1969年
新人の佐藤(大宮工)が、紅白第三戦に二回だけだったが無安打に押える力投で首脳陣を喜ばせた。この佐藤敬は高校ではエースの吉沢(慶大進学予定)のかげに隠れて、あまり騒がれなかった。しかし卒業試験でキャンプ入りしたのが十二日。それからわずか十日間しかたたないのにいきなり紅白戦に起用されるほどの「素晴らしい素質」(植村コーチ)を見せたのだ。ロッテには、同性の佐藤元彦もやはりエースの渡辺(南海)の控え投手だったがプロ入りして頭角を現している。「両佐藤の育ち方がそっくりだから、面白いぞ」と植村コーチもいう。本人は「紅白戦でも別にどうということはありませんでしたが、今後はシュートを覚えたい」と言い切っていた。
新人の佐藤(大宮工)が、紅白第三戦に二回だけだったが無安打に押える力投で首脳陣を喜ばせた。この佐藤敬は高校ではエースの吉沢(慶大進学予定)のかげに隠れて、あまり騒がれなかった。しかし卒業試験でキャンプ入りしたのが十二日。それからわずか十日間しかたたないのにいきなり紅白戦に起用されるほどの「素晴らしい素質」(植村コーチ)を見せたのだ。ロッテには、同性の佐藤元彦もやはりエースの渡辺(南海)の控え投手だったがプロ入りして頭角を現している。「両佐藤の育ち方がそっくりだから、面白いぞ」と植村コーチもいう。本人は「紅白戦でも別にどうということはありませんでしたが、今後はシュートを覚えたい」と言い切っていた。
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