☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

神の生命と智慧と愛とを讃嘆する祈り  谷口雅春 先生

2019-01-24 11:52:10 | 今日の光明法語
この世界は神の生命と智慧と愛とが表現せられたる世界であるのである。
それは神の生命によって支えられ生長し発展し進歩し行(ゆ)く世界である。
その形相(けいそう)及び組織は 神の智慧によって構図(こうず)せられているのであるから、
到(いた)る処(ところ)に美が展開して行(い)くのである。

神の愛は、万物の生みの親として、すべてのものをいつくしみ給うのである。
神の愛は、発展し行(ゆ)くすべてのものを互いに相扶(あいたす)け生かし合うように結びつけ
つなぎ合(あわ)せて、この世界に愛の理想境(りそうきょう)をつくり給うのである。

もし神の愛がなければ、此の世界は全てが てんでんばらばらになって、調和も平和も得られない
のである。智慧が計画した組織も構図も美も、愛がなければ それが長く保たれ持続することは
できないのである。すべてのものを調和した関係に於いて、美しき姿に於いて、発展し
生育(せいいく)し実(み)を結ぶのは、神の愛によってである。

山に生(お)い茂(しげ)る樹木、野に生い茂る草、草の間(ま)にすだく虫、
山野(さんや)に飛び交(か)う大小の鳥、家畜その他の生き物 ―
数(かぞ)うれば限りがないが、すべては神の生命と智慧と愛とを表現しているのである。
わたし達はその姿を見(み)、その声を聴(き)くごとに、茲(ここ)に神がいますと
感動せずにはいられないのである。

まだ巣立(すだ)ちの出来ない雛鳥(ひなどり)に餌(えさ)をはこんで口移(くちうつ
)しに食べさせている親鳥を見るとき、私もそれと同じように、まだ体の不自由な赤ん坊だった
ときに、両親から はぐくまれて育って来た わたし達であることを憶(おも)い出すのである。

親鳥の愛も、人間の両親の愛も、すべては神の愛の表現であるのである。神の愛なくば
吾々(われわれ)は、今日(こんにち)この地上に生きていることが出来なかったに
相違(そうい)ないのである。

わたし達の両親は、神の愛がわたし達を護(まも)り育てるために 仮りに人間の姿をして
地上に顕現せられた神の化身(けしん)であるのである。それだから、神さまは、
「 神に感謝しても父母に感謝し得(え)ない者は神の心にかなわぬ 」 と仰せられているのである。


古語に 「 孝は 百行(ひゃこう)の基(もとい)」 と言われているのは、神の愛の展開として、
親が子を愛する愛情ほど、神の愛が最も完全にあらわれているものはないから
それに報(むく)いる心になるとき、あらゆる善徳(ぜんとく)が完成するのである。

形の美しさは 神の智慧から生まれて来るものであるが、心の美しさは神の愛から生まれて来る
のである。智慧のないところに形の美しさは無く、愛のないところに心の美しさはないので、
智慧と愛とは生命がこの内包(ないほう)する美を展開するための車の両輪(りょうりん)とも
言うべきものである。

わたし達は、すべての存在を見るとき、そこに生きている神の生命を感じて感謝しなければならないし、
そこに表現されている美を讃嘆しなければならないし、更にそれらのものが神の愛によって護られ、
互いに調和ある姿に結び合わされている真実を見て、今更(いまさら)の如(ごと)く神の愛の
行(ゆ)き届いた御護(おまも)りに合掌せずにはいられないのである。神さま、有りがとうございます。

『 光の泉 』昭和50年12月号 「 日々読誦毎月真理経 」(24~25頁)