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靖国参拝、自民など国会議員63名他の意図!?

2017-08-26 | Weblog
 平成の本音―靖国参拝、自民など国会議員63名他の意図!?
 8月15日、「靖国神社に参拝する国会議員の会」のメンバーであるの衆・参両院の議員63人が、靖国神社を参拝した。政党別では自民党が尾辻元厚労相、高市前総務相、佐藤外務副大臣など55人の他、民進党から3人、日本維新の会から2人、日本のこころ1人が参加した。
 安倍首相は自民党総裁側近により榊を奉納させている。また稲田前防衛相、萩生田前内閣官房副長官及び小泉進次郎筆頭副幹事長は、個別に参拝している。
 靖国神社は、明治時代に統帥権を持つ天皇の下で国のために戦って命を落とした軍人を祀る神社として建立されたもので、軍関係者のための神社である。太平洋戦争で戦没した多くの職業軍人や軍関係者も祀られている。しかし戦後に米、英を中心とする戦勝国(連合国)が主導して、太平洋戦争を遂行した日本側の戦争責任者、指導者に対し極東国際軍事裁判(通称東京裁判)が行われ、東條英機首相、板垣陸相(いずれも当時)始め6人の軍人出身者、及び文人である広田弘毅首相の7人がA級戦犯として死刑と判決された。これら7名他の政府及び軍の戦争遂行責任者が、1978年10月に靖国神社に他の一般戦没者と共に合祀された。
 極東国際軍事裁判については、米英を中心とする戦勝国が主導したもので、日本国内には、特に新保守主義グループは裁判の公平性等に、異議を唱える者がいる。戦後、日本国内で天皇を含め時の政府の戦争責任が総括されたことはないので、戦争責任については曖昧なままになっているのが現実のようだ。
 しかし、東條英機首相などA級戦犯が1978年10月に靖国神社に合祀された後、終戦を宣言した昭和天皇を靖国を参拝しておらず、また現行天皇も参拝していない。
 これら新保守主義と見られる議員等は、天皇が2代に亘って参拝しない靖国神社を何故参拝し、或いは榊を奉納するのだろうか。安倍首相は靖国神社参拝(2013年12月)に際し、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達に尊崇の念を表し、ご冥福を祈るのは国のリーダーとして当然」と答弁しているが、今回もこれら議員がA級戦犯となった人々を含めて、「尊崇の念を表し、ご冥福を祈った」のであろう。しかし、ここで誤った言葉の綾がある。「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達に尊崇の念を表し、ご冥福を祈る」云々とあるが、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達」は一般将兵であり、戦犯と呼ぶか否かは別として、東條英機首相はじめ時の政府及び軍の首脳部は、第2次世界大戦を決断し、主導した責任者であり、200万人余に及ぶ兵士、軍関係者を犠牲にし、東京大空襲、沖縄戦、広島、長崎の原爆投下を含めて100万人以上の一般市民を犠牲にした責任者であるので、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達」としてひっくるめて表現するのは誤りではないだろうか。
天皇は昭和天皇も平成天皇も靖国参拝をしておらず、いわば天皇の意に反してこれら議員等は参拝し、榊を奉納していることになる。
 これらの議員グループは、憲法改正を唱えているようだが、基本的に天皇制を擁護し、‘日本は天皇を中心とする神の国’などとの考え方に立って、天皇を‘国家元首’として憲法に規定し、天皇制の恒久化を図り、保守政治を常に政治の中心に据えることを意図する一方、天皇を祭り上げて内閣が実権を握ることを意図しているように映る。いわば天皇を利用して保守政権の恒久化を図ろうとしているとも解釈出来そうだ。
これら議員グループは、第2次世界大戦突入を決断し主導した天皇を含む時の政府、軍の首脳部の責任をどう考えているのだろうか。(2017.8.20.)
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加計、防衛省日報隠しの内閣怪造!

2017-08-26 | Weblog
 平成の本音―加計、防衛省日報隠しの内閣怪造!
 8月3日、安倍首相の下で第3次の内閣改造が行われた。新たに大臣になられた方々にお喜びを申し上げると共に、国家、国民の利益のために適正に仕事をされることを期待したい。
 しかし今回の内閣改造は、一言でいうと加計学園問題と防衛省日報問題で矢面に立たされた松野文科相と稲田防衛相、更に共謀罪法で迷走した金田法相を外し、これらの問題を文字通り閣外に始末した加計、防衛省日報隠しの内閣怪造と言えないだろうか。
加計学園問題については、首相の関与、指示を否定し続けた萩生田官房副長官は官邸から外されたが、自民党の幹事長代行として党内で処遇されている。同党も党としてそれを容認しているということであろう。
そもそもこれだけ官邸や国会を騒がせている問題で、加計理事長が雲隠れし、国会どころかマスコミを通じても何の説明もしていないのは変であろう。こんな無責任な理事長の下で獣医学部を大学として認めて良いものであろうか。
 森友問題については、超安値の国有地売却や関連文書、データの1年以内での廃棄を‘適正な処理’として擁護し、また担当であった佐川国金局長の国税庁長官昇格を了承した麻生財務相は留任した。うまく乗り切ったということであろうか。恐らく国民感情とは離れているのではなかろうか。
内閣改造後の記者の質問に対し、同財務相は、改めて財務省内を調べる積りはないとしつつ、‘この問題は警察が調べているので、警察に任せればよい’旨答えている。籠池理事長夫妻は、1億円にも満たない補助金問題で別件逮捕されている。しかし他方で国民の財産である国有地の約8億円の破格の値引き問題がある。財務相は、警察(検察)が調べていることを承知し、容認しているということのようなので、検察・警察当局が文書やデータの廃棄、隠ぺいを含めて早急に適正に調査することが期待される。徴税を含め財務省への国民の信頼性、適正さの問題に大きくかかわっている。
このような問題は、内閣を改造したのだからもういいのではないかという意見がある。それは安易すぎる。この3つの問題で起きていることは、行政組織、公務員管理職等の基本的な倫理、内部統制にかかわることであり、短期的な問題ではない。時の政権を擁護するために、嘘をつき、関係資料やデータを隠し、廃棄することが容認されてしまう。いくらじょう舌にもっともらしことを語っても、嘘っぽく聞こえる。
首相サイドは、経済を優先し、結果を出すとしている。アベノミクスは、既に4年半実施され、結果は出ている。主に円安効果で観光や輸出産業を中心として一定の結果を出しているが、2%のインフレターゲットは未だに達成されておらず、消費は低迷し続けている。インフレの中での景気の低迷、スタグフレーションの状態と言っても良い。マイナス金利を含め、アベノミクスはいわば賞味期限切れであり、転換すべき時期だ。これ以上先送りしても意味がない。
 また消費税の10%への再増税を実施するとしているが、‘税と社会福祉制度の一体改革’は、消費増税をしたものの、国民の期待と自・公連立政権の下で、真逆の方向に向かっている。年金支給の減額と後退、そして介護保険を含む医療負担の増額だ。国民は、消費増税により、社会福祉の向上、改善を期待した。しかし自・公連立政権の下で、社会福祉は受益者にとっては改悪された。だから国民は、年代を問わず、生活防衛のために徹底して節約する以外にはない。預金をしても金利機会は、2009年以来既に8年間も奪われている。‘税と社会福祉制度の一体改革’は民主党政権時代に提唱されたものだが、自・公政権では名ばかりで、受益者利益には繋がっておらず、その真逆の結果となっている。(2017.8.4.)
