あめ~ば気まぐれ狂和国(Caprice Republicrazy of Amoeba)~Livin'LaVidaLoca

勤め人目夜勤科の生物・あめ~ばの目に見え心に思う事を微妙なやる気と常敬混交文で綴る雑記。
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雨場毒太の気まぐれ書評136

2010-01-21 23:56:49 | 雨場毒太の気まぐれ書評
表裏のもの
この闇と光
服部まゆみ 著
角川 1998年


他に仕事を持っている人は、退職して専業作家になろうなどと考えない方がいい。人生には常に逃げ道が必要だ。それまでの職を棄てる人を、「無茶するよなあ」と笑う編集者を僕は見ている。誰も責任はとってくれない。

そんな事情ばかりではなかろうけれども、兼業小説家というのは数多い。副業(どちらが正でどちらが副かはともかくとしても)としては、物語に関わる職業はもちろん、サラリーマンも多いし、小説を書く芸人が最近は増えてきた。政治家(石原慎太郎ほか)、医者(久坂部羊・海堂尊ほか)、弁護士(朔立木ほか)といったメジャーな職業もあれば、紋章上絵師(泡坂妻夫)という聞いたこともないようなものもある。この小説の作者、服部まゆみも兼業作家で、そのもう一足のわらじはというと「銅版画家」である。

幼い頃から全く目の見えないレイアは、広い別荘で暮らしている。母はおらず、国の王である父は忙しくてレイアのそばにいないことも多い。そんなときに世話をしてくれるのは使用人のダフネだが、口が悪く、よくレイアのことを叱ったり叩いたりする。そんな環境のもと成長していくレイアであったが、13歳のときに突然「暴動が起きた」と告げられ、以後レイアの暮らしは一変することになる。

基本的にミステリ的な骨格を持つ作品で、どんでん返しの展開があるが、多くのミステリ作品と異なり、そのどんでん返しが終盤ではなく中盤に仕掛けられているというのが特徴である。前述の通り画家でもある作者は、中盤のどんでん返しを境に「闇」と「光」を分かつという構図でこの物語を描き出した。

始まりから、目の見えない主人公レイアの一人称によってストーリーは語られていく。その形式故に、視覚的な描写は一切行われることがない。読者は想像力によってそこに「情景」を補う。視覚的描写を封印しつつも、読者に自然と絵を思い浮かべさせる手腕は巧みなもので、これも画家の表現力の一端かと根拠のないことを考えてみたりもするのだが、こうして読者に情景を補完させることは、どんでん返しを効果的にする一つのファクターにもなっているのだ。

中盤を過ぎて終盤にかけて読み進めていくと、どんでん返しによって光と闇が分かたれたという印象は、「光」と「闇」という様々なものを表現しうる概念の、ほんの一面だけを見ていたのだということに気づかされる。そして余韻の残るラストへと導かれていく。

随所に芸術家的センスの光る佳品。新刊での入手は困難だが、興味を持った人は古書店を探してみてほしい。


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