多分駄文のおじさん日記

我輩は駄文を書くおじさんである。旅、音楽、MLB、株式投資、etc., 日々想いつくままに思いを巡らすのである。

6月となった

2005-06-02 00:30:21 | Weblog
早くも6月。
衣替え、プール開き、と初夏の到来である。
仕事の方も、最繁忙期突入で、いよいよ頭で考えて対応するのではなく、反射神経で動かねばならぬ時期となった。
何とか気力で乗り切れるか?いや、必要なのは、体力の方だろう。


写真は、New Yorkマンハッタンの対岸にあるNew Jersey州, Hobokenという町の公園で日向ぼっこしている女性たち。2年前の6月中旬撮影のもの。丁度New York出張時に某日系金融機関(というと分かってしまうかな?)の訪問後にこの町を散策した。(当然、暑苦しい背広姿、であった。)

本来なら我輩も、こうして太陽の恩恵に預かりたいこの季節であるが、暫くは我慢我慢の日々である。

米系企業の或る日の光景

2005-06-01 00:47:00 | Weblog
Part-1

毎日200通ほどのEmailに目を通す。
現在は繁忙期で一日に300通以上、という日も少なくない。
90%以上は海外からのもの。米国本社を含めた社内のMailが大部分である。
先々週末、一通のMailが目を引いた。

殆ど毎日Mailのやり取りをしている米国本社の某Project の若手ManagerのNからのものだ。
いつものように、我輩からの質問やコメントに丁寧に応えてくれている。Mailだけではなく、1時間にわたる電話会議なども度々やってきた間柄だ。そんなやり取りをここ半年間続けている。東京で展開すべき或るプロジェクトをテクノロジー面で支えてくれた彼は所謂問題解決のためのプログラムを外部プログラマーとコーディネイトしながら作り上げ、当方の事業展開のためのツールをほぼ完成させるところまで辿りつけていた。

この3月には我輩が渡米し、初めて彼とひざ詰めで話をし、プログラムの組成にも電話やMailだけでは語り尽くせぬ日本人の要求度合いの高いディテールへのこだわりにも理解を示してくれた。

彼は我輩のファーストネームをやたら連呼する。アメリカ人にとっては普通のことだろうが、我輩にとっては、一生の中で親に名前を呼ばれた回数よりもこのNにそう呼ばれた回数の方が多いのではないかとさえ思えるほどであった。

その彼が、あと1週間後に会社を辞めることを決意した、ということを書いてきた。
外資系の場合、突如こういうことがある。辞める人間が特に自分の上司や、業務上の関連性の強い者だと、善し悪しは別として、自分の周りの景色が180度変貌することさえ普通の世界なのだ。
また、米国の人間は会社を辞めることを決して悪いこととは全く考えておらず、むしろ、この彼の退職もより良いポジションのオファーを受けた、所謂ステップアップのための転職が理由であるものと想像される。まあ、それにしても親しくなり、こちらの事情のよき理解者が米国本社を去る、というのは、極めて残念である。彼の開発したツールの方もこれからその実効性を発揮するところでもあり、陽の目を見る前に会社を去るのは、更に残念でもある。

先週の金曜日が彼の最終日であった。
こちらもこれまでの彼の大いなる貢献に感謝し、また今後の成功と幸運を祈る旨のMailを送ったが、彼からも、"Farewell"という件名のMailが来ていた。
いつものように我輩のファーストネームを用いた呼び掛けから始まり、「一緒に働いて素晴らしい仲間であった。」、「貴兄の協力なしには、このプロジェクトの成功は有り得なかった。」、「これまでの忍耐と努力を有難う....。」等等、日本語にすると、もう臭くてしょうがないような文章を連発してくれた。何とこういう、歯の浮く、というか、臭い文章、英語で書くと何故か抵抗もなく、映画の科白のようなカッコの良いものになってしまう。日本人同士だと、こんな表現とても恥ずかしくて言えないだろうなあ。
N君の将来に栄光あれ!