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財務、防衛を含む行政中枢の倫理と内部統制の破たん!

2017-08-26 | Weblog
財務、防衛を含む行政中枢の倫理と内部統制の破たん!
 南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に陸上自衛隊員が派遣されていたが(2017年5月撤収)、同部隊が本部に行っていた日報が防衛省により公表されず、隠ぺいされていたことについて、稲田防衛相は7月28日、特別防衛監察の結果を公表した。
 国連平和維持活動に自衛隊を派遣する要件として最も重要な点は、紛争当事者間の停戦合意が維持されているか否かということであるだけに、南スーダンで武力衝突や戦闘行為があるか否かが大きな問題となっていた。現地部隊よりの日報には、南スーダンにおいて政府軍と反政府軍との間で‘戦闘’が発生していたことが報告されていた。
 今回の特別防衛監察結果から、陸上自衛隊及び事務方トップの事務次官については隠ぺいに直接関与していたことが明らかとなったが、防衛相による承認や黙認については、あいまいな表現となっている。
 今回の監察結果から、防衛省による‘日報’隠ぺい事件について次の点が明らかになったと言えそうだ。
 1、防衛省事務方及び陸上自衛隊の不適正な情報管理と隠ぺい
 陸上自衛隊幕僚は、現地よりの日報で‘戦闘’状態と報告されていたこと自体を隠そうとした趣だ。公表すれば、部隊の引き上げが問題となるからだ。何故そう判断したのか。
 情勢を甘く判断していたか、現自・公連立政権が前のめりの安全保障政策や国際貢献を取っていることを配慮してのことか。一部の保守専門家等は、自衛隊が引き上げれば国際的な笑いものになるからとしている。しかし、一部外国部隊は撤退している。いずれにしても自衛隊員の命が掛かっている上に、国連平和維持活動(PKO)の派遣条件が満たされなくなったか否かを判断する重要な事態である。適正な判断が不可欠であるのに、情報を隠ぺい、破棄するのでは、国民を欺く結果となる。
 陸幕が事務方のトップである事務次官と協議した際、‘戦闘報告は、個人のコンピュータにファイルされていたもので、公的情報とは言えない’との趣旨で不公表と判断されたとされる。あり得ない。
 そもそも防衛省、自衛隊には、‘個人のコンピューター’の使用が認められているのか。そうだとすると、防衛省の情報は何時でも個人に持ち出されることになる。あり得ない。個々の担当官が使用しているのは、すべて同省の公的な‘コンピューター’であり、そこにファイルされている情報は、文書にしろ、データにしろ、基本的には公的情報であり公的に管理されるべきものであろう。
 いずれにしても、事務方も陸自も日報を不公表としたばかりか、一部破棄し、隠ぺいした。これが国連平和維持活動ではなく、日本自体の安全保障にかかわることであれば、国民は情報を隠されたまま、防衛省の言うことに騙される恐れがある。そのような防衛省、自衛隊に日本国民の安全を任せることは難しい。
日本を巡る安全保障環境が悪化している今日、本来であれば防衛に必要な兵器や軍事機材と兵力の増強が不可欠であるが、このような防衛当局に更なる兵器や兵力を預けることは難しい。厳に防衛に必要な兵器、兵力水準にとどめるべきであろう。兵力も、陸自を大幅に削減し、空、海の防衛力強化を優先することが望まれる。
2、稲田前防衛相は、未だに国会、国民に嘘をついている
日報隠しに稲田防衛相(当時)が主導的役割を果たしたことはなさそうだ。しかし、2月の予算委審議で野党からこの問題を追及される中で、同大臣は陸幕幹部及び事務次官から‘情報公開の手続き’などについて説明されたとされている。しかし、そこにおいても稲田防衛相は、日報データの存在は知らされておらず、また日報不公表を了承したことはないとされている。あり得ない。
国会で日報問題が厳しく追及されている最中に、一般的に‘情報公開の手続き’などの説明に終わっていることはないであろう。百歩譲っても、大臣自体が質問もしなかったとすれば、不真面目且つ無責任であろう。
同大臣は、‘一般的な監督責任’で辞職したとしている。同大臣は日報データの存在や日報不公表の了承(黙認)はないとしているが、明らかに保身のための嘘である。同大臣(当時)は、2月以来、国会で日報データの存在や日報不公表の了承(黙認)を否定し続けていたので、知っていたとすることは、大臣が国会で嘘をついていたこととなり、大臣の職だけでなく、議員辞職を求められる恐れがあるので、真実は語れないのである。そのため、陸幕幹部も事務方も真実は語れず、大臣から嘘を強いられた形となっている。
防衛省、自衛隊は、情報を隠し、廃棄し、また大臣答弁とつじつまを合わせるために嘘をつかざるを得ない状態になっている。行政倫理と内部統制の崩壊である。
類似のことは、森友学園における財務省、加計学園問題における文科省、内閣府、官邸でも起こっている。
3、首相側が招いた破たんの連鎖
森友学園問題で、首相、首相夫人は、同学園の「教育勅語」(明治天皇の下で出されたもので、戦後廃止)に基づく復古的教育方針を信奉しながら、超低価格での国有地売却問題が国会で問題視されるにつれ、森友学園と距離を置き、事実に反する弁明をし続けた。そのため財務省当局は、それとつじつまを合わせるため、資料隠しと記憶隠し、嘘、資料・データの廃棄などの不適正な対応を余儀なくされた。そして財務大臣がこれを擁護した。国の財政を担う行政としてはあってはならないことであり、財務行政、ひいては行政全体への信頼性を大きく失わせた。
