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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

藤沢哲也

2011-10-29 16:27:50 | 日記
当初、中日入りは難航した・・・・中日に1位で指名されながら難色を示している藤沢投手は契約金での不満が原因となっている。1位で指名されたのだから当然、規定最高の金額を提示されると考えていた藤沢家、これに対して中日は人気の点でもう一つ
、さらに即戦力としては期待薄のこの未完の大器に一千万円は、はずまなかった。藤沢自身は「1位に指名されたことでプロ入りのことを相当考えました。でも中日は、ボクのことをあまり必要ではないようですね。いまでは進学する気持ちです。中日の条件が変わったら周囲はどう変わるか分かりませんが、ボクはもう変えられないと思う」藤沢は条件の不満だけだはないという口ぶりだった。

ことし「1971年」5月に1塁から投手に転向した藤沢は背番号「3」をつけて甲子園のマウンドを踏んだ。一回戦で敗れたが
本格派の左腕として多くの球団からマークされた。スピードがあっても、まだ荒削りで制球力にも不安があったが、高校球界
ナンバー1・左腕として「2,3年先が楽しみな投手」として周囲の評価は一致している。

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三橋豊夫

2011-10-29 16:27:34 | 日記
1メーター82・75キロの堂々たる体格は「金田2世」と呼ばれた本格左腕だったが、制球力がさっぱりでファームで基礎から鍛え直したが安定感はなく下半身が突っ張って上体だけで投げるピッチングは治らなかった。球威は抜群で大きなカーブを武器とした。

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竹村一義

2011-10-29 16:26:33 | 日記
フォーム・・・右オーバースローの本格派

球種・・・ストレートはMAX145キロ程度、スライダー、シュート、チェンジアップ、決め球は落差のあるカーブ

1971年の資料
・「四年目の今年はかなりやるんじゃないか」と首脳陣から目をかけられているのが、大洋の竹村投手。高知県安芸高から入団して以来、毎年のように「今年のホープさん」と注目されながら伸び悩んだ大型投手。一軍戦には43年、44年に各一度、リリーフで登板しているが、ほとんどがファーム暮らし。1メーター80センチ、75キロという投手としては理想的な体を持て余していた。しかし昨年は、稲川コーチの好指導もあって、イースタンで5勝4敗「1完封」と腕を上げ今春のオープン戦では中日戦で初先発、谷沢にホームランを浴びたものの、5イニングを5安打に抑え、プロ入り初の一軍戦で勝利をあげている。竹村はもともとスピードで押す本格派。しかし、これまでは無制球がたたって、自分の投球が出来ないうちに降板させられるというケースが多かった。「でも、中日戦の初勝利で自分なりにやれるという自信がつきました。速球でぐいぐい勝負指定いくのがボクの身上。今年はやりますよ」大変なやる気である。平松、小谷らに続く右の本格派有望株、竹村の飛躍を期待しよう。

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三輪田勝利

2011-10-29 16:25:30 | 日記
フォーム・右オーバーハンドの技巧派

球種・ストレート、シュート、スライダー

・・・ズバ抜けた上背を持っており、オーバーハンドで投げるのだがタマに角度が感じられないし、凄みがない。中途半端に制球力がまとまっているだけに打者に恐怖感も与えない。三輪田がプロで生きていくとしたら、持ち前のコントロールをかってのオリオンズ・小山投手のように正確無比なものにして、打者の欠点を丹念についていくピッチングしかない。となると即戦力とはならず、時間がかかることになる。タマにキレと角度をつけるために、上背を利用して、さらに腕を上からおろす純粋のオーバーハンドに改良したフォームがものになる日が待たれる。・・・・1970年の三輪田投手の評価

1971年の資料
三輪田が9月13日のウエスタンリーグ・近鉄9回戦「藤井寺」で1失点の完投勝利で11勝目をマーク、残り試合から見て三輪田の最多勝は決定的である。プロ入り1年目の昨シーズン三輪田は期待を裏切ってファーム暮らしに甘んじた。風当たりはきつかったが、その原因は決め球に欠けている点にあった。決め球がない以上、抜群の制球力が要求される。三輪田が今年になって勝つ味を覚えたのもコントロールがよくなったからだ。一試合平均一個にも満たぬ四死球率で稼いだ成績は11勝5敗。7月15日の阪神戦以来7連勝である。