Part-2

米国は昨日月曜日はMemorial Dayで休日。
今日は休み明けなので、やっと米国本社の諸関係者連絡が取れると思い、Mailを打ちまくったが、この休日後も何日間かの休暇を取っており不在、というメッセージを残している者がかなり居て驚いた。

どうも米国の方は、業務上5月の最繁忙期がやっと終り、この休日を迎えた、ということで、3連休にプラスして、更に長い休暇を取る人間がかなり多いようだ。
不在メッセージには通常、不在中の連絡先担当者を紹介するシステムになっているのだが、酷いケースだと、不在中の連絡先に指定されている人間も休暇を取っていて、また更に違う人間がReferenceとして紹介されている、と言ったたらい回し状態が散見された。

多忙さから解放された米国人の弛緩、いつもは夜中まで電話やMailで対応してくれているので責める気にもならないが、忙しさに殺気立っている日本側の我輩としては、返事がすぐに貰えず仕事も遅れる腹立たしさ・苛立たしさもあり、ばかばかしくもあり、また一方では、やはり彼らも人間なのだ、とうい安堵感もあり、という妙な気分であった。

貴ノ花、逝く

2005-05-31 00:29:14 | Sports
夕刻、元貴ノ花の二子山親方逝去の報に触れた。

今年3月の春場所あたりから、相当悪い、いや危篤か、という報道があり、週刊誌などでも、親方の病状の悪さに加えて、家族の骨肉の争いを虚々実々に報じていたこともあり、どうも回復の望みは厳しいのだろうかと心配しておった。
それからすると最期も親方らしい粘り腰だったが、やはり病魔には勝てずに遂に土俵を割ってしまった。

貴ノ花、と言えば、我輩にとっては、「史上初の兄弟横綱」若貴兄弟の父親・師匠というよりも、また、「土俵の鬼」、と呼ばれた初代・若ノ花の末弟というよりも、やはり、自分と同時代を生きた名力士・貴ノ花そのものであった。

75年春場所の決定戦で無敵の憎まれ役(実は、我輩はかなり好きだった)北の湖を破って初優勝した時の世の中の興奮は今も記憶があるが、あれは我輩、大学生の頃であった。
北海道が生んだ大横綱・大鵬と北の湖の丁度間の世代。ライバルは黄金の左、と呼ばれた学生横綱・輪島。(二人が引退後に一緒に出ていた資生堂のCMを思い出す。「アウスレーゼ」だったっけ?なかなかいい味出していた。やはり美男は得だ。) 
もうあれから随分の時が流れたものだ。

絶対的な存在だった大鵬引退の後のスーパースターを世の中が求めていた頃、若ノ花の弟というブランドと、粘り強い足腰でファンを惹き付けた。軽量ゆえに簡単に吹っ飛ばされることも良くあり、いつも悲壮さがまつわりついていた陰のある力士であった。
それは、高度成長(大鵬時代)の後の、世に屈折が見え始めて来た頃の時代と妙にダブっていたようにも思える。

大学通学時など、JR(当時は、「国鉄」!)高田馬場駅ホームから見える質屋の屋根に、マリリンモンローの人形と対峙して相撲を取ろうとしている男の人形がぐるぐると廻っていた宣伝オブジェ(?)を思い出す。随分ナンセンスな組み合わせで、更にそれと質屋とが何で関係があるのか、今でも不思議な気分だが、あの男の人形は確か、貴ノ花であったと思われる。何故か、こんな詰まらぬことを思い出してしまった。

それにしても、55歳の死、というのはあまりに早く残念だが、記録ではなく記憶に残る名力士であった。
彼の息子二人も横綱まで辿り着き、既に引退して随分になる。
「明治は遠くになりにけり」という言葉をふと思い出したが、只今の我輩の心境は、

「昭和は遠くになりにけり...。」である。
同時代のヒーローの死に合掌。

Ground Zero Part-4

2005-05-28 23:33:22 | New York
今度は東側ではなく、西側。

Manhattanからハドソン河を越え、New Jersey州はJersey Cityのホテルそばから撮影。
今回3月のNew York訪問では、一泊分のみではあったが、初めてNew Jerseyに投宿した。
非常に満足したホテルのセレクションであった。(この話はまた別途....。)