 加計学園問題についても、国会で問題にされ始めると、首相サイドは加計理事長との距離を取り始め、加計学園の影響を否定することに終始したため、内閣府、文科省、官邸は、資料隠しと廃棄、記憶隠しと嘘を強いられたと言えよう。文科省については、当初は資料、データはないとしていたが、メデイアや一部議員に漏れたことから、一部を公表せざるを得なくなった。しかしこれにより、内閣府や首相補佐官等が記憶隠しや嘘でつじつまを合わせざるを得なくなったのだろう。良く‘言った、言わないの話’として片付けられる傾向がある。しかし、一方には一定の資料と証言があり、他方には記憶がなく、相手の主張を覆すことは出来ないのであるから、資料のある方に分があると言えそうだ。また会ったことを認めておきながら、それは言っていないとの主張についても、相手には記録があるのだから、記録に分がある。記録とはそのためにあるのだろう。
 更に防衛省の日報問題については、防衛省、陸自の問題として取り扱われているようだが、海外で活動する自衛隊員の任務と生命にかかわることであるので、‘戦闘’状態が報告された段階で、当然のことながら国家安全保障会議(首相が議長)に報告され、公表の有無を含め、審議されて良い問題であろう。首相サイドは、あたかも第3者的な姿勢を取り、防衛省内の問題であるかのように振舞っているが、指揮権を持ち、国家安全保障会議議長である首相自身が対応すべき問題であろう。
 今回の森友学園、加計学園問題、及び防衛省の日報問題については、それぞれの問題での不適正な対応は正さなくてはならないが、最大の問題は、政権トップや関係閣僚の国会等での発言や説明が、関与、関係を否定し、事実に反する説明がなされたことに端を発している。そのため財務省、文科省、内閣府、官邸など、行政の枢要な関係部局でトップの発言に合わせるため情報を隠し或いは廃棄し、その上で記憶を消し、事実に反する発言まで行い、これが政権中枢により容認されたことであろう。それをやり通した担当局長が栄転している。公正、公平であるべき行政において、行政倫理と内部統制の崩壊という最悪の事態となっている。これが容認され、繰り返されれば、公正、公平な行政どころか、適正な行政事務までおぼつかなくなる。現政権は、この意味で戦後最悪、最低の政権と言えないだろうか。
 いずれの件も、情報や意図を国民の目からそらそうとはせず、それがなぜ必要か、どうすべきかなどをきちんと説明し、国会、国民の理解を得る努力をすれば、今回のような事態にはならなかったと思われる。
 この状態で内閣改造などが行われても、行政事務において情報を隠し或いは廃棄し、その上で記憶を消し、嘘をつくということが容認、黙認された形となるので、日本の行政事務に大きな禍根を残す恐れがある。
 官僚人事について、日本は原則‘終身雇用制’になっているので、欧米諸国にように、政権が変わると課長以上の管理職を変えるという慣行はそのままでは適用困難だ。変えるならそれに見合う職を提供しなくてはならない。そうでないと職にしがみつくために、政権の意に反しない行動を強いられ、いわば人事による恐怖政治に陥る危険性がある。基本的に、公務員については、総合政策職を含め、終身雇用の職階制(年功序列)から職能制(同一労働、同一賃金)にすると共に、定年を含め年齢制限を廃止するなどの抜本的な改革が望まれる。
(2017.7.31.)(All Rights Reserved.)
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森友学園問題の責任者栄転、財務省の内部統制崩壊!!

2017-08-26 | Weblog
平成の本音―森友学園問題の責任者栄転、財務省の内部統制崩壊!!
 森友学園への国有地安値払い下げ問題で財務省の責任者であった佐川宣寿理財局長が、国会閉会後の7月5日、国税庁長官に任命された。中央省庁の幹部人事は大臣の了承を得るが、人事権を強めている官房長など、最終的には官邸の了承を得て行われている。
 国税局長官は国民に税を課し、徴収する責任者であり、国民生活にとって非常に大きな影響がある役職であるだけに、この人事に強い疑問が呈されている。
 森友学園問題については、籠池理事長が傘下の幼稚園の補助金問題、いわば別件で起訴されているが、国民の財産である国有地を格安で払い下げたことが適正であったか否か、及びその間の‘関連文書やデータが存在せず、1年も経たない内に廃棄されている’ことを含めて国会審議は尽くされておらず、また国民に8億円余にも及ぶ不当な損害を与え、背任や公的文書管理義務違反等の不適正な処理についてほとんど調査が進んでいない状況での責任者の移動は、いかにも適正を欠き、国民感情を逆なでしているように見える。
 この問題に関する財務省の対応については、麻生財務大臣は、これまでの国会答弁で‘適正な手続きで行った’或いは‘関連文書は廃棄されていると承知しているので、無い’などと理財局の対応を擁護して来ている。今回の人事についても、同財務相は、‘国有財産行政を担当する理財局が丁寧な説明に努めてきたと認識している。そういう意味では財務省はきちんと対応してますんで、瑕疵があるわけではない’などとして、財務省の対応を擁護しつつ、‘適材適所’の人事としている。そもそも、多くの国民は、‘財務省がきちんと対応している’とは思ってはいないし、ましてや‘理財局が丁寧な説明に努めてきた’などとは思っていない。佐川局長(当時)が、国会での具体的な質問に対し、そのようなことを‘いちいち調べるのは差し控える’などと答弁している。国会や議員も軽く見られているものだ。マスコミやいわゆる‘コメンテーター’を含め言論界などもこの答弁でスルーしている。マスコミ力、言論力も権力やビジネスに寄り添い、著しく低下しているように見える。
 納税者にとってはこれ程の不条理はない。国民の財産に8億円余の損失を与え、その事務処理について関係資料やデータを廃棄し、更に具体的なことは‘いちいち調べない’としていた者が、国税庁長官となり、納税者の経理、財務活動を‘いちいち調べ’、税を取ることになる。
