「 汝(な)が ‘ うしはける ’ 葦原中国(あしはらのなかつくに)は
我(あ)が御子(みこ)の‘ 知らさむ ’ 国と、言依(ことよ)さし賜えり 。」
『 古事記 』
天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、大国主命(おおくにぬしのみこと)が
「 うしはいている世界 」 ( 群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)している世界 ) を、
天照大御神の御子(みこ)が大御神の美須麻流(みすまる)の精神、大調和の、
みんな ひとつの生命だという精神で 「 しらす世界 」 にしようとしておられる
のだがどうか、という交渉だったのです。
そして大国主命が 「 分かりました 」 ということで、国譲り、国土奉還が
為(な)されたのです。
このようにして 国譲りが為されて 葦原中国(あしはらのなかつくに)が平定され、
いよいよ 天孫邇邇芸命(てんそんににぎのみこと)が降りて こられることとなったのです。
地上世界に降りてこられた邇邇芸命(ににぎのみこと)が、 「 しらす 」 という形を
地上世界で具体化され、それが今の御皇室にまで そのまま ずっと継承されているのです。
平成17年12月19日、今上(きんじょう)陛下は お誕生日の記者会見の際、
次のように仰(おっしゃ)っておられます。
「 私の皇室に対する考え方は、天皇及び皇族は、国民と苦楽を共にすることに務め、
国民の幸を願いつつ務(つと)めを果たしていくことが、皇室の在り方として望ましいと
いうことであり、この在り方が皇室の伝統ではないかと考えているということです。 」
( 宮内庁HP )
この御心(みこころ)は、歴代の御製(ぎょせい)にも色濃く表れていて、
私たちが ちょっと 努力すれば 容易に知ることが出来るものです。
ところで、 「 しらす 」 という言葉が、歴史上明確にでてきた好例として、
大日本帝国憲法(いわゆる明治憲法)の制定過程があります。
明治百年記念に明治神宮が出版した 『 大日本帝国憲法制定史 』 によりますと、
伊藤博文の下にあって 大日本帝国憲法および皇室典範などの法典編纂(へんさん)の
実務にあたった井上毅(こわし)は、 『 古事記 』 『 日本書 紀』 、祝詞(のりと)などの
国典研究を始めます。
その結果 彼は、日本の帝国憲法は、ドイツやイギリスなどの憲法の写しに非(あら)ずして
「 皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)の不文憲法 」 の近代的発展でなくてはならぬ、
つまり 「 しらす 」 というあり方の近代的発展でなくてはならぬという強い信念をもつに至ります。
そこで 彼は 大日本帝国憲法第一条に 「 日本帝国ハ万世一系ノ天皇ノ治(しら)ス所ナリ 」 と
しますが、最終的には 「 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇 之(これ)ヲ統治ス 」 となります。
しかしながら、伊藤博文は『 憲法義解 』 において、この 「 統治 」 とは
「 しらす 」の意味であると敢(あ)えて述べているのです。
『 古事記 』 の国譲りの伝承も、明治新政府が大日本帝国憲法を作成するときには
歴史的真実として非常に大きな力を持っていたのだということがよくわかります。
『 古事記神話入門 』 伊藤八郎 著 227~232頁 光明思想社
( 元宮城県教化部長 H6~H14、『 谷口雅春先生を学ぶ 』 H23年1月号 )
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『 古事記 』 における 「 しらす統治 」 が、大日本帝国憲法(明治憲法)第一条に
顕れている。
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