宮内庁
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/okotoba-h28e.html#D0311
東日本大震災から5年が経(た)ちました。ここに一同と共に,震災によって亡くなった人々と
その遺族に対し,深く哀悼の意を表します。
5年前の今日,東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により,2万人を超す死者,
行方不明者が生じました。仙台平野を黒い壁のような波が非常な速さで押し寄せてくる
テレビの映像は,決して忘れることができないものでした。
このような津波に対してどのような避難の道が確保できるのか暗澹(あんたん)たる気持ちに
なったことが思い起こされます。また,何人もの漁業者が,船を守るために沖に向け出航して
いく雄々しい姿も深く心に残っています。
このような中で,自衛隊,警察,消防,海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係者,
さらには,一般市民が,厳しい状況の中で自らの危険や労をいとわず救助や捜索活動に
携わったことに深い感謝の念を抱いています。
地震,津波に続き,原子力発電所の事故が発生し,放射能汚染のため,多くの人々が
避難生活を余儀なくされました。事態の改善のために努力が続けられていますが,
今なお,自らの家に帰還できないでいる人々を思うと心が痛みます。
こうした苦難の中で,政府や全国の地方自治体と一緒になって,多数のボランティアが
被災者のために支援活動を行いました。また,160を超える国・地域や多数の国際機関,
また在日米軍が多大な支援に当たってくれたことも忘れることはできません。
あれから5年,皆が協力して幾多の困難を乗り越え,復興に向けて努力を続けてきました。
この結果,防災施設の整備,安全な居住地域の造成,産業の再建など進展が見られました。
しかし,被災地で,また避難先で,今日もなお多くの人が苦難の生活を続けています。
特に,年々高齢化していく被災者を始めとし,私どもの関心の届かぬ所で,いまだ人知れず
苦しんでいる人も多くいるのではないかと心に掛かります。
困難の中にいる人々一人ひとりが取り残されることなく,1日も早く普通の生活を
取り戻すことができるよう,これからも国民が心を一つにして寄り添っていくことが
大切と思います。
日本は美しい自然に恵まれていますが,その自然は時に非常に危険な一面を見せることもあります。
この度の大震災の大きな犠牲の下で学んだ教訓をいかし,国民皆が防災の心を培うとともに,
それを次の世代に引き継ぎ,より安全な国土が築かれていくことを衷心より希望しています。
今なお不自由な生活の中で,たゆみない努力を続けている人々に思いを寄せ,
被災地に1日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い,御霊(みたま)への
追悼の言葉といたします。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
東日本大震災5年 天皇皇后両陛下、終わりなき「ご慰問の旅」 16日から福島、宮城へ
産経新聞 3月11日(金)21時57分配信
11日の東日本大震災五周年追悼式に臨席した天皇、皇后両陛下は、
震災の発生から5年を経てもなお、変わらず被災者に思いを寄せ続けられている。
16日からは5度目となる福島、宮城両県の被災地訪問が予定され、
秋には岩手県への3度目の被災地訪問が予定されており、「ご慰問の旅」に終わりはない。
「ご苦労も多かったでしょう」。両陛下は昨年7月、福島県を2年ぶりに再訪し、
福島市の復興公営住宅で同県の飯舘村や浪江町などから避難生活を送る住民らを励まされた。
東京電力福島第1原発事故後の除染の進み具合について何度も質問される両陛下の姿に、
被災者からは「故郷を本当に心配してくださっていると感じた」との声も上がった。
今月16~18日の日程で、福島県を再訪するほか宮城県も再び訪問される。
福島では、三春町に設けられた葛尾(かつらお)村役場の出張所で避難生活を送る村民と
懇談される。
宮城では、甚大な被害が出た女川町を震災後初めてご訪問。
津波で駅舎などが流失したため内陸部に移設され、復興の象徴ともいわれるJR石巻線
女川駅もご覧になる。皇后さまは昨年、石巻線の全線復旧を受けて女川駅を御歌(和歌)に
詠まれていた。
側近は「両陛下はこの5年間、片時も被災者のことを忘れられたことはなかったはず。
女川のこともずっと気にかけておられた。追悼式のお言葉には、そういった被災地への思いが
