1958年
東映フライヤーズの投手陣は両リーグを通じても、一、二を争うくらい充実した投手陣といわれているが、その投手陣にもなやみはあった。たよりになる左腕投手のいないところである。ここで左腕投手がおれば…と何度、岩本監督がなげいた場面があったことか、だが、ようやく山本義司投手が進境をみせてきた。その進境ぶりをいかんなく発揮したのが、十六日、駒沢球場での対近鉄24回戦であった。この試合の山本投手は、これまでに見られなかったくらい、いつものおどおどした態度は全然みられない。自信たっぷりである。速球にのびがあり、これを軸としてカーブ、シンカーのきれもよく、コントロールもよく低目にきまっていた。ピンチらしいものといえば、四回無死加藤昌に初安打され、木塚のバントで二進を許したときと、五回一死後大石に左翼線二塁打されたわずか二度だけ、4安打散発、1四球というみごとなピッチングで、六回、八回こきざみに1点ずつを記録した2点のリー碁を守りきったのであった。山本投手が完投したのはプロ入り以来これが二度目。最初の一度は、西鉄に完投で敗戦投手となっているから、完投で勝ったのはもちろん、シャット・アウト勝利は、プロ入り78試合目の快記録だった。
東映フライヤーズの投手陣は両リーグを通じても、一、二を争うくらい充実した投手陣といわれているが、その投手陣にもなやみはあった。たよりになる左腕投手のいないところである。ここで左腕投手がおれば…と何度、岩本監督がなげいた場面があったことか、だが、ようやく山本義司投手が進境をみせてきた。その進境ぶりをいかんなく発揮したのが、十六日、駒沢球場での対近鉄24回戦であった。この試合の山本投手は、これまでに見られなかったくらい、いつものおどおどした態度は全然みられない。自信たっぷりである。速球にのびがあり、これを軸としてカーブ、シンカーのきれもよく、コントロールもよく低目にきまっていた。ピンチらしいものといえば、四回無死加藤昌に初安打され、木塚のバントで二進を許したときと、五回一死後大石に左翼線二塁打されたわずか二度だけ、4安打散発、1四球というみごとなピッチングで、六回、八回こきざみに1点ずつを記録した2点のリー碁を守りきったのであった。山本投手が完投したのはプロ入り以来これが二度目。最初の一度は、西鉄に完投で敗戦投手となっているから、完投で勝ったのはもちろん、シャット・アウト勝利は、プロ入り78試合目の快記録だった。
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