しかし、こちらから見るダウンタウンの高層ビル群、やはり....。
「そこにあるべきもの(WTC)がない」、というのは実に寂しい。

Ground Zero Part-3

2005-05-28 22:58:01 | New York
写真はWTCがあったダウンタウンから東側、イーストリバーを跨ぐBrooklyn Bridgeの中央から見たLower Manhattanの景観。 

「そこにあるべきもの(WTC)がない」、というのは実に寂しい。
此処のところ、New Yorkに来ると必ず歩くところがある。(まあ、そんなに頻繁に来ている訳でもないのだが....。)
このBrooklyn Bridgeだ。何故か分からぬが、この橋を歩くことでNew Yorkを感じることが出来る。「また、此処に来ることが出来た...。」

Ground Zeroから東へ向かって10分ほど歩くと、正面左手にぐんと聳えた市庁舎。
その右手には、大いなるイーストリバーを跨ぎ遥かに伸びていくこのBrooklyn Bridgeがある。
右が歩行者、左は自転車用の通路になっている。
橋の中央までは、ゆっくりとした勾配を歩くこと凡そ30分。うっすらと汗をかく。
ここから右側に見るダウンタウンの高層ビル街は壮観だ。
まさに、映画の世界である。
生き馬の眼を抜く凄まじく過酷なビジネス世界が展開されているNew York。
知性だけではなく、ありとあらゆる欲望、政治、人間ドラマが繰り広げられているのだが、それらをすっぽり覆った無機質な高層ビル群の幾何学模様の不可思議さ。

その中でも、WTCのTwin Buildingは群を抜いた背丈でその存在感を漂わせていた。
まるで、高層ビル群の親分、いや兄貴分とでも言った存在であった。
WTC建築当時は、プロの設計家の間でははなはだ評判の悪いビルであったらしいが、その後この景色に溶け込み、なくてはならない存在にさえなっていた。
建物としてはただの四角い背丈だけが高いビルにしか見えないが、その存在は極めて情緒的なものでもあった。

そして、あの同時テロ発生、崩壊によって、その存在は、更に更に情緒的なものになってしまった。

Ground Zero Part-2

2005-05-27 00:12:22 | Weblog
911の同時多発事件では、このWTCで3,000名以上の方が命を落とされたという。
日本の大手金融機関勤務の方も相当数犠牲になられたと聞いている。

初めてこのWTCを訪れたのは、そこに事務所を構えていた幾つかの日本の金融機関を訪問するためであった。1980年代後半のことである。当時、米国大手銀行に勤務し、何箇所かの業務部署や経理等の経験をしたあと審査部に配属され、その後金融機関担当のマーケティング部に来て営業活動を行っていたわけだったが、ビジネスの対象となる日系金融機関はどんどんと海外にも拠点を拡大していた。

その頃は日本経済はまだ好調で、バブルが膨らみかけているところであった。
大手は勿論、地方銀行や、今では死語になったが、相互銀行なども或る意味でのステータスを求めてNew YorkやLondonに拠点を持つようになった。New Yorkでは、それで地銀などでもこのWTCに事務所を構えていたところが結構あったのだ。New Yorkでも最もシンボリックなビルに事務所を構える、というのは、新規に良質の学生の就職を募るにも好都合、良い宣伝効果が得られる、という話を聞いたことがある。


初めてこのビルに入った時には、エレベーターの大きさに驚いた。一度に100人程度は優に乗れるような、これまでに見たこともないような圧倒的な大きさであった。一定階より上に行くには、途中でエレベータを乗り換えなければならない。もう電車の乗り換えみたいなものである。このエレベーターの設置場所や途中乗り換えのアイデアは高層ビルの建築上は当時は画期的なアイデアであったという。
しかし、ぐんぐんと上に登り、エレベーターを乗り換える頃には、遥か向こうに見える窓の外には、漂う雲が見え、もうとんでもない所に来ている、という恐怖感を抱いたものだ。それこそ、足が地に付かない感覚である。こういうところで、何かの事故でも起きたら、もう自分自身が必死に逃げてもまるでコントロールはきかないだろうな、ということを瞬間的に考えた。まさか、あの911事件で、本物の飛行機がビルに突っ込んでくるなどとは夢には思わなかったが、まさしく、その「何か」が本当に起こってしまったのだ。ビルの住人達の日常の意識はどんなものだったのだろうか。