首相、財務相はじめ理財当局は、‘法令に基づき、適正な手続きに基づき処理をした’としている。その通りだろう。法令に違反し、不適正な手続きで処理していたら、直ちにアウトであり、処罰の対象だ。問題は、首相、首相夫人との関係を考慮して、政策的にえこひいきし、国庫に損害を与えたか否かであり、行政の公平性、適正さの問題なのである。もし財務省等が、首相や首相夫人の名に対する‘忖度’はないとするのであれば、売却時の決裁書類、価格や大幅値引きの根拠を含む資料を提出し、説明すべきであろう。敷地から‘ゴミが出た’ため減額したというのであれば、ゴミの種類や量、及び撤去費用の積算根拠や領収書や請求書類を提出し、説明すべきである。財務省は、これら文書を‘廃棄’したとしているが、公的文書の保管義務違反であり、国有財産に係るものだけに、厳しい懲戒処分に相当する。不誠実、無責任な業務振りであり、国家、国民に対する背任行為と言えよう。
 財務相を含め、この政権は、森友学園との関係を否定しようとしている首相、首相夫人を擁護するがために、関係当局に口止めや嘘や文書廃棄等を強いる形となっており、公務の管理能力や内部統制が欠如し、組織としての内部統制(コンプライアンス)とモラルが崩壊する恐れが出始めている。
 本来であれば首相始め内閣が、このようなずさん、無責任な行政について、関係事務当局を厳重に注意し、国民の納得が得られるような行政事務を行うと共に、誠実な説明と改善措置を提示するよう指示すべきであろう。政権与党である自民、公明の両保守党もまた、ひたすら首相側を弁護しているだけでなく、事務当局に対し実質的な改善を求めるべきではなかろうか。しかし内閣にも政権与党にもそのような姿勢は見られない。
 逆に責任者である理財局長を国税長官に移し、人隠し、資料の完全廃棄を図ろうとしている。行政組織の内部統制の確保の上では、現政権は戦後最悪、最低の政権と言えないだろうか。これでは国民は、行政を信用出来なくなる。
 佐川国税庁長官や麻生財務相は速やかに退陣すべきであろう。また関係文書の廃棄や今回の人事を行った財務事務次官はじめ関係幹部も国庫を預かる資格はなく、責任は大きい。
特に麻生財務相は、国庫を預かる真摯さに欠ける上、副首相として行政の統括を補佐する立場でありながら、‘丁寧に説明している’、‘瑕疵はない’などとして国民世論に逆行し、軽視する空気を漂わせており、内閣や行政を担う資格と真摯さに欠けているように映る。記者などは問題にもされていない。有権者は正しい選択を行うことが求められているようだ。
加計学園問題についても同様だ。首相が、獣医学部の設立につき、その問題の実質的な最高責任者でありながら、指示していない、関係していないなどとしているが、あり得ない話であろう。そもそも首相は、この問題の利害関係者である家計理事長と頻繁にゴルフをし、会食をしているが、公務に就いている者が、いくら親しくても、在職中に利害関係者とゴルフや会食自体をすることを控えることが倫理規定として定められており、これ一つとってもアウトなのである。(2017.7.14.)
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オリンピック2020、大会組織委の刷新が不可欠!

2017-08-26 | Weblog
シリーズ平成の本音―オリンピック2020、大会組織委の刷新が不可欠!
7月2日の都議選は、小池都知事が率いる都民ファーストが大勝し、最大会派であった自民党は議席を半分以下に減らし大敗した。これで都議会は都民ファーストの会が最大会派となり、他政党と連携し過半数を制することになった。
その原因は、森友学園の破格安値での国有地取得問題や加計学園に対する不明朗な優遇問題、共謀罪法案の強引な採択等、安倍政権の強引で不誠実な対応を背景として、閣僚や自民党議員による度重なる不祥事が拍車を掛けたと見られている。
 ところが東京オリンピック・パラリンピックは、都議選では話題にも上らず、低調に終わった。もともと東京では関心が低かった。また一部競技が行われる千葉、埼玉、静岡、神奈川等の各県でも、大会運営費は組織委等が負担すべきとして県レベルでの予算措置を取らないなど、県レベルでの関心も低く、一般都民や国民の人気や熱意が下がり続けている。これでは都レベルの大会となり、国レベルのナショナル・イベントとは言い難い状態となっている。
選手は各分野で国際的にも活躍しており、頼もしい。頑張って欲しいものだ。しかし大会組織委は、新国立競技場のデザインや予算規模、エンブレムのデザ
イン問題を巡り失態続きの上、昨年小池都知事が就任以来、組織委森会長が事ある毎に都知事と対立し、テンションを下げ続けている。都議選の結果を踏まえ、大会組織委を早急に刷新する必要がありそうだ。
組織委の会長は、都議会で自民党が最大会派であり、今回日和見的に翻った公明党と過半数を維持していた時代に、安倍政権の下で就任した。森会長は、自民党の最大派閥に属し、同党総裁となり首相を務めたが、失態が続きで支持率が7%台に下がり辞任した。だが、その後も同派閥は同党最大派閥を維持し、安倍首相を誕生させている。
本来であれば、世界平和を目指し、政治的には公平、公正であるべきスポーツの祭典オリンピックの組織委の会長は、政治家以外から任命すべきであったのであろう。マスコミやスポーツ界、言論界から異論が出なかったのも不思議だ。安倍政権の長期政権化を念頭に置いた政治的な選択であったのであろうが、余りにも政権へのすり寄りが強くなり、マスコミ力、言論力が低下しているということであろうか。
しかし今後、都議会が都民ファーストの会を中心として審議され、知事が実質上のリーダーとなっている以上、東京都と組織委との関係が改善するとも思えない。大会運営経費の分担問題も一部を除き決着を見ているので、それを花道として、組織委の森会長と同会長がピックアップした財務省出身の武藤事務局長は速やかに勇退し、政界以外からの会長の就任が期待される。森会長は自著「遺書」を出版し、小池批判を含めて回顧をしているので、勇退を自覚しているのであろう。(2017.7. 8.)
