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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

小林国男

2016-07-13 20:58:21 | 日記
1973年

口こそ出さなかったが、ひそかに待っていたのがこの1勝だった。持前のミラクルボールを変幻自在にあやつって五安打、完投で飾ったプロ入り初勝利は実にみごとな内容があった。最後の打者、後藤の左飛を折るような目で追ったルーキー小林は、次の瞬間ニッコリ笑ってマウンドを降りてきた。「文句なしにうれしい。チームに貢献できればいい。とただそれだけを考えていました。でもなんとか1勝ぐらいはしてみたいというのも本音でした」享栄商からノンプロ西濃運輸を経てプロ入りしたばかり。享栄商はロッテ・金田監督を生んだところ。左腕の小林には金田二世の呼び声も高かった。だが、甲子園に一度出場(一回戦で敗退)した以外は目ぼしい実績もなく、高校球界ではほとんど無名の存在だった。しかし、三原監督はその勝負度胸と練習熱心さを見逃さなかった。春の湯之元キャンプから「いける」とねらいをつけ「あのクセ球とボールの回転が面白い。できるだけ早い時期に一軍へ送ってくれ」と田口二軍監督に注文をつけたうえでファームにやったほどだ。ノンプロ時代の小林は上手から投げおろす本格派投手だったが「プロではぼくのスピードは通用しない」と自分からフォーム改造に乗り出し、やや腕を下げることで絶妙のコントロールを身につけ、クセのあるシュートも覚えた。この日も、ネット裏で佐竹スコアラーが何度もうなずいていた。「まさに千変万化のピッチング。両コーナーを使い分ける配球は、十球中八球までが思い通りのコースへきている。とくにシュートの切れがすばらしく、田淵はそのシュートを打たされて完全に抑えられていた」三原監督がはじめて意表をつく「小林先発」に踏み切り、あとをエースの松岡弘がしめくくって勝ったのが五月二十三日。「危険な策だが、苦境を乗り切るにはこの手しかない」という三原監督の決断でそれ以来小林は三原継投の重要なコマとなってフル回転、みごとに大役を果たしてきた。これまでに小林が先発した十一試合でチームは8勝3敗「不思議な運をもっている」と三原監督も驚いていたが、この日の初白星で小林もすっかり自信を持ったようだ。「とにかくていねいに投げました。こんどはオヤジの前でがんばります」父親・得夫さん(54)は名古屋市内を走るタクシーの運転手さん。後半戦の幕開けは、中日球場での対中日戦だ。

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