当時WTCで訪問した地方金融機関は、その後殆どが不良債権問題から逃れることも出来ず、NYを含めた海外拠点をたたんで撤退した。バブル崩壊後、あれだけ海外進出に積極的で、また右へ倣えの体質を持った金融界も大きな曲がり角を向かえ、今度はこぞって縮小を繰り返す。しかし、これは、WTCの事件では、幸いした。「残っていたらどうなったか、ぞっとした」と言う知り合いの声を良く聞いた。人の運命の不思議さを感じる。

Picture at New York (1)

2005-05-26 00:22:01 | New York
仕事がいよいよ多忙を極めて来た。
更に忙しさは増していく。帰宅時間も次第に遅くなる。
当面は、家に帰っても食べてすぐに寝て終わり、という生活が続くことになる。

ということで、本日はNYで撮った一枚の写真でお茶を濁そう。


NYの通りでは至る所で見られるのがYellow Cab、タクシーだ。
運転手さんも、昔は英語を話さないラテン系の人が多かったが、その後中東の連中なんかが結構増えた時期もあった。車に乗ると、運転手がイスラム語の新聞を読んでいたり、かなりエキゾチックであった。ベルリンの壁崩壊・ソ連の民主化後は、旧・東側諸国の人々も随分NYに流れ込み運転手になったようだ。巻き舌のロシア訛りの英語を喋る運転手と車の中で長い会話をしたことも思い出される。世界の色々なところから夢と富を求めてやってくるのがこのNew Yorkであることを実感させられる。日本がらみのタクシーの話題でいうと、一時もう4-5年前になるか、殆どはフォード車だったYellow Cabだが、ホンダのオデッセイが随分の数、タクシーとして出回っているのを見て驚いた。なかなか世相によって、こうした状況はどんどん変わって行き面白い。

写真は、偶々歩いていたLexington Avenueで見つけた現場。
「やってしもうた...!」という感じでどじを踏んだ運ちゃん、幸か不幸か(?)タクシー同士ではあったが、見事にお釜を掘っておる。通行人も、「ああ良くある風景ね」といった顔で通り過ぎていく。
「この運ちゃん、一体どこの国から来た新米さんかな」
これも、New Yorkらしき景色かな、或る意味では微笑ましくさえ思えるほどだった。

Ground Zero Part-1

2005-05-25 00:07:03 | New York
もう相当の月日が経ってしまったが、まだ寒い3月は11日の金曜日の早朝のこと。
Washingtonのダラス空港からNew JerseyのNew Arkリバティ空港に到着した。

3月とはいえ気温もまだ4,5度と寒い風が吹く中、空港からタクシーで向かったのはグラウンドゼロ。
ご存知、2001年の同時多発テロで標的とされ、崩壊したWorld Trade Center跡の別名である。Yankeesの松井秀喜が入団した年に、New Yorkに初めて着いて空港からすぐに向かったのがこのグラウンドゼロだったことを良く覚えておる。兎に角、New Yorkに着いたらここに来て亡くなった方々に追悼の意を表したい、という誠実な彼らしき行動であった。
我輩も敬愛するゴジラ松井君にならって....?!

我輩が出張でWashingtonに行った帰りにNew Yorkに来たのにはひとつ目的があったのだが(後で公開予定)、真っ先にここに来たのは、何を隠そう、このグラウンドゼロの隣りのブロックにあるホテルに一泊宿泊の予約を入れていたからだったのだ。
金融の聖地Wall Streetのすぐ近くでもあるこの区域は平日はビジネス地区として人通りも多いが、週末となると流石に仕事はオフの人が多く、人通りも減る。そのせいでホテル料金も週末レートでかなり安く設定される、というわけだ。

今回の宿泊はMarriott Fiancial Center。平日は5万円のルームチャージ(税別、税金も10%を優に越え、高い)のホテルである。New Yorkの一定レベル以上のホテルだとこれ位は普通のお値段、やはり大都会の物価は異常に高い。どのホテルも結構平気で値段を上げている。但し、それが週末だとこのMariottも3万円以下。お得感に加えて、グラウンドゼロのすぐ隣り、というのも色々な意味で興味を引かれ、このホテルに決めたわけだ。勿論、あの忌まわしい事件から早くも3年半、追悼の意思も勿論ある。2001.9.11以来では、これで2度目の訪問となる。「その後」の推移がとても気になる。