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落合勤一

2011-10-29 16:24:23 | 日記
1970年にスリークォーターから下手投げに変え制球が向上した。

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広瀬新太郎

2011-10-29 16:22:55 | 日記
・フォーム・・・「注」あくまで1981年、入団時の情報なので、その後にフォームを改造していた可能性あり

高校時代、新浦「巨人」や鈴木「近鉄」のフォームを真似たという、しなやかな投げ方は首脳陣の注目を浴びた。大きなテークバック

とリストの強さを生かしたフォームは評価が高かった。


・球種・・・ストレートはMAX144キロ。鋭いカーブが持ち味だった。


広瀬投手・ベストピッチングゲーム
1983年・6月25日・大洋ーヤクルト11回戦「横浜」観衆2万人・試合時間・2時間45分
勝ち・広瀬・・・セーブ・斉藤・・・負け・尾花・・・本塁打・高木由3号
広瀬・投球内容・7回3分の2・安打6・三振1・四死球4・自責点2

ヤ000100010・2
洋02300000・・5

「弱投」大洋に待望の若き救世主が出現した。3年目の広瀬、21歳だ。20日に一軍に昇格したばかりのヤングに、先発を命じる
のは関根監督にとっても、冒険だったはず。その証拠にベンチに入っていた投手を次から次にブルペンに送って、いつでも救援できる
準備を整えさせていた。ところが、ベンチの不安をしり目に、左腕からの直球とカーブを中心に、8回途中までスイスイ。見事、初先発を初勝利で飾った。「試合前の練習中に先発を池田コーチにいわれました。せめて、5回まではなげようと思いました。それが・・・。
やっぱりうれしいです。55年のドラフト1位。中央球界では無名で、あの大捕手・野村克也氏の京都・峰山高の後輩ということで
注目を集めただけ。しかし、大洋関係者は「いずれウチのエース」と期待していた。前日「24日」野村氏に電話で一軍入りを報告したが、野村氏は「二年間あそんどったのか。名前を忘れていたぞ」とそっけなかった。だが、この勝利で大先輩も広瀬の名前を
はっきりと胸にきざむにちがいない。

