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プロ野球 OB投手資料ブログ

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宮本幸信

2017-07-09 19:03:47 | 日記
1975年

木俣がバットを振った瞬間、もう山本浩は背中を見せた感じだった。打球は、バックスクリーン目がけて一直線に走る山本浩の頭上を越え、あっという間にフェンスにはね返った。同点の九回裏、無死で木俣が二塁に立った。ローンのバントで一死三塁。勝負の時である。与那嶺監督がベンチを飛び出すと「代打飯田」を告げた。飯田は、昨年のこの日、同じ広島を相手に、九回裏代打で登場し、サヨナラ満塁ホーマーを放っている。この一打で中日は巨人と並び、待望の首位に立ち、優勝への一歩を踏み出した。広島の投手は宮本。外野フライ、あるいは緩い内野ゴロでもサヨナラだ。だが、ここから宮本のピッチングがさえた。「三振取るほかありませんからね。悪くても内野ゴロ。だから、強気にコーナーいっぱいを速球で攻めた」。初球のストレートを飯田が力いっぱい振ったのを見ると、シュートで内角を攻め続け、2-3から真ん中高めへストンとカーブを落とすと、飯田はぼう然と見送った。与那嶺監督は、この時、スクイズを考えたそうだ。ところが、広島が満塁策をとってくるという気がして、ためらっているうちに飯田がたちまち2-1と追い込まれてしまい、スクイズを断念したのだという。「一本出れば同じだから、満塁策は考えなかった。飯田がストレートをねらっているのがわかったから、真ん中にカーブを投げた」宮本はそう語る。続く大量にボールを散らし過ぎて0-3。しかし、結果的にはこれでよかった。大島の打ち気をそいで、2-3と持ち込み、再び大島の打ち気が高まると、ワンバウンドになりそうな低いカーブを投げて空振りさせた。「あそこは歩かせてもいいと、思い切り低めをねらった。ストライクコース低めいっぱいからぐっと落ちたので、バットが出たのでしょう。振ってくれと祈ってましたよ」負けムードの試合だっただけに、引き分けると古葉監督は勝利投手を迎えるように宮本の手をしっかり握った。「この引き分けが星勘定のうえでプラスかマイナスかわからない。でも苦しい試合を追いつき、ピンチを切り抜けたのは、今後の試合に大きなプラスになると信じている」と古葉監督。「惜しかった。でもあす勝てば、この引き分けは生きてくるからね」と与那嶺監督。ともにきょう四日の試合に希望をつなぐ引き分けとなったが、試合が終わったとき、首位にいるのはどちらだろうか。

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