我輩が大学を出て初めて就職したのが、ばりばりのNew Yorkの大銀行。
石油で巨額の富を得たRockfeller 財閥の「お財布(金庫、というべきか)」と呼ばれていた銀行である。入行して何年かして投資銀行部門でそれなりの成績を上げ、同部門の国際会議の為に初めてこのNew Yorkに来たのが1986年頃だったかと記憶する。
初めてNew Yorkの地を踏んだ時の興奮と不安、Manhattanの影を遠くから見たときの感激、高層ビルの谷間で上を見上げた時の威圧感、人種の坩堝よろしく多民族が夢と欲望を追う不可思議なバイタリティ、色々なものが一気に押し寄せて来た記憶がある。

New Yorkでの仕事第一日目に来たのが、このダウンタウン、ウォール街近くにある我が会社。
それはそれは凄い高層ビルで、ただただ呆気にとられて見上げるだけだったが、今更ながらに自分は凄い会社で働いているんだ、という驚きを感じたものであった。当時はまだ当然健在だったWorld Trade Centerとは、すぐ目と鼻の先にあるビルでもあった。昼休みにはWTCにも足を運んだものである。

この点でも、我輩にとっては、WTC=Ground ZeroはNew Yorkの最初の思い出の地なのであった。 (続く)

New York, New York

2005-05-23 23:31:05 | Weblog
さて、米国の記事、Washintonを終え、いよいよNew Yorkについて書こうかな。


Subway Seriesを見ているうちに、観客の異常なざわめき、エラーが出ると味方にも平気で大ブーイングする辛辣さ、これらを耳にして、New Yorkの街の喧騒さを思い出す。
初めてNew Yorkに行ったのはもう20年近く前。それからもう数え切れぬほど、というと大袈裟だが、何度も訪れることになった。

直近では、この3月訪問時に、あのGround Zeroの隣りの宿に宿泊した。美術館も多くに訪問。New Jerseyに宿泊したり、少しこれまでとは違う過ごし方も経験した。
かつて、ある金融機関の集まりで海外の四方山話をしていたときに、New Yorkにも住んでみたい、と話した所、NY生活の長い某大手都市銀行のオッサンから「あそこは住む街じゃなく、稼ぐ街だよ」とにべもなく斬り捨てられたことがある。
いや、そんなことはない、人種のるつぼで多様な価値観、宗教、生活、文化が渦巻く街、エネルギーに富んだ、得体の知れない、不可思議な街なのだ。どのくらい続くか分からんが、記憶のひとこまひとこまを辿って書いて行きたい。

Subway Series - Yankees vs Mets: Part-3

2005-05-23 23:12:52 | MLB
朝6時のNHKニュースでSubway Series第三戦の様子が報道されておった。アメリカ東海岸の日曜お昼は日本の月曜日未明。流石にこの曜日・この時間では仮にTV実況があっても見ることは無理。

アナウンサーが松井秀が活躍したと伝えた。
もしかして、お久しぶりのホームラン、やっと出たか?
残念ながらそれはなかったが、終盤8回表、ランナー2,3塁の好機にレフト前への低いライナー性安打を放つ。2点タイムリーとなった。これで34打点目。アメリカンリーグ打点5位だ。
打点Top10をみると結構打率の低い者が少なくない。しかし、ホームランでがっぽり打点を稼ぐ、というのがRBI上位者のパターンだ。Top10の多くがホームラン10本以上打っている中、ホームラン僅か3本の松井が5位とは、如何にこつこつチャンスでヒットを重ねていく、兎に角犠飛でも内野ゴロでもランナーを還していくヒッティングが出来ている、ということなのだろう。日本製の故障の少ない優秀な自動車を思い出させる。(松井の場合は、自動車じゃなくて、コマツの大型トラクターか?! ガハハ!)

