1971年
十八日午前十時ごろ、名古屋市中村区名楽町二、荻野荘アパート一階二号室の元プロ野球中日球団選手、吉沢岳男さん(38)の部屋で異臭がするので、同アパート経営者があけてみると、吉沢さんがふとんの中で死んでいた。中村署で調べたところ、死後五日ぐらいたっており、外傷もなく脳出血による病死とわかった。吉沢さんは長野県の松商学園を卒業後二十九年に中日にはいり、三十七年に近鉄へ移籍、中日に戻って四十四年退団するまで捕手として活躍、オールスター戦にも二回出場している。プロ球界から引退後はトラックの運転手をしていたが、奥さんと離婚、最近は四畳半の同アパートで一人暮らし、たこ焼き屋の店員として働いていた。
十八日午前十時ごろ、名古屋市中村区名楽町二、荻野荘アパート一階二号室の元プロ野球中日球団選手、吉沢岳男さん(38)の部屋で異臭がするので、同アパート経営者があけてみると、吉沢さんがふとんの中で死んでいた。中村署で調べたところ、死後五日ぐらいたっており、外傷もなく脳出血による病死とわかった。吉沢さんは長野県の松商学園を卒業後二十九年に中日にはいり、三十七年に近鉄へ移籍、中日に戻って四十四年退団するまで捕手として活躍、オールスター戦にも二回出場している。プロ球界から引退後はトラックの運転手をしていたが、奥さんと離婚、最近は四畳半の同アパートで一人暮らし、たこ焼き屋の店員として働いていた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます