1964年
阪急は七日、島根県浜田高・佐々木誠吾投手(18)=1㍍80、75㌔、右投右打=の入団を決めた。阪急の今シーズンの新人補強は交渉中の早大・江尻亮投手をのぞきこれで全部終わった。同投手は無名だが、1㍍80の長身から投げおろす速球、カーブには威力があり、中国地方で池永(下関商ー西鉄)につぐ本格派投手と注目されていた。広島、西鉄から誘われていたが、阪急は中学生(京都)のころから目をつけ、第二の米田になれる投手として交渉をつづけていた。
1969年
一昨年の日本シリーズで好投をみせて来季は第一線投手と期待された佐々木誠吾は、同僚の足立とともにした東南アジア旅行が悪かったのか、満足な成績が上げられず、とてもオープン戦のピッチングからは、一昨年のマウンドを託すべくもない低調さである。体格も梶本とともにチーム一で球威もありながら、なぜ期待通り投げられないのか…。その原因が意外なところにあった。なんと手にアカギレが切れてボールが満足に握れないからと言う。アカギレは前時代的な皮膚疾患となっているのに、佐々木は見かけによらず耐久性に乏しい体質なのか、手入れが悪いのか…。
阪急は七日、島根県浜田高・佐々木誠吾投手(18)=1㍍80、75㌔、右投右打=の入団を決めた。阪急の今シーズンの新人補強は交渉中の早大・江尻亮投手をのぞきこれで全部終わった。同投手は無名だが、1㍍80の長身から投げおろす速球、カーブには威力があり、中国地方で池永(下関商ー西鉄)につぐ本格派投手と注目されていた。広島、西鉄から誘われていたが、阪急は中学生(京都)のころから目をつけ、第二の米田になれる投手として交渉をつづけていた。
1969年
一昨年の日本シリーズで好投をみせて来季は第一線投手と期待された佐々木誠吾は、同僚の足立とともにした東南アジア旅行が悪かったのか、満足な成績が上げられず、とてもオープン戦のピッチングからは、一昨年のマウンドを託すべくもない低調さである。体格も梶本とともにチーム一で球威もありながら、なぜ期待通り投げられないのか…。その原因が意外なところにあった。なんと手にアカギレが切れてボールが満足に握れないからと言う。アカギレは前時代的な皮膚疾患となっているのに、佐々木は見かけによらず耐久性に乏しい体質なのか、手入れが悪いのか…。
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