さらに続くバーニー・ウィリアムスが右越え二塁打を放つと、一塁走者の松井は二塁、三塁を蹴ってホームに突入し、捕手のタッチを仰向けに滑り込んでかわしながら、逆転の生還を果たした。この模様はTVに映し出されていたがなかなかの技ありスライディングで、あっぱれ。スタジアムにこの日一番の熱狂を巻き起こした。第一戦での初盗塁といい、走塁でもなかなかやるな。しかし、この劇的走塁にもそう感激を表わさずクールにダッグアウトに引き揚げるマツイの姿は、まだまだ高い目標あり、これ位では喜んでいられない、という志の高さを感じさせた。

ゲームは7回までは完全にMetsのペース。3-0でPedro Martinezが投げ、昨日のMetsの勝ちムードがそのまま続いているように思えた。ゲームが大きく動いたのがPedroが降板した8回から。なかなか野球の試合のアヤというのは微妙なものだ。
Pedro君にしてみれば、チームの逆転負けは、1勝損をした気分であろう。Yahoo!米国版でも、「Martizezは敵ではなく、自軍Bullpen(救援陣)に足をすくわれた。」 という論評があった。チーム内でまたひともんちゃく、あるか? 契約の内容次第では、この一勝を拾えなかったのは何千万円にも相当するんじゃない?
それにしても、Pedro君、やはりユニフォームはMetsの青よりは、やはりBostonの赤の方が数段似合っているな。まだどうも見慣れぬユニフォームに違和感を抱く。

Subway Series:-Yankees vs Mets : Part-2

2005-05-22 19:38:18 | MLB
稼頭央クンのタイムリー失策により緒戦を落としたMetsだったが、今日第二戦は難敵Randy Johnsonをこつこつと打ち込み、7-1で圧勝、面目を保った。本日は深夜3時過ぎに起きて実況中継を見たが、Yankeesファン(というよりは、松井秀喜ファン)の我輩としては同じ負けるにしても、盛り上がりのない試合でややがっかり。また、折角であれば、RandyとPedro Martinezのmatch upを見たかったところでもあるが、これは次のシリーズまでお預けというところだろうか。

ところで、一昨年の同シリーズ観戦のときの雰囲気を少し書きたい。

まず、試合が行われたShea Studiumだが、Manhattanの東のクイーンズ地区にある。Manhattan中心のGrand Central駅からだと、地下鉄,7番線列車で約40分ほどの距離にある。JFK空港に行く途中のハイウェイからもその姿を見ることができる。地下鉄隣り駅はテニスの全米オープンの会場でもあるFlashing MeadowのNational Tennis Centerがある。MLBファンであり、テニスの大ファンでもある我輩にとっては、この辺はよだれの出るような「スポーツの聖地」でもある。9月初頭の全米オープン開催の頃にこの地を訪れ、野球とテニスをはしごで観戦するのが夢でもある。

途中乗っていった地下鉄車両の中では、スタジアム前から既に試合が始まっているようだ。
Yankees,Metsの帽子、ユニフォームをまとったファンが電車の中でもそれぞれのチームの応援をして盛り上がっている。こちらも静かに座ってはいるが、周りが既にざわついており、試合を見る前からこちらも煽られてしまう。Yankeesファンは、権威主義的、知識層、金権志向。Metsファンは、ブルーカラー、意外性を好み、反権力主義、とかこんな類型が成り立っているのか?単に好きな選手がそのチームにいるから応援する、ということのほうが自然なのか?
Yankeesファンが数の上で優勢なのかと思いきや、Metsファンの数もかなり多いようだ。


別サイトにて、この雰囲気をお味わいあれ。電車の中、スタジアム内外の様子を撮影したものを公開中。2003年シリーズなので、新庄(Mets)がゲームに出ておった。
http://tabun_dabun.typepad.jp/photos/subway_series_2003/index.html

運動会

2005-05-22 09:35:36 | Weblog
昨日土曜日は、娘(5年生)が通う小学校の運動会開催。
嫁さんは朝5時起きで弁当作り、ご苦労なことだ。

最近の小学生、特に6年生ほどになると体もぐんと大きくなる。飽食の時代、栄養摂取も好き放題の時代ゆえ、特に女子は随分大きい子が多くて驚かされる。まるで顔も体もオバサンのようなのが随分おる。この先これ以上大きくなってどうするのだ? (あれ、良く見たら、新米の先生も混じっていた!)