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鈴木孝行

2011-10-29 16:22:29 | 日記
フォーム・・・・左オーバースロー

球種・・・ストレート、カーブ、シュート、決め球はナックルボール

・打撃が良く、イースタンでは5番を打つこともあった。

・プロ初先発
1982年・7月11日・西武ー南海・後期3回戦「西武球場」試合時間・2時間59分
勝ち・山内孝・・負け・鈴木孝・・・本塁打・山村1号

鈴木孝・投球内容・3回・3安打・三振3・四死球2・自責点3

南102000113・8
西000000010・1

・西武の先発投手は先日のロッテ戦で好投した高橋というのが大方の予想だったが、意表をついて左腕・鈴木孝。東北高から

電電東北ー東北クラブを経て入団した2年目の有望株だ。しかし「昨夜はあれこれ考えてなかなか寝付けませんでした。マウンドでも

、緊張して、考える余裕もありませんでした」というように、やはりプロ初登板は荷が重かったようで、3点を失って、3回で降板。

「何もかも勉強のやり直しです」と、肩を落としていた。

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下地勝治

2011-10-29 16:21:57 | 日記
フォーム・・・右オーバースローの本格派

球種・・・カーブ、シュート、ストレートは沖縄の星といわれた赤嶺「巨人」より速いといわれた。


1978年
沖縄での対ロッテとのオープン戦「3月5日」で、誰よりも人気のあったのが、ご当地出身のルーキー下地。古葉監督のイキな

はからいで、ダブルヘッダー第2試合の5回から登板すると、1万5千人のファンはどっと歓声を上げ、1球ごとに大騒ぎ。

甲子園の大舞台を経験しているとはいっても、プロでのマウンドは初めて。周囲の者は「あがってしまうのでは・・・」と気をもんだもの

だが、本人は平気。「高校のとき、練習では自分が一番へただと思え、試合では一番うまいと思え、というふうに教えてもらいました

ので・・・」が一つの武器になった。だから、マウンドさばきも堂々と、新人離れしたもので、走者を出して、得意のカーブでピシャリ。

2回投げて散発2安打と見事なものだった。さすがは「沖縄の星」と、いっそう評価を高めたが、マウンドを降りた下地は、すっかり

高校生に戻って、テレッぱなし。「やっぱりあがって・・・思うように投げられなかった」こんな下地に古葉監督は「キャンプには遅れて

入ってきたので、仕上がりも遅れているというのに、なんとたくましい奴だ。この調子なら、シーズン後半にはいけそうだ」と大喜び。

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近藤満

2011-10-29 16:21:08 | 日記
フォーム・・・184センチの長身から投げ下ろすボールは威力がある。

球種・・・ストレートは140キロ程度、大きく割れるカーブ、スライダー、シュート


・1982年ドラフト前には8球団が、挨拶にきたのだから実力のほどがわかる。大学時代の通算成績は13勝9敗。

近藤監督も入団発表の席上で「即戦力」と期待。同姓の投手誕生を喜んでいた。ドラフト4位・契約金3500万

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岡田光雄

2011-10-29 16:20:34 | 日記
フォーム・・・・右オーバースローの本格派

球種・・・ストレート、カーブ、決め球はシュート

制球力が課題だった。デビュー当時「1969年」はカミソリ・シュートを武器に将来のエースと期待されたが二年目頃から
右ひじ痛が悪化し不本意なプロ生活だった。


1970年の資料
・昨年、九勝を挙げながらオープン戦以来、調子の出なかった岡田も、ようやく一軍復帰へのメドがついた。ウエスタンリーグ初登板の南海戦では5回を1安打無失点に抑えたが3四球、続く阪急戦では4回で2安打、それに5四球の3失点と制球が乱れ、不安定な投球で首脳陣のまゆをひそめさせた。球威はあるのだから制球力さえよくなれば、岡田は立派に一軍で通用する。その日が首を長くして待たれていたが、4月下旬の西鉄戦で、やっと見通しがついた。この試合では先発して6回を3安打、無四球に抑えたばかりか、それまで奪えなかった三振5を記録した。「カーブのすっぽ抜けはちょいちょいやるが、一軍入りのメドはついた」中原コーチ談
「投手陣に一枚加えることができそう」三原監督談・・・首脳陣も待っていた「助っ人」に期待をかけている。

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伊藤優

2011-10-29 16:19:52 | 日記
フォーム、ピッチングの特徴・・・・・1984年ドラフト指名時の評価は「荒れ球が決まれば、関東・社会人№1サウスポー」といわれた。1986年、入団時のキャンプでは稲尾監督から「腕のしなりが非常に良いフォームだ」と高評価を受けていた。

球種・・・・ストレート、シュート、カーブ、スライダー、シンカー、ストレートは139キロ程度

・決め球はタテに大きく割れるカーブで、内角胸元を突く制球力がよい。


伊藤投手・ベストピッチングゲーム

1986年・10月16日・ロッテー南海26回戦「川崎球場」観衆2千人・試合時間・2時間25分

南000000000・0
ロ10200500・・・8

伊藤投手・投球内容
9回・被安打5・三振6・四死球2・自責点0

・ロッテの新人、伊藤は初回こそ球が上ずったが、しり上がりに直球と大きなカーブがいいコースに決まり、4度目の先発で

初完投・初完封をマークした。

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宮田典計

2011-10-29 16:19:16 | 日記
フォーム・・・・オーバースロー、大きなフォームが威圧感を与える。

球種・・・ストレート、パームボール、大きく曲がり落ちるカーブが決め球


プロ初勝利・・・1978年9月27日・中日ー阪神26回戦「ナゴヤ球場」
勝ち・宮田・・・セーブ、古沢・・負け・青山
本塁打・ラインバック14号、大島13,14号、掛布32号、マーチン31号

宮田・投球内容・5回・・6安打・・7三振・・・1四球・・・自責点1


阪神002100032・8
中日000101010・3

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クルーガー

2011-10-29 16:18:37 | 日記
フォーム・・・・188センチ、84キロという体格のわりには、しなやかなフォームを見せる。スリークォーターから投げていたかと思うと、いつの間にか腕はサイドからなり、突然、アンダースローになる、次は一転して本格的なオーバースローというように、変幻自在にフォームを使い分ける。

球種・・・ストレート2種類、カーブ、スライダー、シュート、シンカー、ナックルカーブ、・・7つのボールをあやつるミラクル投手。
ストレートは2種類で真っすぐな軌道ではなく微妙に変化しているという。決め球はシンカーで50球程度、なげたとしたら35球ぐらいは、この球種を使うという。