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参議院審議を不要とした自・公両党と維新の会

2017-08-26 | Weblog
シリーズ平成の本音―参議院審議を不要とした自・公両党と維新の会
 6月16日、与党自民・公明両党は、参議院法務委でのテロ等準備罪法案の審議を尽くさないまま、‘中間報告’を参院本会議に提出し、そのまま採決した。同法案は、法務委での18時間弱という生煮えの審議のまま本会議で自・公両党と自民党予備軍ともなっている日本維新の会などの多数で採択したが、‘中間報告’での採択であり、審議が尽くされていないことは明白だ。
 同法案は、暴力団などの組織犯罪を撲滅する上で有用と見られるものの、277にも及ぶ準備的行為で国民を罪人に出来る法律であるだけに、慎重な審議が求められた。しかし金田法相は、‘一般人には適用されない’という当たり前のことを繰り返すのみで、具体的な質問には答えられず、事務方に答弁させる始末であり、担当大臣が理解できない法律を国民が理解できるはずがない。
首相自体も‘一般人には適用されない’との答弁を繰り返していたが、これは、‘一般人’が‘何もしなければ’ということであり、当然のことを言っているに過ぎず、誤った印象を与える不誠実な答弁でしかない。刑事局長は、‘一般人’がこの法律に触れるような行為をすれば対象になる旨答弁をしている。それにも拘らず、法相はもとより、首相さへも法律の基本的な解釈を理解せず、国民に安心感を与えた上、審議も尽くさず法案を強行採決するという乱暴且つ不誠実な対応をしている。
 今回の与党の対応から、次のことが言えそうだ。
 1、参議院は税金の無駄、廃止すべし
 与党自民・公明両党と日本維新の会が、参議院の審議を不要としたので、参議院は廃止しても良いのではないか。税金の無駄だ。
 そもそも現在の参議院は、衆議院のクローン組織、或いはコピーに近い存在であり、その必要性が疑われていた。それを与党自体が追認したに等しい。
 2、個性を失い、自分の意見を持たない議員―政党助成金は廃止すべし
 テロ等準備罪法は、本来テロではなく、組織暴力活動を防止する目的のもの
であり、この点でも疑義があるが、国民の6、7割が良く理解できない、十分な審議が必要としている中で審議を中断し、‘中間報告’で本会議採決を強行したところであり、それに自・公両党や日本維新の会の議員が一人も棄権も反対もしていないのは、独裁政党のようで非常に奇異だ。国民の疑問に答えようとする議員が出ても良いところだ。
 ‘党議拘束’に盲従するというところであろう。党の一体性を保つと言えば聞こえは良いが、議員の個性喪失、独自性の放棄でしかない。
 公明党は、支持母体が創価学会で、同じ宗教を信じるということであるの
で仕方がないのかもしれない。しかし国家緊急事態では、あらゆる形で政権側が権力強化を図り、公明党や創価学会関係者も同法の対象として捜査の対象になる可能性もあるだろうに。日本維新の会に至っては、自民党予備軍のようで、国政には意味がない政党になっている。日本に‘都’は一つで良い。大阪は大阪の有権者が決めることだろうが、東京には維新の会は不要だ。
 ‘党議拘束’が強く、議員の個性が無くなっているのは、国庫から各党に
政党助成金が出され、それを党が所属議員に給付していることが大きいように見える。議員は党から回された国民の税金をほとんど自由に使える。そもそも、有権者の4割前後が無党派層であるので、税金から党に助成金を出すのは筋が違うのではないか。政党助成金を廃止し、出すのであれば、政党を問わず、国が議員(候補者)に直接支給し、報告義務を課すべきであろう。
 3、現政権での憲法改正は不適切
 森友学園問題でも、加計学園問題でも、夫人を含めて国民の背後でいろいろ画策しているにも拘らず、それを隠そうとするばかりか、100万円の寄付はしていない、加計学園側には何もしていないなど、事実に反することを主張し、挙句の果てに関係省庁に対しつじつまを合わせるよう嘘や資料隠しをさせる結果になっている。その上、それを担当政府職員の勝手な行動によるとして片付けようとするなど、行政の適正管理能力や内部統制能力を欠くこと甚だしい。
 このままでは、官僚が嘘をついたり、資料を隠蔽、廃棄したりすることが容認されるという重大な結果を招きかねない。
 更に与党両党と日本維新の会は、国民が理解していない法案を通すために参議院を切り捨てた。まるで独裁政党のようだ。
 このような政権、政党の下での憲法改正は、独裁的で歪んだ結果になる恐れがあるので適当ではなさそうだ。そもそもこの政権は、選挙の際、憲法改正につき主要な改正項目を含む提案を国民に対して行って選ばれてはいないので、憲法改正を行うための国民からの信託を受けてはいない。(2017.6.19.)
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特区制度は特定人のための得区か!?

2017-08-26 | Weblog
特区制度は特定人のための得区か!?
 国家戦略特区制度を利用して、今治市に獣医学部を新設することについて、推進母体である加計学園の加計理事長が安倍首相と緊密な関係にある一方、国家戦略特区諮問会議の議長が首相であることから、首相が直接、間接にどのように関与しているかが問題視されている。
 特区制度は、規制緩和による経済活動の活性化の一手段として、全般的な規制は維持しながら、地区や分野などを限定して規制の対象から外す制度である。一見規制緩和に繋がりそうだが、行政上は規制の細分化、複雑化であり、審査手続きが細分化される。更に、組織面でも国家戦略特区諮問会議を新設し、内閣府が省庁横断的に事務を所掌するなど、屋上屋を重ね、複雑化しており、実体的には規制の撤廃、緩和からは程遠い制度となっている。
 今治市における加計学園による獣医学部の新設については、まず現在以上の獣医学部の新設が必要か否かであるが、京都府の京都産業大学からも提案がなされていたので、何故今治市なのか、何故加計学園なのかが問われなくてはならない。
