1960年
大洋ホエールズはこのほど、九州高校№1のキャッチャー、日南高の山田忠男(18)選手の入団を内定した。日南高は春の選抜高校野球大会出場のポイントとなる昨秋の県高校野球では決勝で大宮高に破れ、夏の予選では都高に準決勝で負けるなど、大きな大会には出場していない。しかし山田選手は九州高校球界では強肩強打のキャッチャーとしての名が高く、大洋をはじめとして、西鉄、近鉄などからマークされていた。大洋は田村スカウトが、七月大分中津東高の原田投手獲得に九州に飛んだときから、執ように食いさがり、他球団をケ落として、このほど入団の内定をとったもの。契約はちかく田村スカウトが宮崎に行き、両親と会ったうえで正式に行う。(身長1・73㍍、体重65㌔、右投右打)
大洋ホエールズはこのほど、九州高校№1のキャッチャー、日南高の山田忠男(18)選手の入団を内定した。日南高は春の選抜高校野球大会出場のポイントとなる昨秋の県高校野球では決勝で大宮高に破れ、夏の予選では都高に準決勝で負けるなど、大きな大会には出場していない。しかし山田選手は九州高校球界では強肩強打のキャッチャーとしての名が高く、大洋をはじめとして、西鉄、近鉄などからマークされていた。大洋は田村スカウトが、七月大分中津東高の原田投手獲得に九州に飛んだときから、執ように食いさがり、他球団をケ落として、このほど入団の内定をとったもの。契約はちかく田村スカウトが宮崎に行き、両親と会ったうえで正式に行う。(身長1・73㍍、体重65㌔、右投右打)
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