2023年 5月7日(日)
コロナ騒動
明日(5/8)から、新型コロナウイルス感染症の扱いが2類から5類に変更され、季節性インフルエンザと同等になる。他国と比較して遅すぎる観はあるが、これでようやく社会が通常モードに戻ることが期待できる。それにしても、3年を優に超えるコロナ禍とは一体何だったのか。コロナ禍とは、疫病が直接引き起こした災禍というより、それに過剰反応した行政、メディア、人々による「コロナ騒動」だったと思う。
緊急事態宣言が発令され、長期間に渡ってあらゆるイベントが中止になり、広い公園も含めた行楽施設から人々が締め出され、屋外遊具はテープでぐるぐる巻きにされて使えなくなり、飲食店は休業を強いられ、人々の生きる喜びは悉く奪われた蔓延初期から、コロナ騒動は始まっていた。
無意味な感染対策
その後も過剰な感染対策は続いた。最初の数カ月は、対策もある程度は仕方ないと感じていたし、マスクは必要とも思っていたが、徐々に対策の意味に疑いが増し、やがて殆ど全ての対策が無意味で、その多くは単なるパフォーマンスと感じるようになった。
挙げればキリがないが、例えば、会食時はマスクを外しておしゃべりを楽しんでいながら、トイレに行くときはしゃべりもしないのにマスクを着ける行為。コンサートの入退場時には一定間隔を取るよう呼び掛けながら、客席で隣の人と至近距離で座る状況は問題にされない。矛盾だらけの「対策」は効果がないばかりか、多くの弊害や不都合、不条理をもたらした。
感染対策がもたらした弊害
病院は面会禁止を続け、入院患者から大切な人と会う機会を奪い、高齢者は認知機能も衰えた。家族に会えないまま亡くなってしまった人達も多いことだろう。コロナで亡くなれば、家族は葬儀で最後のお別れさえ出来なかった。
学校ではマスクの着用が強制され、昼食時は「黙食」を強いられた。豊かな心を育むために不可欠な、人と人とのリアルな交流の機会が奪われ、相手の表情を読むことがマスクによって大きく阻害されたことは、特に発達途上の児童にとって将来に渡って悪影響をもたらすだろう。
不安を煽るだけだった「専門家」とメディア
このコロナ騒動を引き起こしたのは、政府や自治体などの行政機関、そして、政府が選んだ「専門家」であり、全ての大手メディアであろう。感染者数の波が高まると、専門家は「気の緩み」などと言って「このままでは感染は大爆発する」と脅し、政府は「人流」抑制に躍起になった。新聞やテレビといった既製の大手メディアは「専門家」の脅しに疑いの目を向けることなく、不安を煽っただけ。そして人々はこうした一方的な情報に踊らされてしまう悪循環。
ワクチンを接種し、消毒を続け、マスクを着け続けているにもかかわらず、そんなことはお構いなしに感染の波は繰り返しやって来た。感染の波と人々の行動パターンの相関関係などないことは、波を繰り返すうちにわかるはずだが、それを指摘する声はもみ消された。コロナやワクチンに対する懐疑的な声は「悪質なデマ」として封殺された。「専門家」やメディアの価値は地に堕ちた。第2次世界大戦で、結果的に戦争に加担してしまったことを反省したはずのマスコミが、政府のやることに異を唱えようとせず、不安を煽る報道に徹したのは何故か。何か大きな権力とか利権が絡んでいることを疑った。
ワクチンに絡む利権
「利権」と云えばワクチン問題も無視できない。感染による重篤な症例や死亡例、後遺症については日々報道される一方で、ワクチンの副反応による被害や死亡例は殆ど報道されない。交通事故で亡くなった人にまでPCR検査を行い、陽性だとコロナによる死者にカウントされる一方で、ワクチン接種直後に死亡しても、その殆どは「因果関係が認められない」と、不問に付された。
2022年は、最大値で11万人超という超過死亡を数えたという。交通事故死まで含めたコロナによる死亡者数が3万8千人程度だというのに。ワクチンによる因果関係が疑われて当然だが、政府は今もってワクチン接種を推奨し続けている。4月26日の毎日新聞に超過死亡についての記事が出たが、「感染症対策による生活習慣の変化などに伴う死者が増えたとみられる」で片づけられてしまった。大手メディアが、この問題をワクチンと結び付けようとしないのは何故か。ここにも何か利権がからんでいると疑われても仕方ないだろう。