・1979年の資料
はじめて後楽園で投球練習したのが4月4日、時差にもそろそろ慣れてきた頃で「体調は、ほとんどベストになってきつつある」といった日。クルーガーのピッチングに釘付けになった。長嶋監督はニヤリとした。「三振をとるタイプじゃない、しかし球が絶対に高目にいかない、捕手の構えたミットの位置よりほとんど下へいく」長嶋監督が思わずビックリして飛び上がったのは、それをいった直後だ。打席の横に立っていた長嶋監督のところへ、グググッと鋭い角度でナックルカーブが投げられた。一見、暴投のように見えたその球、なんと
ストライクゾーンを通っていた。受けていた福嶋は懸命になってミットを出したが捕球できなかった。「あんな球、初めて見たぜ」と長嶋監督はいう。「常にボールが変化するので打者にとっては打ちづらい、何勝できるとはまだ分からないが、そこそこいけると思うよ」その言葉から長嶋監督のクルーガーに対しての期待度が高いのが、うかがえる。

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ビーン

2011-10-29 16:18:00 | 日記
フォーム・・・・193センチの長身だが上体だけで投げる不安定なフォームだった。制球力不足で四球を連発し自滅するパターンが

続いた。セットポジションになると球威は半減する。


球種・カーブ、シュート、あくまで長身を利かせたストレート中心の組み立てをする。


・ビーン投手ベスト・ピッチングゲーム
1985年・6月23日・・・・南野陽子の歌手デビューの日でもある
ヤクルトー広島12回戦「札幌円山」観衆2万5千人・試合時間3時間5分
勝ち・ビーン・セーブ・中本・・負け・川端・・・本塁打・衣笠13号

ビーン投手・投球内容・7回・被安打2・・三振3・・・四死球7・・・自責点3

・ヤクルトのビーンが来日最高の7イニングを投げ2勝目を挙げた。2勝とも広島からで、しかも6月に入って12勝2敗・1分けの

広島に土をつけたのは、このビーンだけというキラーぶり。「最初はストライクゾーンがつかめず四球を多く出した、調子はいまひとつ

だった。」そうだが「とにかく勝ててよかった、次は広島以外から勝ちたいね」

広010002000・3
ヤ20001010・・4

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中山孝一

2011-10-29 16:15:15 | 日記
フォーム・・・一風変わったフォームだった。振り上げた右腕をいったん肩でひょいと、かつぐような格好になる。それから豪速球を投げ下ろしてくる。この変則モーションに各打者はタイミングを狂わされ、大いに手こずった。

球種・・・ホークス時代の好調期は内角を突く速球に威力があった。スライダー、2種類のナックルボール、外角のカーブ

・ホークスの先発の一角を担っていた中山がアクシデントに見舞われたのは1977年のオープン戦だった。彼は先発していた。その5回、突然、肩が「ギクンッ」と鳴った。痛みがやってきた。が彼はそれに耐えた。その後の2,3ゲームも続けて登板した。「コーチに若いくせになんだ!だらしがないぞ!と言われるのがイヤで無理して投げた・・・」その無理がたたった。ついにボールが1メートルも投げられなくなりファーム落ちし、翌年もファーム暮らしだった。やがて彼はヤクルトにトレードに出されるが、惨めな思いを味わった。「肩が痛むのは投球フォームが悪いからだ。そんな素人みたいなフォームはプロでは通用しない」とコーチからいわれピッチングフォームを一から矯正するよう説得された。しかしプロへ入って10年間、その変則モーションで投げ続け一軍で勝ち星を挙げてきたフォームを今さら、矯正しろといわれても、どうなるものでもなかった。あげくにはコーチが「こんな投手、誰が獲ってきたんだ!」と大きな声でいっているのまで耳にした。ヤクルト時代は本当に辛かった・・・1シーズンでクビになった中山は南海時代・世話になった野村克也の紹介で阪神の入団テストを受け入団、1980年の米国キャンプでは「ナックルボール」が脚光を浴びたが彼はあくまでも「自分の決め球は速球。ナックルはその添え物に過ぎない」と威力あるストレートで押しまくった、かってのピッチング・スタイルに固執した。「速球派」から「技巧派」へのモデルチェンジに失敗した典型的な投手だった。

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