徒競走、毎年我が娘は、1位であったが、今年はどうも様子が違うらしい。
これまでは、同じ背のものと一緒の配列で5,6人が走っていたが、今年から、あらかじめ事前に時間を計測し、同じ持ちタイムのものと一緒に走るシステムに変わったとのこと。どうも、比較的好タイムのものと一緒に走ると、事前の何回かのリハーサルではいつも5人中4位だった、と言っておった。何度走っても、同じ順位になってしまうという。何となく平等そうな措置であるようにも見えるが、平等の名のもとの不平等、というようなものにも思えてくる。あまり、順位重視の教育方針ではないのだろう。
我が娘、運動会前夜にスタートのやり方を改善させたら、徒競走本番でその効果が早速顕われ、2位入賞。まずは、めでたし。

一方、障害物競走では、これもスタートでは一夜漬けの練習の成果で当初トップを走って居ったが、跳び箱のところで他人に先に飛ぶのを譲ってしまい、最後の関門ジャンケンでも負けて、見事なびりけつなり。何とも品が良い、というか、要領悪く、他人を押しのける闘争本能ないもんだ。今後の競争社会で、図太く、うまくやっていけるのか、と聊か心配になってきた。

騎馬戦。5,6年の男女が騎馬を作って帽子を取り合う、お馴染みのもの。運動会では、リレー競走と並んで「花」のメニューである筈。
毎年、男女それぞれ2回戦づつやる筈だが、今年はそれぞれ1回戦きり。それも、対戦時間は短く、普通は、最後の騎馬がどちらか陥落するまで勝負は続けられ、残りひとつの騎馬になって対戦相手に囲まれてしまう、とか、毎年面白いドラマが展開されてきていたが、今年はものの1分程度ですぐに途中打ち切りのピストルの音。どちらも相当数の騎馬が残っている。これも徒競走同様、勝負の白黒をつける、最後まで闘争本能を働かせる、という人間の本来の原始的な欲求からは程遠いところで終わってしまっている。見ていても面白くないところか、腹立たしさまで感じた次第。 日本の学力における国際競争力も低下の一途であるが、このような現場を見せられると良い意味での競争意識も刺激されずにそのまま成長した子供たちが世の核を成していく時代が来るものかという、寒い気分を感じざるを得なかった。


まあ、それにしても、我が娘、あっという間に5年生。ホントに早いものだ。
これからは時間進行のスピードは更に加速していくのだろう。

Subway Series- Yankees vs Mets: Part-1

2005-05-21 23:21:15 | Weblog
大リーグMLBも今日からインターリーグの交流戦が始まった。

New YorkではYankees vs Mets, Los Angelesでは Dodgers vs Angeles, ChicagoではCubs vs White Sox, 更にSan FranciscoではGiants vs Atheletics、と同一都市、或いは近隣都市チーム同士の対抗戦が組まれ、おのずと熱を帯びてくる。
大学バスケットボールの記事でも書いたが、このようなライバル関係にある同一都市のチームの対戦を米国人は異常な熱狂をもって迎えている。日本ではサッカーで静岡ダービー、大阪ダービーと言われるやはり同府県チーム同士のゲームもあるが、大リーグのこの組み合わせの熱狂はその比ではない凄まじさがある。日本で例えると、ぴったり来るものは見当たらないが、感覚的には、その競争意識の熾烈さの点で、昔の六大学・早慶戦のような雰囲気がある。

昨年は多忙でその機会はなかったが、一昨年丁度今時分、現在の会社に就職してWashington近郊の本社に出張した後に、このYankees vs MetsのSubway Seriesを見るためにNew Yorkに立ち寄った。

今振り返っても、あのゲーム(2試合を観戦したのだが)のざわめきを思い出す。如何に野球がアメリカ人に愛され、またこの両チームがニューヨーク市民に愛されているかを肌で感じるものであった。今日朝の実況放送を大画面で見て、観衆のざわめきを耳にして、あの興奮を思い返したのである。[#