日本は、5類へ移行するほぼぎりぎりまで、他国はとっくに撤廃した水際対策を続け、3回以上のワクチンの接種証明か、日本入国前72時間以内の陰性証明を求めた。3回目を受けた人の殆どは、接種後1年以上経過して免疫効果は見込めないにも関わらず。海外へ出かけるためにワクチン接種を受けた人も少なくあるまい。少しでもワクチン接種数を上げたい思惑があるとしか考えられないではないか。
日本人の悲しい性
日本人は、同調圧力を恐れ、みんなが同じ行動を取ってしまう民族であることも改めて明らかになった。それは、周りと同じ行動を取らない人を排除しようとする意識に繋がる。蔓延初期は、遊びに出かけたり、会食をしたりしてコロナに感染した人達が、ネット上で徹底的に攻撃されただけでなく、出かけることや会食という行為そのものが非難された。
それよりも問題なのは、同調圧力をかける側ではなく、同調圧力を勝手に感じて、周りに合わせてしまう人達が多いことではないか。僕はこの半年以上、コンサートや飛行機、病院など、強制されるところ以外では、張り紙を掲げるお店や電車内も含めてマスクは着けなかった。けれど、他人から睨まれたことも、注意されたことも、避けられたこともない。「マスク警察」がはびこっていると言うが、そんな人はごく少数で、周囲の目を勝手に気にしてしまうというのが実際のところだと思う。
こうして大勢の行動に右に倣えしてしまう日本人が何と多いことか。「悲惨な戦争を忘れるな」という声はよく聞くが、日本がもし再び戦争へと向かったとき、一体どれぐらいの人が反対の声を上げるかと思うと絶望的な気分になってしまう。
徹底的な検証を求める
コロナ騒動によって失われたものはあまりにも大きく、将来に渡って取り返しのつかないものも多い。ウイルスが変異の過程で弱毒化し、重症化や死亡のリスクが大幅に減って来ても、コロナだけをいつまでも特別視し、不安を煽り続け、無駄な対策を続けて来たことで、弊害、損失、社会の分断を広げた。コロナ禍で唱えられた「専門家」の声、執られた政策、メディアの報道姿勢をひとつひとつ検証し、総括し、責任を追及することは至上命令と云っていいだろう。コロナのために拠出された戦費にも匹敵する巨費の検証も必須だ。これなくして未来を語ることはできないだろう。
★この投稿後に出したブログ
コロナ報道への意見に対する新聞社の残念な対応
★コロナに関するこれまでのブログでのレポートや意見(時系列)
2020年3月21日
新型コロナウイルスによるコンサート中止に思う
2020年3月25日
日本はコロナを抑えている? ~ドイツの報道より~
2020年4月4日
東京 週末の外出自粛要請に思う
2020年5月1日
「ステイホーム!」の叫びにウンザリ
2020年5月17日
薔薇が奏でる4楽章♪
2020年7月1日
「合唱禁止」に異議あり! ~ドイツの報道より~
2020年8月23日
東京を離れて自然のなかへ出かけよう!
2021年2月3日
コロナ禍で演奏会の中止が続く欧米、やっている日本
2021年2月7日
ポラン書房閉店 ~コロナで大切な場所を失わないためにできること~
2021年3月7日
コロナの不安を煽るだけのメディア
2021年4月23日
コンサートを中止にしないで!
2021年5月11日
#文化芸術は生きるために必要だ
2021年5月24日
「おもてなし」や交流がないオリンピックなんて ~東京オリンピック反対~
2021年7月7日
緊急投稿「緊急事態宣言による文化・芸術イベントを中止させない!」
2021年7月10日
今年も中止。。浅草ほおずき市
2021年7月23日
オリンピックへの複雑な思い・・・ ブルーインパルスと開会式
2021年8月10日
無観客五輪で日本が失ったもの ~東京オリンピック2020を振り返って~
2021年9月7日
パラリンピックが教えてくれたもの ~日本が得たこと、逃したこと~
2021年12月11日
その感染対策、本気???
2022年1月27日
N響定期公演の突然の中止。いつまで続くコロナの特別扱い?
2022年10月31日
イタリアへ行こう!~コロナ後のイタリアの様子~
2022年11月9日
イタリアへ行こう!~イタリア出国前のコロナ検査レポート~
2022年12月15日
新型コロナに感染して抱いた医療機関への不信感
2023年1月13日
ブラボーが響くコンサートを取り戻そう ~終わりの見えない過剰な感染対策に思う~
拡散希望記事!
