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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

外山博

2022-06-04 21:18:34 | 日記
1966年
エース外山も1㍍83の長身から快速球を投げ中部地区大会では中京商を完封している。「ことしは優勝のチャンス。選手も自信をつけた。外山が2点以内に押えてくれれば…」鈴木監督の大きなハラに野心が波打っている。


主戦外山投手は、182㌢の長身から速球を投げおろす本格派。中京商を完封、自信をつけた。

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柿崎幸男

2022-06-04 20:57:08 | 日記
1974年
瓜生編成部長が、5位指名の柿崎幸男外野手(三沢高)獲得のため青森・三沢市の同校を訪れ、森田校長、高田野球部長、白川監督、父親・巴さん、本人をまじえ、話し合った結果、同意を得た。いずれも条件については後日話し合うことになっている。

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橋本啓

2022-06-04 20:57:08 | 日記
1997年
層の厚さを誇る天理の4人の投手陣の一人。188㌢の長身を生かした角度のある直球と落差のあるカーブが武器。他の投手に比べおとなしい性格で、丁寧に投げ、打たせて捕る。昨夏の練習中、デッドボールを顔面に受けて全治2ヶ月の複雑骨折。秋の大会で投げることはできなかったが、痛みをこらえて練習し、順調に回復。先月の紅白戦に登板した。センバツにはベストの状態で臨めそうだ。中川監督は「1点でも取られたら、投手を次々と代える作戦も考えている。中継ぎ、抑えとしての活躍に期待したい」


橋本啓投手(三年) マウンドに立ったら、打球を外野に一本も飛ばさないような投球をする。優勝候補の上宮と対戦してみたい。右投・右打。188㌢、85㌔。


先の選抜高校野球大会で初優勝を果した天理ナインが初戦を五回コールド勝ち。「夏」に向けて好スタートを切った。チームの柱となる小南、長崎ー東のバッテリーは温存。代わって「甲子園で投げられなかった悔しさをぶつけたかった」と言う右腕・橋本が公式戦初の先発登板を果たし、相手を無安打に抑える力投を見せた。


広島がドラフト8位で指名した天理高・橋本啓投手(18)=188㌢、85㌔、右投げ右打ち=の入団が七日決まった。契約金一千万円、年棒四百万円。背番号は「58」これで指名した八人全員の入団が決まった。宮本スカウトはこの日、大阪市内の橋本の自宅を訪れ、入団交渉を行なった。交渉には同スカウトと本人、両親が出席し、約一時間の話し合いで合意に達した。晴れて広島の一員となった橋本は「契約できてうれしい。一日も早く一軍へ上がりたい」とキッパリ。宮本スカウトは「一番の魅力は、柔らかいひじの使い方。これは教えてできるものではない。プロで大きく伸びてほしい」と期待していた。


橋本啓投手(188㌢の)身長から繰り出す球を見てほしい。一年目は体づくりをして北別府さんのように200勝したい。




1998年


97年春の甲子園では優勝しながらも、3番手で出番なし。ただし、スカウトが潜在能力の高さに注目。理想的なフォームから繰り出すストレートは威力十分。体が大きく、鍛えればさらにスピードを増すはず。

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マレット

2022-06-04 20:31:54 | 日記
2003年
抑え候補の新外国人マレットが、1軍初登板。「日本の打者はミスをせず当ててくる」と1安打を許したが、八回裏の1イニングを無失点に抑えて「点を与えなければOK。良かった」と笑顔をみせた。来日2週間足らずでまだ本調子ではないものの、久保投手コーチは「行けると思います」と手応えを感じていた。

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妻島芳郎

2022-06-04 20:14:27 | 日記
1964年


「防御率第一位、最優秀投手おめでとう、と皆さんからさかんにお祝いをいわれるのですが、本当のところ、なんだかピンとこないのです。全く予期していなかったタイトルだし、こんな6勝くらいの星ですから、もっと働いた小山さんや坂井さんなんかにも悪いみたいで…」降ってわいたようなラッキーな出来事でまだうれしいという実感がしみじみこない、といった表情で語る妻島投手である。プロ入り三年、ほとんど下積みの敗戦処理投手として過ごし、栄光の座には程遠い存在と見られていたのだから、とまどうのもムリはない。彼がこの防御率を意識しはじめたのは対近鉄戦に勝って5勝目をあげ、第一位の可能性を中川スコアラーに教えてもらった時だ。「ハハン、そうかなと思ったけど欲は出しませんでした。意識し過ぎると肩に力がはいってタマに威力がなくなりますからネ、それにボクは人一倍汗かき症なので夏は駄目だが秋口から好調になるので自信はありましたがネ」「ボクも二十六才、いつまでやっても芽が出ないなら将来を考えなければならないと、ことしはハワイ・キャンプから決心していたのです。だから、いつかは監督の目に止まるような敗戦処理だろうが、リリーフだろうが、懸命にやったのがいい結果を生んだと思います。これがまぐれだなんていわれないよう、来年は20勝を目標に自分の可能性をためします」妻島投手は東京の中野生まれの江戸っ子。生家は中野にある生そば屋さん。日大二高から日通入り。日通では堀本投手の後を継いでエース的存在として、ノンプロ球界の花形だったことはファンなら先刻ご承知のことだろう。日大二高の三年後輩には現西鉄の井上善投手がいたが、すれ違いで面識はないそうである。二高野球部の小川先生にいわせると、「妻島も井上も高校時代は無口でおとなしいほうだったが、妻島のほうがシンが強い。でも妻島がこれだけのピッチャーになれたというのも、日通へはいってから古屋コーチに鍛えられたからだよ」母校である日大二高では栄光ある最優秀投手の座についた野球部の先輩を迎えて、沸き立っている真っ最中。「ボクの高校時代の思い出といえば、早実と試合をやって投げた時ボクとしてはまァ徳武、醍醐といったバッターばっかりマークしていたら、見たことのない一年生の左打者が出てきて、すごい当りをセンター後方に打たれたことがあるんです。これが後で聞いたら、早実にはいったばかりで五番を打っていた王だったんですよ」もう一度、王と対戦するようなことあれば…という口ぶり。このそば屋の息子、大晦日の晩ばかりは忙しさに見かねて出前をやったが、片手でドンブリを沢山持って自転車に乗る芸当が出来ず、肩を痛めては一大事なので、それからはごめんこうむることにしている。「ところが生そば屋の息子のくせに日本そばが嫌いで、ラーメンばかり食べて、店じゃ営業ボーガイだなんていわれるので、今度はウチでもラーメンをつくることにしてもらいました」は愉快な話。

