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国内人権機構:人権の促進と擁護のための国内機構の設立と強化に関するハンドブック3

2005-05-22 00:00:00 | 人権擁護法案
※「国内人権機構:人権の促進と擁護のための国内機構の設立と強化に関するハンドブック」について《外務省HP》

※「諸外国の国内人権機構等一覧」《外務省HP》

※「各国の国内人権機関の設置状況一覧」《人権フォーラム21HP》

ハンドブックの続きです。
(5)  侵害に対する救済
    (a)  勧告権限
      ・  勧告は,政府機関や公務員,私人や私的団体に対してなされる
      ・  国内機構は,人権侵害を防止し,減少させる措置を講ずべきこと,慣行・手続を変更すること,謝罪,損害賠償あるいはその他の救済手続を提案できる。
    (b)  付託権限
    (c)  決定権限
       侵害前の状態に回復不可能の場合は,公けの謝罪又は損害賠償や補償の支払を命じることも救済手法とすることができる。
    (d)  強制命令権限
    (e)  決定の公表
※「人権委員会」が、個別の事案に介入することを認める場合、一定の拘束力のある決定をなしうる権能が必要となります。上記はそれを定めています。
※拘束力ある決定は、法律で明記された分野に限ってなしうることは言うまでもありません。ちなみに、「人権フォーラム21」は、人権擁護法案が救済の対象から労働問題などを除外するのがおかしいと言っています。しかし、「国内人権機構:人権の促進と擁護のための国内機構の設立と強化に関するハンドブック」(以下「ハンドブック」と略す)が他の国家機関との権限の重複を避けろと明記していることから分かるように(「ハンドブック」第2部3)、対象を絞らない方が国際的に見ればおかしいのです。このことからも端的に窺えるように、「人権フォーラム21」はすべての人権侵害問題に関する権限を「人権委員会」に集めることを目指しているようです。しかし、言うまでもなく、これは危険です。自由な国家の基本は、権力の抑制均衡にあるからです。一箇所、特に行政権に権限を集めるのが危険なことは、人類の歴史が教えるところです。それは人権保障にあっても同様のはずで、「人権委員会」は行政機関であることは疑いようがありません。サヨクは歴史に学ばないということが、こういうところにも現れています。
※「ハンドブック」の検討に入ります。(a)を読めば、私人間の人権侵害事案にも「人権委員会」が介入できることを再度確認できます。ただし、通説的な憲法論からすれば、ここでいう「私人」は社会的影響力が一定程度以上のものを指すということになるはずです。「国家権力類似の社会権力からの人権保障」が、現在この分野における人権保障の主要テーマであり、私人間に憲法の人権条項を直接適用する(に等しい)ことについては、消極的な考え方が一般だからです(極左を除く)。つまり、私人間に人権規定の効力を直接的に及ぼす場合のポイントは「力関係が対等か非対等か」ということになります。
※アメリカなどの他国で、「人権委員会」を通じて私人間の個別的人権侵害事案に国家が介入するのは、例えば「雇用機会均等」に関する事案など、「力関係が非対等な私人間」における人権侵害に限られるのが一般なのも、そういう事情からです。一足飛びに私人間における人権侵害一般について、憲法の人権規定を適用することには慎重なのです。なぜか。それは、私的自治が自由な社会の基礎にあるという観念が強固にあるからです。そういう観念の薄い日本で、サヨクが人権擁護法案を通そうと蠢くのは、ある意味当然かもしれません。
※更に、アメリカの例を追加します。アメリカの「公民権法」を執行する米国司法省公民権局は、犯罪捜査の場合は通常の司法手続きを経て強制権限を行使しますが、民事(行政)手続きで強制権限の行使は認められていません。他の人権機関も同様です(前出外務省HPの「一覧」の一番上)。これは、「表現の自由」の保障と関係があります。司法抑制を経ない行政権による強制手続きは、「表現の自由」に対する萎縮効果を生じるおそれが強いからです。表現の自由を中核とする精神的自由権の強力に保護するという「二重の基準論」が採用される米国連邦最高裁で、行政権による司法抑制(令状)なしの強制権限は違憲とされる可能性が高いからです。
※(b)の付託権限とは、他の国家機関に移送することです。
※(c)については、アメリカの「雇用機会均等委員会」(前出の外務省HPの「一覧」の上から三番目)の例にあるように、一般的に行われている救済手段のようです。ただし、あくまで「力関係が非対等な私人間の事案」に主眼が置かれていることに注目しておく必要があります。一方、人種問題などでは、必ずしも力関係が非対等でなくとも委員会が介入するようです。しかし、この場合、強制権限の行使には裁判所の令状が必要とされています。結局アメリカの制度は、力関係が非対等な場合は委員会に一定の強制権限が付与されるが、必ずしも非対等でない場合は、法治国家の原則に返って裁判所を通じて強制するということのようです。
※また、英国やカナダでは、私人間における力関係が対等・非対等を問わず、強制権限を行使する場合は、法治国家の原則通り裁判所を通じなければならないようです。やはり、裁判所を通じない強制権限の行使は「表現の自由」との関係で問題だと認識されているからだとわたしは推測します。
※以上、個別救済にどちらかと言えば積極的な英米法系の国々の強制権限に関する状況を概観しました。欧州大陸法系の諸国は概して個別救済には消極的ですから(フランスは個別救済を認めないし、ドイツにはパリ原則に基づく機関がないらしい)、いわずもがなです。これを日本の「人権擁護法案」と比べると、いかに日本の状況が異常かが分かるかと思います。まさに「人権後進国」です。
※なお念のため、わたしは、日本の監獄をはじめとする刑事司法のあり方は改善する必要があると考えていることを付言しておきます。
※(d)(e)に関しては重複となるので省略します。(続く)