やめよう!エスカレーターの片側空け
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緊急事態宣言が発令され、長期間に渡ってあらゆるイベントが中止になり、広い公園も含めた行楽施設から人々が締め出され、屋外遊具はテープでぐるぐる巻きにされて使えなくなり、飲食店は休業を強いられ、人々の生きる喜びは悉く奪われた蔓延初期から、コロナ騒動は始まっていた。
無意味な感染対策
その後も過剰な感染対策は続いた。最初の数カ月は、対策もある程度は仕方ないと感じていたし、マスクは必要とも思っていたが、徐々に対策の意味に疑いが増し、やがて殆ど全ての対策が無意味で、その多くは単なるパフォーマンスと感じるようになった。
挙げればキリがないが、例えば、会食時はマスクを外しておしゃべりを楽しんでいながら、トイレに行くときはしゃべりもしないのにマスクを着ける行為。コンサートの入退場時には一定間隔を取るよう呼び掛けながら、客席で隣の人と至近距離で座る状況は問題にされない。矛盾だらけの「対策」は効果がないばかりか、多くの弊害や不都合、不条理をもたらした。
感染対策がもたらした弊害
病院は面会禁止を続け、入院患者から大切な人と会う機会を奪い、高齢者は認知機能も衰えた。家族に会えないまま亡くなってしまった人達も多いことだろう。コロナで亡くなれば、家族は葬儀で最後のお別れさえ出来なかった。
学校ではマスクの着用が強制され、昼食時は「黙食」を強いられた。豊かな心を育むために不可欠な、人と人とのリアルな交流の機会が奪われ、相手の表情を読むことがマスクによって大きく阻害されたことは、特に発達途上の児童にとって将来に渡って悪影響をもたらすだろう。
不安を煽るだけだった「専門家」とメディア
このコロナ騒動を引き起こしたのは、政府や自治体などの行政機関、そして、政府が選んだ「専門家」であり、全ての大手メディアであろう。感染者数の波が高まると、専門家は「気の緩み」などと言って「このままでは感染は大爆発する」と脅し、政府は「人流」抑制に躍起になった。新聞やテレビといった既製の大手メディアは「専門家」の脅しに疑いの目を向けることなく、不安を煽っただけ。そして人々はこうした一方的な情報に踊らされてしまう悪循環。
ワクチンを接種し、消毒を続け、マスクを着け続けているにもかかわらず、そんなことはお構いなしに感染の波は繰り返しやって来た。感染の波と人々の行動パターンの相関関係などないことは、波を繰り返すうちにわかるはずだが、それを指摘する声はもみ消された。コロナやワクチンに対する懐疑的な声は「悪質なデマ」として封殺された。「専門家」やメディアの価値は地に堕ちた。第2次世界大戦で、結果的に戦争に加担してしまったことを反省したはずのマスコミが、政府のやることに異を唱えようとせず、不安を煽る報道に徹したのは何故か。何か大きな権力とか利権が絡んでいることを疑った。
ワクチンに絡む利権
「利権」と云えばワクチン問題も無視できない。感染による重篤な症例や死亡例、後遺症については日々報道される一方で、ワクチンの副反応による被害や死亡例は殆ど報道されない。交通事故で亡くなった人にまでPCR検査を行い、陽性だとコロナによる死者にカウントされる一方で、ワクチン接種直後に死亡しても、その殆どは「因果関係が認められない」と、不問に付された。
2022年は、最大値で11万人超という超過死亡を数えたという。交通事故死まで含めたコロナによる死亡者数が3万8千人程度だというのに。ワクチンによる因果関係が疑われて当然だが、政府は今もってワクチン接種を推奨し続けている。4月26日の毎日新聞に超過死亡についての記事が出たが、「感染症対策による生活習慣の変化などに伴う死者が増えたとみられる」で片づけられてしまった。大手メディアが、この問題をワクチンと結び付けようとしないのは何故か。ここにも何か利権がからんでいると疑われても仕方ないだろう。
日本は、5類へ移行するほぼぎりぎりまで、他国はとっくに撤廃した水際対策を続け、3回以上のワクチンの接種証明か、日本入国前72時間以内の陰性証明を求めた。3回目を受けた人の殆どは、接種後1年以上経過して免疫効果は見込めないにも関わらず。海外へ出かけるためにワクチン接種を受けた人も少なくあるまい。少しでもワクチン接種数を上げたい思惑があるとしか考えられないではないか。