Most Emailed Photos

2005-05-21 17:13:04 | Weblog
http://news.yahoo.com/photos/mostemailed

日々見る米国ご本家Yahoo!のページで、Most Emailed Photosというコーナーがある。Yahoo!のサイトにアクセスした人が、友人知人に送った写真の頻度の高いものが、毎日毎日列挙されている。話題性の高いもの、写真としてナイスなものが上位にランクされるものと思われるが、アメリカ人のお好みや興味の在りか・スタイルが垣間見れて面白い。

本日(5月20日)の一位は...
米ニューメキシコ州で生まれた小牛ちゃん。足が5本、と書いてあるが、良く見ると右わき腹のあたりに足の形が見える。実際にはこの足は足としては機能するものではなかろうが、ちょっと奇妙な姿。健康状態には問題ないみたいで、何よりでした。

2位になんと日本のネタが登場...
[#IMAGE|c0006772_8344588.jpg|200505/21/72/|left|250|236#]千葉市動物公園にいるレッサーパンダが二本足で屹立。これは我輩も昨晩のテレビで見たが、ヨチヨチ歩きのイメージの強いレッサーパンダが二本足で立つ、それもなかなか背筋伸ばして姿勢も良い、という意外感と癒し感はアメリカ人にも受けたのか。日本ネタ、ということで、ちょっと誇らしいが、アメリカ人は別にこの写真で日本を意識している訳でもなかろうね。
3位、5位に水着の写真が選択されていたが、これらを抑えての2位入賞は、アメリカ人、色気より癒しと面白さを選んだ、ということか。しかし、まるでぬいぐるみそのものだなあ。
水着の写真を御覧になりたい方は冒頭のリンクをどうぞ。

4位は米国で最近出来たジェットコースターの風景。45階建てビルに垂直に上がり、頂点に立つと、ほぼこれもまた垂直に落下、という強烈なもの。落下速度は時速200kmを越えるというから新幹線並みである。おおーこわッ。まあこの辺の選択になると、単純なアメリカ人気質が良く現れておる。まあ、そもそも友人知人にサイトの写真を送る、なんているのは、若い人の所業ということになるのであろうか。

日々こんなの見て行くのも、面白い。

Washington D.C.(13) 国立自然史博物館

2005-05-20 00:22:41 | Washington D.C.
米国到着の翌日の日曜日、朝から冬のWashington中心地を散策、国会議事堂、National Gallery, 航空宇宙博物館、と見ていった。かなりあちこちを精力的に歩いたので、疲れも出ている。
ましてや、昨晩アメリカに着いたばかりの体内時計は昼・夜、自分はどこに居るんだろう、という状態で、じわじわ眠気と疲労が拡がってくることが分かる。(3月6日のこと。古くてどうもスミマセン!)

しかし、このスミソニアン協会が持つ数々の博物館、いづれも入場料はただ、という、泣かせる設定になっている。同じアメリカ、New Yorkだとこんな無料などということは有り得ない。
そう考えると、取り敢えずは体力気力の続くうちに、出来るだけ何でも見ておきたい、というメンタリティが働く。(貧乏人根性、とでもいうものか?) 

何の博物館か分からんが、結構人も並んでいて人気もありそうだ。
館内に入るたびに受ける厳しいテロ対策の危険物+ボディチェック、荷物のチェックにも慣れてきて要領も良くなる。 
入ったのは、National Museum of Natural History, 「国立自然史博物館」というらしい。

一階にはディノザウルスなどの恐竜の骨や剥製、マンモスなど古代の動物が展示されておった。規模も大きく迫力はあるが、日本でもこの手の展示会は最近多くなっており、そう感激はなし。

もう一方の同じフロアは、世界の地域ごとの動物の剥製が随分の種類に亘って展示されている。こちらは地域によって動物も多様で見ていて楽しい。
アフリカのコーナーで眼に入ったのがこれ。
かなり分かり易い、弱肉強食の世界である。 日本の博物館ならこんな凶暴極まりないシーンをダイレクトに展示するというような発想はないだろうが、流石は肉食人種の国、アメリカである。
聊か疲れておったが、これを見て一瞬眠気も時差ぼけも吹き飛んでしまった。

しかし、アメリカ人には、このバッファローの心境などわからんだろうなあ。「もののあはれ」を感じる国の人には、幾ら博物館とはいえ、どうもこの手の単純直裁的な強者への賛歌を連想させるものには違和感を抱くものであった。