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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

福沢幸雄、成田秀秋、池谷哲夫

2018-01-30 19:02:55 | 日記
1962年

濃人学校の特待生ー福沢、成田、池谷の三選手が、まだシーズンのなかばというのに突然クビになった。どうやら複雑怪奇な中日球団の内部事情が、いよいよ氷山の一角を現したようだ。

七月十日の朝のことだった。福沢、成田、池谷の三選手は名古屋市中村区のドラゴンズ寮から突然柴田チーフマネに呼び出された。「なんの用だろうな。こんなに朝早くから・・・。一軍にあげてもらえるのかな」と三人は胸をおどらせながら柴田チーフマネの前に出た。だが意外にも柴田チーフマネのことばは死刑の宣告にひとしいクビの通告だった。まるまると太った重役タイプの柴田チーフマネは「キミたちは競輪と女に狂っている。だからドラゴンズにおくことはできない。きょう限りクビだ。十六日までに合宿を出ていってもらいたい。それに給料は八月で打ち切りにする」と太ぶちの目がねごしに冷ややかな表情でいったそうだ。三人がガクゼンとなって念を押したのはムリもない。福沢、成田は濃人学校の特待生なのだ。福沢は濃人監督が日鉄二瀬から中日入りする時に、特にその片腕として一緒に入団契約をした師弟の間柄だし、成田は前田内野手の一年後輩で、九州出身の柴田チーフマネ兼スカウトの金城湯池としている熊本県熊本工業卒業なのだ。池谷は中川政人フリースカウトの口ききで石本ヘッドコーチが兵庫県の育英高から引き抜いてきた投手で、テスト生採用だが右太ピッチングコーチが手塩にかけて育てていた。それだけに三人のクビ切りは濃人ー石本も知らないうちに決められたようだ。ということは高田代表の密命を受けた柴田チーフマネが濃人ー石本に内証でやったことになる。はじめは濃人ー石本ラインに忠誠を誓っていた柴田チーフマネも、濃人ー石本ライン危うしとなっては、保身のために高田代表側に寝返りを打ったととれる。しかし驚くべきことには、これを知った濃人ー石本はほおっかむりをして、見て見ぬふりをしてしまった。腹の虫のおさまらないのは三人だ。池谷は規約の上でテスト生だから泣き寝入りになっても仕方ないが、福沢、成田はちゃんと統一契約書にサインをして今シーズンの契約をしている。「将来の見込みがないからクビにするというならなっとくするが、いきなり競輪や女に狂ったといわれちゃ立つ顔がない。おまけに八月で給料うち切りとはひどい。われわれは年間契約をしたから年棒の十二分の一を月給としてもらっているので、当然一月分までもらえるはずだ」と高田代表にくってかかった。ところが柴田チーフマネは「キミたちはオレが中日に入れてやったのに、オレの顔をつぶす気か」と顔色を変えて怒ったという。それに「二瀬当時の濃人さんは親分ハダの人でグラウンド以外で頼っていったらなんでも聞いてくれたのに、いまは人がかわってしまって頼りにならない」というように秘蔵っ子の福沢、成田のことでさえ相手にしないそうだ。しかし福沢成田にはクビという現実は重大問題だ。再度高田代表に会って統一契約書にもとずき、一月分までの給料の要求をしている。もし高田代表で話し合いがつけなければ大島球団会長、それでもダメなら内村コミッショナーに提訴すると強い態度でいる。合宿にいる二軍の選手たちの間では「あすはわが身」と大きな動揺をきたしているという。聞くところによると中日は六月分のナインの給料が払えないので東海銀行から一千万円借り入れたそうだ。シーズン途中の突然のクビ切り旋風は、そのシワ寄せととれぬこともないが・・・。

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