日本人の悲しい性
日本人は、同調圧力を恐れ、みんなが同じ行動を取ってしまう民族であることも改めて明らかになった。それは、周りと同じ行動を取らない人を排除しようとする意識に繋がる。蔓延初期は、遊びに出かけたり、会食をしたりしてコロナに感染した人達が、ネット上で徹底的に攻撃されただけでなく、出かけることや会食という行為そのものが非難された。
それよりも問題なのは、同調圧力をかける側ではなく、同調圧力を勝手に感じて、周りに合わせてしまう人達が多いことではないか。僕はこの半年以上、コンサートや飛行機、病院など、強制されるところ以外では、張り紙を掲げるお店や電車内も含めてマスクは着けなかった。けれど、他人から睨まれたことも、注意されたことも、避けられたこともない。「マスク警察」がはびこっていると言うが、そんな人はごく少数で、周囲の目を勝手に気にしてしまうというのが実際のところだと思う。
こうして大勢の行動に右に倣えしてしまう日本人が何と多いことか。「悲惨な戦争を忘れるな」という声はよく聞くが、日本がもし再び戦争へと向かったとき、一体どれぐらいの人が反対の声を上げるかと思うと絶望的な気分になってしまう。
徹底的な検証を求める
コロナ騒動によって失われたものはあまりにも大きく、将来に渡って取り返しのつかないものも多い。ウイルスが変異の過程で弱毒化し、重症化や死亡のリスクが大幅に減って来ても、コロナだけをいつまでも特別視し、不安を煽り続け、無駄な対策を続けて来たことで、弊害、損失、社会の分断を広げた。コロナ禍で唱えられた「専門家」の声、執られた政策、メディアの報道姿勢をひとつひとつ検証し、総括し、責任を追及することは至上命令と云っていいだろう。コロナのために拠出された戦費にも匹敵する巨費の検証も必須だ。これなくして未来を語ることはできないだろう。
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ブラボーが響くコンサートを取り戻そう ~終わりの見えない過剰な感染対策に思う~
拡散希望記事!
やめよう!エスカレーターの片側空け
このコロナ禍で、自分がマインド的にマイノリティーに属することを実感し、これからもマイノリティーとして生きていく覚悟を決めました。
それぞれの項目に、心強いコメントも頂いて感謝です。おかげでFacebookではほぼ無反応の拙文に、直接沢山のリアクションが届いています。今後ともコロナ騒動の検証を注視していきましょう!
みんなに読んでもらいたいですね。
ただ、若い人やお母さんたちはブログを見てないんですよね。
読んで欲しい人たちには、なかなか届かないですね。
それでも発信して行かなければならないと思います。
私は小さな陶芸教室を開いています。
教室ではマスクの話などは一切していませんが、
陶芸を教えててもなかなか覚えてくれない年代の生徒さんたちに
マスクの要否を話しても「無駄だろな」と感じています。
国民の多くが同じような感じではないでしょうかね。
ただ、教室で教えてても理解の早い女生徒さんたち数人は、
私が話した訳でもないのに、マスクを外して来て作陶をしています。
分かってる人たちも多いのです。徐々にもとに戻ってくるでしょう。
日本は牛歩の如くかも・・・。
世界の医学団体コクランが「マスクは予防効果なし」と結論を出しましたね。
マスクの旗振りをしてきたメディアはこういうニュースを流さないですね。
お医者さんや製薬会社などは引き続きマスクを擁護する発信を
続けて行くでしょうから、正常に戻るまでには時間がかかるでしょうが、
正しいと思われることを、正論を発信し続けて行きましょう。
「マスクは用を成さないから外せ」と昔のように言えるとよいのですがね。
風になびく人たちが大半ですからマイノリティではないですよ。
風になびく人たちは分母の数に入りませんよ。
おかしいと思ってる人の方が多いと思いますが口に出せないだけです。
なお、以前に載せられた別件の記事では少し相異を感じていましたので、
この機会にその記事にもコメントをさせてもらいます。悪しからず。
マスクはしたい人がすればいいし、僕もコロナ前は花粉の時期や、冷たい空気から喉を守りたいときなどすることはありましたが、このところは意地でもしないあまのじゃくでした。
早く平時に戻って、マスクをしてもコロナ対策と思われなくなることを願っています。