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中山俊丈(義朗)

2022-06-04 18:54:08 | 日記
1963年
きょうからまた巨人ー中日四連戦だ。舞台は後楽園に移ったが、前節末中日球場で白熱の好ゲームを展開しており、こんどはいっそうおもしろくなりそうだ。中日球場では1勝1敗1引分けと五分の成績だったが、劣勢だった中日をささえたのは、エースの権藤や、巨人に強いといわれる河村ではなく、実に中山の功投だった。第一戦に中日が、中山をもう少し続投させていたら軽くものにできたろう。ゲーム後巨人の川上監督が冷や汗をかいていた。そして第三戦では、七回まで巨人に三塁を踏ませなかった中山の好投が大きな勝因となっている。ことし中山がはじめて先発した七回戦、次の八回戦では前半でKOした巨人打線も、七月十八日の十回戦では、六回まで2安打に押えられており、それ以来中山にはかなりてこずっている。中山の巨人に対する成績は30回2/3で27安打、10三振、3四球、9自責点。ぴたりと押えているわけではないが、大きくくずれることはない。とくに四球3が示すようにコントロールがいいのが特徴だ。先日の十三回戦で連続三振した王は「外角に流れるスライダーがいい。真ん中のストレートのようにみえ、引っ張ろうとすると、すーっと流れるのでタイミングがあわなかった。左の横手投げははじめてなのでちょっとまごつくね。それにあのときは、広島でホームランが出て調子がもどってきたときだし、無意識のうちに引っ張ろうとしていたんだ。やっぱりあのタマは左翼へたたかなくては…。最初に中山とぶつかったときは、レフトへ本塁打しているんだから・・・」と語っており、比較的よく打っている長島でさえ「徹底した逃げのピッチングなのでいやだ。外角に沈むシュートは実にきわどいコースにはいるよ」とあまり中山を歓迎していない。中山のピッチングは長島のいうように、右打者に対しては外角一杯のシュートでカウントをかせぎ、からだを泳がすようにして内角球でつまらす。左打者に対しては、シュートは内角にはずしてつまらせ、外角のカーブ、スライダーで泳がせるというぐあいに、ホームベースの幅をいっぱいに利用している。これまでの巨人打者をみると、この横の変化に対し、ただ漠然と打っている感じだ。スピードがあるわけではなく、打てそうな気がするだけに中山攻略のくふうが足りないのではなかろうか。

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川内雄富

2022-06-04 18:30:10 | 日記
1966年
小がらなからだに似合わず馬力がある。上田コーチは川内を評して「彼の魅力は肩のいいこと。足も早いし手首も強い。うまく鍛えるとおもしろい選手になる」川内はテスト入団。五十人近い選手の中で抜群の成績を残した。そのときの記録は遠投力97㍍、50㍍の走力は5秒9。バッティングも右翼ライナーで3本もたたき込んだ。現在広島で最も強肩といわれる寺岡でも遠投95㍍だから川内にはかなわない。キャンプでは若手組。午前中はからだづくり。レギュラーの時間がすんだ午後三時からようやく実戦的な練習に取りかかる。若手担当の米山コーチは「若い連中の中ではズバ抜けた存在だ。掘り出しものだがしいて欠点を取り上げるならバッティングでステップが広すぎるために打つポイントが早すぎる。多少右ひざの堅さも作用しているかもしれない。阪神の並木を小がらにしたようなタイプだな」大学出身の竹野、佐野らにも匹敵する素質の持ち主であるという。おとうさんを六歳のときうしない、三年前おかあさんにまで交通事故で先立たれた。逆境にあって川内は「お前は野球選手になれ」というおふくろさんのことばを忘れなかった。広陵高校を二年で中退、テストという狭き門を突破し、待望のプロのユニホームを着たのだ。「実力ではいれ」という親の願いを手にした川内は目的に向かって真一文字だ。連日懸命にボールと戦っている。「希望どおりカープにはいれたからには自分の住む世界はここだけしかないつもりでがんばる。金を積まれてはいったというのではない。自分の生活のためにこの道を選んだ川内は、すでにりっぱなプロの心構えを持っている。藤村コーチは早くもこの川内を二軍の一番バッターに予定している。「素質のうえでは申しぶんない。根性もしっかりしており、近ごろの若い者には珍しく礼儀正しい。順調に伸びれば今シーズン中盤には一軍入りの可能性がある」鬼将軍の異名を持つ藤村コーチはなかなか人をほめないが、川内は違う。日南では連日レギュラーポジションをめざして着実に前進を続けている。

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