シリーズ平成の本音 笑える映像―7
11月30日、衆議院選挙を前にして日本記者クラブで与野党11党首による討論会が行われ、その模様は公共放送(NHK)を通じてTV放送された。各党首よりの発言の後、マスコミ幹事会社の代表より順次質問がなされる形で進められた。
その中で、最大購読者を持つある保守系新聞の特別論説委員H氏より、設立されたばかりの「日本未来の党/国民の生活が第一」の嘉田代表(滋賀県知事)に対し、どうも日本未来の党は小沢の影響が強いのではないかとの趣旨を質問した。嘉田代表が、どうして皆さんは小沢さんを恐がるのですかと話し出した途端、質問席の方向から“恐がってないよ、嫌いなんだよ!”という声が飛び、TVでも声が流れた。
笑ってしまう。というより失笑してしまう。
仮にもある程度公平性が期待される報道に携わる者が、好き嫌いで政治を判断しているとは余りにもレベルが低すぎるのか、底意地が悪いのか。ましてや公共放送を通じ全国の国民に党首の考え方を伝えるためのものであり、公共性にも反する。
また同特別論説委員が嫌いだとした小沢議員は、国民の生活が第一の代表などを務め、有権者から選ばれ10期以上国会議員を勤めている人であり、その議員に対し、あたかもメデイアの方が偉いのだと言わんばかりに嫌いだなどと公共の場で発言することは、報道人としての資格にも品位にも欠けると言えないだろうか。他方読者側としては、マスコミ各社にはそのような立場や体質があることを念頭に置いて取捨選択することが必要なのであろう。
どうも最近、マスコミに携わっている人の質が低下しているように見える。旧自民・公明党政権の下で半世紀以上報道に携わり、特定政党に偏り、上から目線で物事を見る報道関係者が増えているのだろうか。マスコミがビジネス化し、既得権益擁護に偏向して来ているのだろうか。本来、報道というのはある程度の公平性が求められるのではないか。またマスコミが政治等を批判する精神は不可欠であろうが、報道に携わっている者が常に正しいということでも、偉いということでもない。マスコミが長い間寡占状態を続け、批判する側に立ち、批判されることはないというひとりよがりの独善体制を作り上げ、それが既得権になっているのではいないかが問われても良い。マスコミを批判する者はバッシングして社会から追放すれば良いという考え方は、いじめに他ならず、これまで行っていたとしても容認されてはならない。
そのようなマスコミの公人に対する感情的で執拗な大人社会でのバッシングは、学校におけるいじめを誘発、助長する背景にもなっているのではなかろうか。
言論がもっと多様化し、お互いが切磋琢磨出来るようもっと自由化して行くことが望ましい。販売価格を固定する再販制が新聞には認められているが、それはいわば大手新聞による競争回避のための身勝手であり、再販制度を撤廃し価格を自由化することがマスコミの多様化、民主化につながるのではないだろうか。批判を受けないマスコミの存在は不健全である。読者が自由に選択できる体制が望ましい。
(12.12.2.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
11月30日、衆議院選挙を前にして日本記者クラブで与野党11党首による討論会が行われ、その模様は公共放送(NHK)を通じてTV放送された。各党首よりの発言の後、マスコミ幹事会社の代表より順次質問がなされる形で進められた。
その中で、最大購読者を持つある保守系新聞の特別論説委員H氏より、設立されたばかりの「日本未来の党/国民の生活が第一」の嘉田代表(滋賀県知事)に対し、どうも日本未来の党は小沢の影響が強いのではないかとの趣旨を質問した。嘉田代表が、どうして皆さんは小沢さんを恐がるのですかと話し出した途端、質問席の方向から“恐がってないよ、嫌いなんだよ!”という声が飛び、TVでも声が流れた。
笑ってしまう。というより失笑してしまう。
仮にもある程度公平性が期待される報道に携わる者が、好き嫌いで政治を判断しているとは余りにもレベルが低すぎるのか、底意地が悪いのか。ましてや公共放送を通じ全国の国民に党首の考え方を伝えるためのものであり、公共性にも反する。
また同特別論説委員が嫌いだとした小沢議員は、国民の生活が第一の代表などを務め、有権者から選ばれ10期以上国会議員を勤めている人であり、その議員に対し、あたかもメデイアの方が偉いのだと言わんばかりに嫌いだなどと公共の場で発言することは、報道人としての資格にも品位にも欠けると言えないだろうか。他方読者側としては、マスコミ各社にはそのような立場や体質があることを念頭に置いて取捨選択することが必要なのであろう。
どうも最近、マスコミに携わっている人の質が低下しているように見える。旧自民・公明党政権の下で半世紀以上報道に携わり、特定政党に偏り、上から目線で物事を見る報道関係者が増えているのだろうか。マスコミがビジネス化し、既得権益擁護に偏向して来ているのだろうか。本来、報道というのはある程度の公平性が求められるのではないか。またマスコミが政治等を批判する精神は不可欠であろうが、報道に携わっている者が常に正しいということでも、偉いということでもない。マスコミが長い間寡占状態を続け、批判する側に立ち、批判されることはないというひとりよがりの独善体制を作り上げ、それが既得権になっているのではいないかが問われても良い。マスコミを批判する者はバッシングして社会から追放すれば良いという考え方は、いじめに他ならず、これまで行っていたとしても容認されてはならない。
そのようなマスコミの公人に対する感情的で執拗な大人社会でのバッシングは、学校におけるいじめを誘発、助長する背景にもなっているのではなかろうか。
言論がもっと多様化し、お互いが切磋琢磨出来るようもっと自由化して行くことが望ましい。販売価格を固定する再販制が新聞には認められているが、それはいわば大手新聞による競争回避のための身勝手であり、再販制度を撤廃し価格を自由化することがマスコミの多様化、民主化につながるのではないだろうか。批判を受けないマスコミの存在は不健全である。読者が自由に選択できる体制が望ましい。
(12.12.2.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)