込められている」としている。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/okotoba-h28e.html#D0311
東日本大震災から5年が経(た)ちました。ここに一同と共に,震災によって亡くなった人々と
その遺族に対し,深く哀悼の意を表します。
5年前の今日,東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により,2万人を超す死者,
行方不明者が生じました。仙台平野を黒い壁のような波が非常な速さで押し寄せてくる
テレビの映像は,決して忘れることができないものでした。
このような津波に対してどのような避難の道が確保できるのか暗澹(あんたん)たる気持ちに
なったことが思い起こされます。また,何人もの漁業者が,船を守るために沖に向け出航して
いく雄々しい姿も深く心に残っています。
このような中で,自衛隊,警察,消防,海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係者,
さらには,一般市民が,厳しい状況の中で自らの危険や労をいとわず救助や捜索活動に
携わったことに深い感謝の念を抱いています。
地震,津波に続き,原子力発電所の事故が発生し,放射能汚染のため,多くの人々が
避難生活を余儀なくされました。事態の改善のために努力が続けられていますが,
今なお,自らの家に帰還できないでいる人々を思うと心が痛みます。
こうした苦難の中で,政府や全国の地方自治体と一緒になって,多数のボランティアが
被災者のために支援活動を行いました。また,160を超える国・地域や多数の国際機関,
また在日米軍が多大な支援に当たってくれたことも忘れることはできません。
あれから5年,皆が協力して幾多の困難を乗り越え,復興に向けて努力を続けてきました。
この結果,防災施設の整備,安全な居住地域の造成,産業の再建など進展が見られました。
しかし,被災地で,また避難先で,今日もなお多くの人が苦難の生活を続けています。
特に,年々高齢化していく被災者を始めとし,私どもの関心の届かぬ所で,いまだ人知れず
苦しんでいる人も多くいるのではないかと心に掛かります。
困難の中にいる人々一人ひとりが取り残されることなく,1日も早く普通の生活を
取り戻すことができるよう,これからも国民が心を一つにして寄り添っていくことが
大切と思います。
日本は美しい自然に恵まれていますが,その自然は時に非常に危険な一面を見せることもあります。
この度の大震災の大きな犠牲の下で学んだ教訓をいかし,国民皆が防災の心を培うとともに,
それを次の世代に引き継ぎ,より安全な国土が築かれていくことを衷心より希望しています。
今なお不自由な生活の中で,たゆみない努力を続けている人々に思いを寄せ,
被災地に1日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い,御霊(みたま)への
追悼の言葉といたします。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
東日本大震災5年 天皇皇后両陛下、終わりなき「ご慰問の旅」 16日から福島、宮城へ
産経新聞 3月11日(金)21時57分配信
11日の東日本大震災五周年追悼式に臨席した天皇、皇后両陛下は、
震災の発生から5年を経てもなお、変わらず被災者に思いを寄せ続けられている。
16日からは5度目となる福島、宮城両県の被災地訪問が予定され、
秋には岩手県への3度目の被災地訪問が予定されており、「ご慰問の旅」に終わりはない。
「ご苦労も多かったでしょう」。両陛下は昨年7月、福島県を2年ぶりに再訪し、
福島市の復興公営住宅で同県の飯舘村や浪江町などから避難生活を送る住民らを励まされた。
東京電力福島第1原発事故後の除染の進み具合について何度も質問される両陛下の姿に、
被災者からは「故郷を本当に心配してくださっていると感じた」との声も上がった。
今月16~18日の日程で、福島県を再訪するほか宮城県も再び訪問される。
福島では、三春町に設けられた葛尾(かつらお)村役場の出張所で避難生活を送る村民と
懇談される。
宮城では、甚大な被害が出た女川町を震災後初めてご訪問。
津波で駅舎などが流失したため内陸部に移設され、復興の象徴ともいわれるJR石巻線
女川駅もご覧になる。皇后さまは昨年、石巻線の全線復旧を受けて女川駅を御歌(和歌)に
詠まれていた。
側近は「両陛下はこの5年間、片時も被災者のことを忘れられたことはなかったはず。
女川のこともずっと気にかけておられた。追悼式のお言葉には、そういった被災地への思いが
込められている」としている。