☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

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「肉体は人間でない」と根本的に自覚することが、「自我の新生」であり、コンヴァーションであります  谷口雅春 先生  

2019-12-07 12:48:36 | 今日の光明法語
「 我(われ)が何々を欲する 」といっても、その「 我 」の正体が「 肉体 」という自働装置の「 心 」であるか 「 霊(たましい) 」そのものの「 想い 」であるかが問題であります。

肉体は「 霊 」の使う道具であり「 霊 」が飼っているシェパードみたいなものである。肉体は「 本当の自分 」じゃないので、一つの道具であって、恰(あたか)もシェパードが番犬という「 道具 」として備えられてあるのと同じであります。

それが、たとい道具でありましても、道具としても一代かぎりでは困るものですから、「 肉体 」という道具には、オートメーション式に、食欲を起(おこ)して食物を摂取して エネルギーの消耗を補給し、一代きりで、次の代がなくては困るからオートメーション的に性欲も起きるように構造され、

その肉体の生活を維持するには いろいろの物質も要(い)るから 物質に対する所有欲も自働的に起るようになっており、睡眠によってのみ補給される成分もあるから 自働的に睡眠欲も起るようになっております。

所謂(いわゆ)五欲というやつが 肉体それ自身の自働的作用として起っている訳なのであります。それですから、これらの欲望は、“ 本当の自分 ”( 霊的自我 )の願いではなく、肉体の自働装置から起る作用ですから「 自我 」のように見えても「 我 」ではない。

( 中略 )

肉体の性欲や食欲に 霊(たましい)が無統制に引きずられて行(ゆ)くのは、肉体というシェパードに霊(れい)が引きずられて行く逆様事(さかさまごと)であります。

私たちが自由を得(う)るには、どこまでも「 肉体 」というものを「 人間 」そのものだと考える考え方を捨てなくてはなりません。「 肉体は人間に非(あら)ず 」という事は、聖経や神示にも示されておりますし、いろいろの生長の家の書物の中にも書かれてあるのでありまして、「 肉体は人間でない 」と根本的に自覚することが、「 自我の新生 」であり、コンヴァーションであります。

( 中略 )

私たちのように、「 霊的自我 」に目覚めた人たちは、出来るだけ力をつくして、「 肉体は人間そのもの 」ではなく、人間が念絃(ねんげん)即(すなわ)ち「 想念の絃(いと) 」によって弾奏した曲譜が外界に具象化した形だということを人類に知らさなければなりません。

だから此の神示には「 生命はその念絃の弾ずる曲譜に従って 肉体を現(あらわ)すのである 」と示されているのであります。

谷口雅春先生  『 到彼岸の神示 』 神示講義・自覚の巻   228~231頁

( 原文は正漢字、歴史的仮名遣い。改行なし。 )