第二次世界大戦(1942年~1945年)
1945年2月、マニラの戦いの最中、エルミタは第二次世界大戦中に起きた最も恐ろしい虐殺の現場となった。エルミタでは、後の大統領 エルピディオ・キリノの妻と4人の子供が殺害され、最高裁判所判事 アナクレト・ディアスも殺害された。マニラの戦いでエルミタの68%から85%が破壊され、市内だけで推定10万人のフィリピン民間人が殺害された。
戦後(1946年~現在)
戦後、上流階級の人々がケソン市やマカティなどの他の都市に移り住んだため、この地区は徐々に住宅地から商業地へと変化していった。
エルミタは戦争による荒廃の後、再建された。大学生活は活気にあふれていた。しかし、数十年が経つにつれ、エルミタはマニラの歓楽街という評判を得るようになった。
アルフレド・リム市長の第一期(1992~1998年)の間、エルミタのイメージと評判を「浄化」する努力がなされた。しかし、モーテル、下宿屋、その他同様の施設の設立を禁止する地方市の条例は、後に最高裁判所によって違憲とされた。浄化活動の結果、この地域のナイトライフは衰退したが、その後、近くのマラテ地区の出現やマニラ湾沿いのロハス大通りの再開発の努力により、ナイトライフは回復した。
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