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☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

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宇宙の本源神 と 生長の家の大神

2018-10-16 13:11:56 | 今日の光明法語
経本の 『 甘露の法雨 』 の最初に かかげてある 招神歌 の第四首目に、
「 天地(あめつち)の祖神(みおや)の道を 伝えんと顕(あ)れましし
生長の家の大神 守りませ 」 とありますが、この 「 天地の祖神 」 というのが
宇宙に充満して居られる本源神であります。

本源神は、普遍的存在であって一切処にみちみちて居られる。
宇宙を貫く法則、宇宙を貫く生命、宇宙を貫く心 というように
『 甘露の法雨 』 の中に示されてありまして、宇宙のどこにも貫いて
みちみちておられる普遍的存在でありますが、

普遍的な神様の御心である道を伝えんが為に 人格的に現れられたお方が
生長の家の大神であり、観世音菩薩であります。

神様が 普遍的な存在であるところの宇宙にみちみちている 単なる法則であったり
姿 形も 何もないところの宇宙にみちみちている生命であったり、
単なる無形の真理であったりしただけでは、直接に人格的に触れ合って、
親しく人に対して 教えをするというわけには ゆかないのであります。

神がただの 「 法則 」 でありましたなら、法則というものは、例えば “ 二二んが四 ”と
いうような法則ですね。 “ 二二んが四 ” は常に “ 二二んが四 ” であるけれども、
人を救うために “ 二二んが四 ” が何を道徳的に教えるかというと、
そういうわけにはゆかないのです。

だから人を救わんが為には、神の救いの霊波が 人格的に現れられる必要がある
のでありまして、この神の救いの霊波が人格的にあらわれたものを
「 てんのつかい 」 又は 天使というのであります。

仏教における諸菩薩 ― 観世音菩薩とか普賢菩薩とか文殊菩薩とか、勢至菩薩とか
いわれるところの菩薩たちは キリスト教でいう天使にあたるのであります。

谷口雅春 先生
新講 『 甘露の法雨 』 解釈 ( 17~18頁 ) 日本教文社