 この問題をめぐり、同学園の理事長が安倍首相と大学時代からの友人であり、昭恵夫人も同学園の名誉園長であった他、現在でもゴルフや会食等で頻繁に交流している一方、「総理のご意向」とか「官邸の最高レベルの言ったこと」などと書かれた文科省のものと思われる文書が公表されたことから、国会の内外で問題視されている。これに対し、安倍総理大臣は「彼からこの問題について、頼まれたことはなく、働きかけていない」などと否定しているほか、菅官房長官も文書について、「怪文書のような文書だ」と述べ、また文書の存在の調査を求められた文科大臣が、‘その存在は確認出来なかった’など、働き掛けの事実や関係文書等の存在自体を否定し続けている。
 更にこの新設については、内閣府の担当審議官や和泉首相補佐官が関与している他、文科省出身の木曽氏が内閣官房参与として関与していたことが明らかになっている。木曽氏は、加計学園の理事である上、関連の千葉科学大学の学長であったことが明らかになっており、この問題への関与だけでなく、利害関係団体との実質的な関係者でありながら内閣官房参与を務めていたことから、‘利害の衝突’が存在する人物であるので、任命責任も問われるところだ。
 加計学園による獣医学部の新設については、余りにも首相サイドとの関係性が深い。それ自体に問題があるわけでは必ずしもないが、公務に就いている者が、新聞社を含め利害関係者と頻繁にゴルフをしたり、会食することは何かと疑惑を呼ぶので好ましくない。公務員の倫理規定ではこれを禁じており、首相や閣僚についても任期中は適用されるのであろう。
 また官邸首脳や自・公両党や一部保守系紙は、前川前文科省事務次官は、同省の天下り問題で辞任した人だとか、出会い系バーに出入りしていた人であるなどと言及し、同人の信頼性を疑わせる個人攻撃を行っているが、これは‘別件’で同人の発言を疑わせる‘印象操作’であり、森友学園問題同様、フェアーでないし、そのような批判をする資格もなさそうだ。首相サイドは、明らかに獣医学部の新設を強力に推進して来ており、‘関与はしていない’‘圧力を掛けていない’というのは嘘であろう。‘記録がない、文書等もない’も嘘であろう。森友学園問題同様だ。権力側が嘘や資料、記録の隠ぺいをしていながら、一方を別件で批判するのは如何なものであろうか。天下り問題にしても、文科省だけではない。若干関連団体や補助金団体への天下りは若干改善しているようだが、現在でもほとんどの経済官庁OB等が、企業等の顧問や社外取締役等として多数天下っている。その他省庁の天下り調査の結果はどうなっているのだろうか。
 しかし最大の問題は、首相や官房長官はじめ官邸、内閣府、文科省など、特区や教育行政関係者が、獣医学部の新設について、記録がない、文書が残っていない、記憶がないなどとこぞって関与していたことを否定していることだ。もし加計学園による獣医学部を今治市に新設することが必要で、京都産業大学の提案より適切であるというのであれば、その理由を具体的に説明すればよいことであろう。何故堂々と国民に対しその必要性、適切性を訴えることができないのか。何故、関与を否定しながら、国民の背後で事を進めようとするのか。森友学園の問題と類似する。今回の場合は、国家戦略として進めようとする政策において、特定団体、個人に便宜、利益を与えること、いわゆるえこひいきに直接、間接関与し、或いは推進しようとしていたものであり、公正、公平な行政の上でより責任が重い。
 関与を否定すればするほど、加計学園による獣医学部の新設が適切でなく、恣意的な筋わる案件であるとの印象を与える。
 安保法制の時に官邸が法制局長官人事に介入するなど、安倍政権下で官邸の官僚幹部への人事権が強化されている。これ自体は政権交代を前提とすると合理的な基準や範囲内の下で実施されることは必要であろう。しかし恣意的な人事介入が横行するようになると、官僚は首相、官房長官、大臣に物が言えなくなり、専制的な恐怖政治のようになる恐れがあり、物が言えなくなる。現状においては、首相や官房長官の発言や意向に沿わないことについては、記憶や記録にないと言い、また記録データや文書を廃棄したり隠したりするような行動が、今回の文科省や内閣府だけではなく、防衛省や財務省でも起こっており、非常に不健全で危険な状態にあると言えないだろうか。政策を歪めるだけでなく、真実を歪め、虚偽が正当化されようとしている。行政組織の統治能力、内部統制の欠如も甚だしい。
 最近、世界でマスコミ力も低下していると言われている。世論調査も当たらない。日本もそうなのであろう。マスコミが商業化、既成化し、報道やコメント、評論等がステレオタイプ化しているようだ。主要報道関係の論説クラス、評論家の多くは、官邸から食事等に誘われることを待ち望んでいるという話もある。だから呼ばれるような発言をし、記事を載せる。政府の考え方をいち早く報道することに追われ、それに対する疑問や多様な意見が見られない。このように政府内でもマスコミでも、発言がし難くなり、抑制され始めると、その傾向が加速し独裁化が進んで行くのではないだろうか。
 国家戦略特区は、アベノミクスの中でほとんど飛んでいない‘第3の矢’の規制緩和のいわば目玉として打ち出されたが、今日までほとんど成果が無いばかりか、規制緩和ではなく、規制の更なる細分化であり、実体的には規制の強化で、政権中枢に近い特定の団体、個人へのえこひいきや利益の供与になり易い制度となっていることが明らかになっていると言えそうだ。特区ではなく、得区だ。一定の条件で獣医学部の新設を認めるということでは‘規制緩和’だが、‘広域的に存在しないこと’という新たな条件をつけて規制を強化し、首相に近い加計学園による新設を認めている。
 特区制度などは廃止し、原則自由化し、もっと分かり易く、誰にでも公平に適用されるようにすべきであろう。原則規制ではなく、原則自由化として規制緩和を促進すべきであろう。原則自由化し、その上で弊害がある領域についてのみ規制すると共に、違反者には相当額の罰金を科すこととすれば、誰にでも公平で分かり易く、また罰金による違反者の抑止が出来るであろう。因みに、経済犯については、高額の罰金を科し、実刑は極めて悪質な事案以外は無くしてもよいのであろう。実刑判決を課しても、利益が残るようでは経済犯は無くならない。(2017.6. 2.)
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対北朝鮮の米・韓‘首斬り作戦’はグロテスクな軍事演習!

2017-08-26 | Weblog
シリーズ平成の本音ー対北朝鮮の米・韓‘首斬り作戦’はグロテスクな軍事演習!
