毛唐もすなるブログといふものを

日本男児もしてみむとてするなり

首相の國参拝に関する主要紙社説

2005-10-19 00:32:26 | 國神社・政界再編
※ 首相靖国参拝 例大祭にしたのは適切だ《産経》

※ 靖国参拝 負の遺産が残った《アサヒ》

※ 首相靖国参 もっと丁寧に内外に説明を《讀賣》

※ 靖国参拝 中韓の反発が国益なのか《毎日》

※ これが「適切に判断」した結果なのか《日経》

まずわたしの意見は、「天皇、三権の長、その他日本国の枢要な地位にある者は、國神社、護国神社等に参拝するのが当たり前で、参拝しない方がどうかしている」です。

各社の社説を読んでみて、産経が論旨明快です。確かに、近代日本国家建設に殉じた方々をお祭りするという國神社の性質からすれば、例大祭こそが首相の参拝の時期として相応しいといえるからです。首相の参拝が年一度だとするならば、大東亜戦争だけを殊更強調する8月15日より適切といえます。もっとも年に一度しか参拝しないという前提自体に問題がありますが。

逆に一番論旨不明なのが讀賣です。社説といいながら社の意見を読み取ることが出来ません。國神社公式参拝を一度で中止し悪しき前例を残した中曽根大勲位の盟友が主筆を務める新聞社ですから、言いたいことも言えず苦しんでいるのでしょうか。しかし、そんなアホな理由でこの問題について言いたいことも言えないとは大勲位の公私混同に大新聞社が個人的友情から手を貸しているわけで、恥ずかしい行いであることは間違いありません。

さて、アサヒですが、なかなか読ませるものがありました。國、大東亜戦争の評価を巡る宣伝戦が今現在も世界で行われていることを明確に書いているからです。なるほど、もっともな指摘です。ならば我々はその宣伝戦に勝ち抜かねばならないはずです。アサヒは国内の意見が割れていると書きますが、戦後何十年も大東亜戦争を悪しきざまに言い続けたにも関わらず、國参拝の否定が多数意見にならなかったことは、日本人が恥を知る民族だということの証であり、参拝否定の敗北を意味するはずです。

もっとも、「国益」という言葉を避けたのはアサヒの進歩です。「國参拝が国益を損なう」という曖昧模糊とした物言いは戦後60年を経て最早通用力がなくなったことは明らかだからです。それは今やサヨクコミュニティーの中でしか通用しないでしょう。国益という言葉を単なる経済的利害に矮小化して通用させようとする試みも、少なくとも大東亜戦争などとの関わりの脈絡の中では明らかに失敗しつつあります。そうにもかかわらず、この「国益」という陳腐な言葉で社説を書いたのが毎日であり日経です。著しくクオリティーの低い社説でした。

2 コメント

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ブログを拝見して (通りすがり人)
2005-10-19 05:43:41
非常に勉強をなさっており、頭の下がる思いです。

ただ、メッセージ全体が好悪を前提とした「批判のための批判」となっており、また、「バカ」「サヨク」「当然」など感情が先走ってしまっていて、異なる意見を持つ方へ耳を貸さない姿勢には残念に思いました。

「日本男児=右翼」では寂しすぎます。
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そうですか (pochisensei)
2005-10-20 01:02:02
通りすがりのご意見ありがとうございます

まず申し上げておきますがわたしは右翼ではありません。

批判のための批判という表現は色々なところで安易に使われる表現ですが、度を越さなければよいとわたしは思います。なぜならば、わたしの価値判断がその根底にあるからです。
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