「 予想する 」 ということは一種の「 祈り 」である。不幸や災厄や戦争や病気を
予想することは、それらの不祥事を起るように祈っているのと同じことである。
「 軍備は戦争を予想するから却(かえ)って戦争を招く 」 と主張する者もあるけれども、
「 国家の威厳 」 として軍備をととのえるとき 「 その威厳によって、決して他国は
自国に侵略などしてくるものではない 」 と云う信念が湧いて来るならば、
軍備は決して戦争を予想することにはならないのである。
軍備と云うものを、ただ戦うためのものだと考えることは間違いである。
軍備は女郎蜘蛛(じょろうぐも)や毛虫が毒々(どくどく)しい色をしているために
鳥類からの捕獲をまぬがれるのと似ている。鳥類が昆虫をとろうと思えば、
毒々しい色彩などは何ら防禦(ぼうぎょ)の実力はないのであるが、
それがあるがために一種の威厳を備えていて、小鳥は此(これ)らの蜘蛛(くも)や
毛虫には近寄ることを敢(あえ)てしないのである。
新装新版 『 真理 』 第 9 巻 生活篇 第五章 霊的修行と神に近づく道に就(つ)いて
108~109頁 谷口雅春先生 光明思想社
http://komyoushisousha.co.jp/m_taniguchi/m_taniguchic/cat_truth/
憲法学者が自衛隊を違憲であるとか言うことのないように、
憲法第9条に、明確に「 国家の威厳として軍備を備える 」 旨、明記するべきである。
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