラスになるかわからんもんだな」とニヤニヤ。ただ北川にはとまどったようだった。「あんなクロスして投げるのは若生(大毎)ぐらいやからな。それも横手と上手との違いがある。八回三振したのは全然見えなかったよ。オープン戦ではほとんどパ・リーグ相手やったからよかったが、これからの相手投手を研究するだけでも精いっぱいや。セ・リーグの投手はパ・リーグより落ちるというけど、そんなことはないよ」中日にはいったとき南海・鶴岡監督が「あれがクリーンアップを打つなんてね・・・」といっていた。奮起をうながすための言葉だったのだろうが、とにかく長谷川は三番定着に必死だ。最近の口ぐせは「他人がどんなこといおうと勝手にいわしておくさ。オレはもう中日の長谷川やで」最後にはおこったような口ぶりでバスに乗り込んだ。
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