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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

田沢芳夫

2017-01-15 09:07:20 | 日記
1961年

九回三番からの近鉄の反撃を3人でかたづけた田沢はケロリとした顔。「別にスピードがあったわけでもない。それでいてほとんどまっすぐで勝負したんだからね。あっ、いいコースへはいったと思っても打たれなかったのは近鉄がどうかしていたんだろう」33年6月13日の対近鉄戦に完投シャットアウトして以来約3年ぶりの好投だ。だが野村捕手はこの3安打の好投を「非常にコントロールがよかったな。ぼくが注文したところをはずれた球は5、6球しかなかった。立ち上がりからコントロールがよかったからカーブを投げさせなかったんだ。だいたい田沢はカーブ投手だが、いつまでもカーブばかりにたよっていると進歩がないしね。いいチャンスだと思ってシュートで真っ向からのピッチングをさせたんだ。打たれればぼくの責任にもなるし、田沢にも気の毒なんだが・・・。まあバクチが当たったんだよ」と決してフロックではないとそのピッチングを分析した。それを田沢にいうと「そうか、なんだかいつもとようすが違うと思っていたんだ。でもこれでぼくのピッチングにも幅ができたということになるんだな」といきいきした顔つきになった。田沢が先発するとふしぎにバックが点をとるというジンクスがある。この日も二回に3点をとった。「ぼくはしあわせものですよ。いつもシリに火がついているような気持ちじゃないからね。前半で大きくリードしてくれるほど投手にとって楽なことはない。ことしの8勝のうちほんとうのぼくの力で勝ちとった星は3勝くらいだよ。みんなバックのおかげだ」と低姿勢。「シャットアウト?ええ、もう何年になるかな。とにかくずっとむかしのことのように覚えている。もちろんうれしいね」こんな田沢を中原コーチは「4年くらい前だったかな。正統派の投手として大いに期待もし、事実18勝した。それが肩をこわしてから逃げるピッチングになってしまった。だがまだ田沢は力で押せる投手だ。その点シャットアウトしたということよりも、きょうの内容が非常にうれしい」と喜んでいる。ことしで7年目。「なかだるみの不調をことしこそとりかえしてみせる」と田沢は張り切っていた。
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祓川正敏

2017-01-15 08:53:25 | 日記
1961年

祓川は六月はじめから二軍と一軍の二重生活をはじめた。鶴岡監督から二軍の柚木コーチに「祓川をなんとか八月に間に合わせるように」との特別指令が出されたからだ。祓川は死にものぐるいで調整した。ウエスタン・リーグは6試合で3勝3敗。3つの黒黒をふり返ると「必ずといっていいほど。負けまい、負けまいとりきんでいた」そうだ。その気持ちをいくらかでもセーブするために祓川は横の変化にたより出した。それがこの夜の初勝利につながった。「調子はよくなかった。第一スピードがなかった。スライダーを多投して切り抜けたが・・・。それとコントロールのよかったことが完投できた原因でしょう。シャットアウトは確か一昨年からやってないはずです」東京浅草の人気者大宮敏光に似ていることからデンスケとかわいがられている祓川は「六回から九回までの4イニングに10三振というのはわれながらおどろきですよ。五回あたりで疲れたので六回から軽く投げたら意外に球が走りましてね」と特徴のある大きな目をクルクル。そこへ鶴岡監督がやってきた。最近の鶴岡監督は「やせた」とズボンをゆすりあげるのがクセ。このときもそれをやりながら、しかし顔はニヤリ。早く祓川を解放してやってくれといわんばかりにしばらくはそこを動かなかった。土井垣武氏はそのピッチングを「スピードも以前とくらべいくらか出てきているが、それよりピッチングがうまい。コントロールもよく阪急を外角攻めにしたのがよかった。阪急はそれをムリに左に引っ張ろうとしたため凡打をくり返していた。こんご東映、西鉄あたりに向きそうなピッチングだ」といっていた。
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