第15回『諏訪攻め』から、諏訪惣領家息女・由布(柴本幸)が武田晴信(市川亀治郎)の側室となるまでのエピソードが続いています。
山本勘助(内野聖陽)が彼女を生かす決意をした、第16回『運命の出会い』。
「わたくしは、もはや・・・死ぬことは怖ろしくない。生きている方が怖ろしい」
「この世の方がずっと恐ろしい・・・さればこそ!」
「わたくしは見たいのです。生きて、この世を見てみたい・・・生き地獄だからこそ、それを見たいのじゃ!」
この言葉を、生死の境界があやふやになってしまった現代の感覚で、
「どれだけ理屈をこねても、やっぱり死ぬのが怖いんでしょ」
で片づけてしまうと、物語についていけなくなるかもしれないので、所感をば。
諏訪惣領家の息女、ということは巫(かんなぎ)です。
真っ直ぐなのか、曲がっているのか。
本質を読み違(たが)え、神に仕えることができなくなった巫は死ななければなりません(そういうものだったのです)。それが斎女(いつきめ)、由布の定めであり、誇りの源泉ではないでしょうか。
(由布)「生きて、この世(の真実)を見てみたい」
侍女に「神通力」と賞された由布の力は、父・諏訪頼重(小日向文世)の死を“自害”とする武田家の欺瞞を許さない、真贋に対する鋭い嗅覚と云えます。
寄る方のない身として仇敵に庇護され、その当主の側室として生きることは、「どんなに辛くとも」肉体の流転に過ぎない。
自害を拒んだ彼女は、人生に対してむしろ果敢であり、挑戦的です。定めを全うすることが困難な身の上をあえて受け容れ、己を試そうとしているのですから。
陣中で晴信が背負っている「諏方大明神」。由布はその「声」を正しく聴き、天から下るものを地へ降ろすためにも晴信の側にいなければなりません。
お目付け役、でしょうか。
そもそも、ミコはカミサマと通ずるもの。
ヒトと結婚したら重婚ですがな。
これはものすごい葛藤が始まると思いますよ。幸い、彼女には軍師がついていますが。
そう、勘助です。
第19回『呪いの笛』で晴信が吐露したように、2人は閨(ねや)ですら私人ではいられない。甲斐と諏訪、国と国のいくさです。
愛憎を交えて対峙する晴信と由布の軍師が同一人物である勘助、という三角関係がとんでもなくツボです。
で、なんで晴信が由布を側室に、と云いだしたのかといえば・・・勘助のせいでしょう。
(晴信)「あの勘助が・・・始末せなんだか」
勘助はお屋形さまに及ぶ自身の影響力を過小評価しまくりです。あり得るかーっ!なんて叫んじゃってさ(第17回『姫の涙』)。
しょうがないよね。悪意(否定)に慣れた心には、好意(肯定)なんてピンとこないでしょうから。
愛されちゃってるんだねえ。ここも三角関係だな。三条夫人(池脇千鶴)が不憫です。