 4月5日早朝、北朝鮮は2月、3月に続いてミサイル発射実験を行った。これに対し、ほとんどのマスコミは、北朝鮮の‘挑発行為’として非難した。また政府は、安全保障への脅威であり、また国連安保理決議に反する行為であり、‘断じて容認出来ない’として非難した。
 北朝鮮の今回のミサイル実験だけを取ってみればその通りだ。
 しかし他方で、米韓合同軍は、2016年から3月頃に北朝鮮の鼻先で「首斬り作戦(Beheading Operation)」と称する軍事演習を約1か月間実施しており、2017年も3月初旬より「首斬り作戦」を実施している。この軍事演習は毎年恒例のものではあるが、北朝鮮はこの米韓合同軍事演習に対し最大級の反発を繰り返してきている。米韓合同軍の北朝鮮の鼻先での軍事演習が北朝鮮への‘挑発’と映り、反発するのは不思議はない。その上2016年からの軍事演習の名称が北朝鮮の首脳に向けた「首斬り作戦(Beheading Operation)」であるので、この挑発に対し北朝鮮として強く反発して来ることは米韓両国にとっても想定内と見て良いであろう。
 南北朝鮮は現在も「休戦状態」であり戦争は終結していないので、どちらが先に挑発したかは直ちには言えないが、軍事的必要性は兎も角、「首斬り作戦(Beheading Operation)」とは何ともグロテスクで、野蛮な呼称ではなかろうか。北朝鮮でなくても反発するのは当然であると共に、国際社会がこのようなグロテスクで野蛮な軍事訓練や軍事行動を容認して良いものであろうか。カーボウイ時代のお尋ね者ハンテイングでもあるまいし、現在の国際社会において、特定国家によるこのような単独行動が許されて良いというものでもない。
 他方南北朝鮮間では戦争は終結していないので、北朝鮮の核・ミサイル開発が「休戦状態」を超える水準に達しているとの判断から、米国が北朝鮮の核・ミサイルを中心とする軍事拠点を攻撃することはあり得る。
 しかしそのための大きなハードルは、韓国の政治不安であろう。米国の北朝鮮攻撃には韓国の同意が不可欠だ。近く行われる韓国の大統領選挙で親北系の「共に民主党」の文候補が当選すれば北朝鮮攻撃は難しくなるという判断から、黄大統領代行の同意を取り付けて敢行できないことはないが、北朝鮮への軍事攻撃を行えば第2次朝鮮戦争に発展する可能性があり、戦争は長引くと予想されるので、次期大統領が選出される前の軍事攻撃は事実上難しそうだ。とすると軍事攻撃以外の強硬策となると予想される。
 ところで日本政府が‘断じて容認できない’としているが、それならば何をするのか、出来るのか。現自・公連立政権となって以来、核実験やミサイル実験のたびに、‘容認できない’旨繰り返してきているが、実態上有効な措置は講じられていない。せいぜい非難、抗議しているだけである。拉致者の奪還については何も結果を出せていない。被害者家族に言葉だけで期待を持たせているようだが、気の毒で仕方がない。(2017.4.6.)
(All Rights Reserved.)
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テロ等準備罪法案の採択は疑問 

2017-08-26 | Weblog
シリーズ平成の本音―テロ等準備罪法案の採択は疑問 
 テロ等の準備段階での行動を準備罪として罰することの出来るテロ等準備罪法案の審議が進んでおり、5月にも委員会採択となるとも伝えられている。この法案は、事実上‘共謀罪’を罰することが出来るようにするもので、277もの多数の犯罪が対象になる。‘共謀罪’については、官憲により国民活動が広範な悪影響を与えられるとして、過去に廃案になった法案である。
 この法案については、野党のみならず日本弁護士連合会なども反対しているが、次の理由で法案成立には反対である。
 同法案は、このような中で5月23日、衆議院において自民・公明両党と日本維新の会の賛成多数で採択された。国民に277もの多数の事項で嫌疑をかけ、場合により罪人とすることの出来るような法律を、担当の法相でさえ良く説明ができない状態でこのような形で成立させて良いものであろうか。
1、所管の法務大臣が答弁出来ない法案採択は不適切!
この法案の国会審議において、担当の金田法相が適切な答弁が出来ず、答弁を法務省の
担当局長が行っている。副大臣が答弁することもあるようだが、法相の答弁と異なることがあるようだ。
 法案の細部につき事務当局が説明することは良いが、基本的な内容につき担当大臣が答えられないような法律を、一般国民が理解出来るはずがない。そもそも277にも及ぶ準備行為が犯罪の対象となるが、これだけ対象が広がれば警察当局はいろいろな理由を付けてどんな準備行為でも捜査対象とすることが出来るだろう。
 いずれにしても法相を含め、国民が理解出来ないような法案は成立させるべきではないだろう。
2、行政当局任せは官僚独裁や恐怖政治を招く!
この法案が成立すると、その実施は警察・検察当局に事実上任せられることになるが、
現在の官僚組織は全幅の信頼を置くことは難しく、任せることは望ましくない。
 最近でも、防衛省が南スーダンPKO活動について‘日報’はないと虚偽説明をした上、報告資料を廃棄したなどとして国会、国民に真実を伝えようとしなかった。
 また森友学園への国有地の破格の安値の売却を巡り、‘適正に売却した’とし、首相や首相夫人の意向を‘忖度’していないとした上、記録はない、廃棄したなどとして、破格の安値の売却の具体的な理由を説明していない。国家、国民の財産のずさん且つ恣意的な管理であり、国民に損害を与えている。
 警察庁も嘗て、捜査費(機密費)を飲食に使うなどの不適正な使用につき疑問が呈された際、会計資料は廃棄したとして、国会、国民に対し誠意ある説明を行わなかった経緯がある。
 更に問題は、このような行政当局の不適正な行動や公文書、公的資料の保管義務違反に対し、現政権が何も有効な措置を取っておらず、内閣が「行政各部を総理する」とは言い難い状態のように見え、内閣による内部統制に疑問がある。このような状況で、警察、検察当局に対し、広範にわたる準備・共謀活動に対し捜査権を与えることは、健全な言論、集会の自由などを抑制する恐れがあり、いわば官僚独裁や恐怖政治を招く可能性がある。
 3、国連越境組織犯罪防止条約批准のためにこの法律は不可欠か?
 日弁連は、この法律が無くても国連越境組織犯罪防止条約は批准できるとしている。また日本は、多くの欧米諸国とは異なり移民人口が少ないので、欧米諸国と同じような法律は必要ないと思われる。同条約批准に新たな法律が必要かにつきもう再検討すべきであろう。新たな条約が必要としても、国際組織犯罪に絞った簡潔で分かり易い法律にすべきであろう。(2017.4.27.)
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森友学園という国民洗脳モンスター!?

2017-08-26 | Weblog
平成の本音―森友学園という国民洗脳モンスター!?
