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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

与那嶺要

2017-02-11 06:37:29 | 日記
1961年

「みんな友だちでしょう。テレくさかったね」これが与那嶺がベースを一周したときの感想だ。友だちというのは去年までいた巨人のこと。追いだされた古巣をたたきのめしたうれしさはないようだ。報道陣の方が意地が悪い。「胸がすっとしたろう」とか「気分はどう」という質問ばかり。与那嶺はそのたびに「そんなことはないよ。みんな友だちよ」ばかりをくり返す。オープン戦のころ「巨人戦のときは必ずやる」と鉄アレイをふりまわしては打倒巨人をねらっていたが、本番ともなると、そうえげつないこともいえないらしい」「中村(稔)?そう、ぼくがジャイアンツにいたときは多摩川で顔を合わせただけね。だからあまりよく知らない。バッティング・ピッチャー?うん、でもそういっちゃ中村に悪いよ。そのころだっていいボール投げていたよ」報道陣の質問の間にも外人の友だちやカメラマンに呼びかけられ、日本語と英語のチャンポンのやりとり。新チームの印象は「ベリー・ナイス」だそうだ。「四年ぐらい前から中日でやってみたいと思っていた」とまでいってのけた。一番仲のいいチーム・メートは石川。キャンプやオープン戦でよく二人で映画をみに行ったりしている。「石川、よく投げていたね。だからなんとか打ってやろうと思っていたの。その前の打席でも大きいの打ったでしょう。あれとられたけど、最初はいったかと思ったよ。別にヤマは張っていなかったね」ヤマは張っていないと力説したが、打たれた中村(稔)はそれを打ち消した。「そんなことありませんよ。ウォーリーは完全にヤマを張っていた。内角寄りの直球だったけど、自分では内角へ投げられるともう腰がまわらないというのを知っていたんでしょう。それでねらっていた」石川マネジャーの話では食生活に大へん気を配っているそうだが、遠征してどんなせんべいぶとんに寝かされても文句はいわないという。一番あとからバスへ乗り込んだ与那嶺にナインが全員で大声をあげたが、その歌声にまじって与那嶺の背中に黄色い声がとんだ。三塁側スタンドで応援していた光子夫人だ。「一緒に行こう。早く乗りなさい」与那嶺にせかされて光子夫人も選手のバスへ乗り込んだ。寄りそうようにすわった与那嶺夫妻にアテられたように中日のバスは威勢よく走りだした。

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