ケソン市
フィリピンの旧首都 (1948-1976) であり、また首都であるマニラの北東に隣接している。マニラ近郊のなかでは比較的新しくできた市でもあり、広大な面積を計画的に整備されているため、交通渋滞も少ない。面積166.20km²、人口 2,960,048人 (2020年)である。ケソンとはフィリピンのコモンウェルス初代大統領のマニュエル・ケソンの功績から名付けられた。
歴史 ケソン市が「星の街」として知られるようになる前、この都市は、機能的な都市を築きたいという先見の明のある願望から創設された。 すべては20世紀初頭に、元大統領マヌエル・L・ケソンが、フィリピンの首都マニラが混雑し、当時の敵国の艦砲の爆撃の格好の標的になっていることに気づいたことから始まる。これは、マニラが湾に近かったためで、ケソンは、フィリピンの首都としてマニラに代わる都市を建設したいと考えた。彼は、航空兵器の届かないマニラ湾から少なくとも15km離れた場所に、まったく新しい都市を建設するというアイデアを追求した。 都市が誕生する前、この都市はサンフランシスコ デル モンテ、ノバリチェス、バリンタワクという小さな町で構成されていた。フィリピン当局がこの計画を承認した後、ケソンがアメリカ人の友人で経験豊富な建築家のウィリアム E. パーソンズに連絡を取り、新しい都市を建設する場所の開発計画を手伝ってもらったのが 1938 年のこと。ケソンはディリマン地区の選定に貢献した。残念ながら、パーソンズは同じ年に亡くなったため、同じスキルを持つ人物が引き継ぐ必要があり、そのパートナーとなったのがハリー フロストである。 1939 年 10 月 12 日までに、市は正式に法人化された。しかし、ケソン市を新しい首都にしたいという願いが叶うまでには何年もかかった。それでも、エルピディオ キリノ大統領は 1948 年 7 月 17 日にケソン市を首都と宣言し、市の面積を 156.60 平方キロメートル (60 平方マイル) と定めた。 首都として長年にわたり機能してきたマニラだが、フェルディナンド・マルコス政権下の 1975 年 11 月 7 日、大統領令第 824 号が公布され、マニラ首都圏が誕生した。これにより、ケソン市はマニラ首都圏の 17 の市および自治体の 1 つとなり、翌年の 6 月、大統領令第 940 号により、現在のマニラに首都が戻された。
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