脳 森友学園(籠池理事長)に国有地(大阪府豊中市)を破格の安値で払い下げた問題が混迷を深め、日本の政体や憲法にも係る重大な政治問題に発展する様相を呈し始めている。
 同学園の籠池理事長の国会招致が焦点となっていたが、‘民間人だから’という意味不明な理由で招致に反対していた自民党が、一転招致を了承し、3月23日に証人喚問という厳正な形で招致されることになった。
 籠池理事長が、3月16日、記者団に、建設中の小学校は多くの人の意志があり建設されているとしつつ、‘安倍首相から100万円の寄付を頂いている’ことを明らかにした。安倍首相側は、首相としては寄付していない、昭恵首相夫人についても、個人としてもない旨明らかにした。自民党側は、これを‘首相に対する侮辱’とし、喚問に応じることになったものだ。偽証すると罰則が掛かる証人喚問とすることで、発言に抑制を掛ける狙いもあろうが、新たな真実が語られる恐れもある。
 籠池理事長としては、小学校認可申請を取り下げるようにさせられたことや、財務省当局から10日間ほど身を隠しているように要請されるなど、これまで好意的に対応して来た行政当局等が手のひらを返したように圧力を掛けて来たのに対し、同理事長が発言している通り‘しっぽ切りになる’のではとの危機感を感じ、長期政権になることが期待されている首相との関係を前面に出し、首相の威光を借りて行政当局等を封じ込めようとする意図が見え隠れする。そもそも、国有財産の超格安取得や小学校建設認可などが嘗てない速さで進められたが、首相夫妻の名を最大限に使って行うことが出来たと見られるので、国会等での追及に晒された行政当局を黙らせるには、籠池理事長と距離を取り始めたものの、森友学園の教育方針、信条に好意的な首相の威光を借りるしかないと思っているのではなかろうか。
 森友学園籠池理事長は、国有地格安取得、小学校建設許可などを‘安倍晋三記念小学校’、‘安倍昭恵首相夫人名誉校長’などの名前を巧みに使用して進めたことは明らかだ。これらの名称は、国有地取得問題が国会等で追及された後首相側から取り下げられた。首相が‘自分たちが被害者’と主張していることにも一理はある。しかし首相夫妻は、森友学園の幼稚園児に明治天皇が公布した強固な天皇制を前提とした「教育勅語」を唱えさせ、これに沿った‘修身教育’的なしつけや保守思想を教えていることに共鳴し、幼稚園に止まらず、それを小学校等へと繋げたいとする願望に賛同しているようだ。
 森友学園問題は、不明朗、不適正な国有地払い下げや関連資料の廃棄という国有財産管理上の問題や「教育勅語」をはじめとする保守思想を教える幼稚園や義務教育課程の学校に対し政府の補助金その他の優遇、支援を与える問題など、行政上の公正さ、適正さがまず厳しく問われなくてはならない。
 しかし日本の将来にとって、これらの行政上の適性さの問題と勝るとも劣らない問題は、森友学園が目指している教育勅語や‘修身教育’などに象徴される復古的保守教育を判断力や批判力のない幼稚園児から始め、更に小・中学校へと広げようとする意図が根底にあることではなかろうか。
 これは天皇制を旧帝国時代に準ずる強固なものにしつつ、恒久的な制度としようとするもので、その擁護者としての保守勢力を利すると言えよう。しかしこのような教育を、判断力や批判力のない幼稚園児や継続して小・中学校生にまで行うことは、いわば洗脳教育に等しい。森友学園による小学校経営が認められていれば、そのような教育を支持、擁護している首相や首相夫人を始めとする新保守主義勢力の支持、協力を得てどんどん広がっていたかもしれない国民洗脳モンスターとなる可能性がある。
 「教育勅語」は明治天皇の名で出されたものであり、その中に‘公のために奉仕し’というくだりがあり、それ自体は理解されるところである。しかしその次に‘永遠に続く皇室の運命を助けるようにしなさい’などとあり、要するに万世一系、天皇独裁を擁護しなさいとの勅語である。その下で‘修身教育’が行われ、天皇中心の専制君主国家の精神的な支柱となっていたが、明治憲法が廃止され、現行憲法が公布されたことにより、戦後廃止されている。信条、信仰の自由であり、私的にこれを教えることは自由であろうが、これを教え、従わせるような教育を行う幼稚園や小学校等に国(行政府)が補助金を与えたり、特別の優遇措置を与えることは、憲法で禁止されている‘国の宗教活動’には当たらないものの、国が特定の信条、思想を教える教育機関を擁護、助成することになるので問題であろう。
 文科省が「教育勅語」を教えることは法令上問題ないなどとしたり、稲田防衛相が「教育勅語」にも良いことが書いてあるなどとしているが、行政当局や閣僚が廃止になった「勅語」を教えることを容認する姿勢は、現行憲法に照らし適正を欠くと見られ、その是非が厳正に問われなくてはならなそうだ。
 籠池理事長が、この小学校は‘いろいろな人の意思に支えられている’としつつ、首相よりの寄付金を同夫人を通じ得ている旨公表したが、小学校建設が首相及び同夫人の意思もあって進められているのだと言いたいのだろう。
 もし今回この問題が表面化せず小学校が建設されることになれば、中学校等の建設にも発展する可能性があり、そうなれば幼稚園児からの国民洗脳教育が根を下ろす可能性があった。それ自体問題であるが、このような日本の将来に関係する重要な事柄を、国民にきちんと知らせることなく、首相や首相夫人、保守政治家、教育者、知識人などの新保守主義グループにより、背後で密かに進められていることがより重大な問題であり、国民としてもこのような裏の動きを精査することが必要なのであろう。更にこのような政治的な勢力が、中央官庁や地方行政府による‘おもんぱかり行政’を作り出しているとすれば驚きだ。
 このような保守勢力が、天皇を憲法上の‘元首’に据えることを含め、憲法改正や女性宮家の創設などによる天皇制の恒久化などを進めていることは注目に値する。保守勢力は、政権維持、或いは保守党を常に日本政治の中心に据えるため、天皇制、或いは天皇の権威を利用することが出来る。それを背後で首相等が密かに進めようとしているのであれば公正を欠く。国民にきちんと説明して行うべきであろう。
 森友学園の各種行事で、籠池理事長が壇上に掛けてある国旗に敬礼をしている姿は、官邸の記者会見会場に掲揚してある国旗に敬礼する姿に似ている。諸外国でも、国旗は大切にされ、また愛着を持たれているが、軍隊の国旗掲揚等の際を除き、一々敬礼する姿は見られない。国旗を偶像化し、権威の象徴としているのだろうが、その先に天皇の権威があるのではなかろうか。国民はそのような権威主義的な国旗や特定政党を利する天皇制を望んでいるのだろうか。そうなれば一党独裁の専制国家的色彩が強くなり、天皇は、‘国民統合の象徴’ではなくなりそうだ。国民の選択次第であろう。(2017.3.20.)
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