Plentiful Fruits

Life is changing... always.

おかえり、甥っ子ちゃん。

2011-04-05 23:48:08 | Daily Life
 週末についに妹と甥っ子が釜石から戻ってきました。
 乳幼児2人を1人で飛行機に乗せて帰ってくるのは難しいので、母も付き添いでやってきました。

 2歳の甥っ子ちゃんは、本当によくしゃべるようになってました。
 すっかりお兄ちゃんになっていたのが微笑ましい
 実家の方で自衛隊のヘリやらなんやら、普段滅多に見ることのない「のりもの」をたくさん見る中で、「自衛隊」という言葉も覚えたようで、飛行機に乗るときも「じえいたいのひこうき」と連呼していたそうです。

 生後2ヶ月の甥っ子ちゃんも元気そうでした。
 ただ、停電していた間お風呂に入れず、肌にポツポツと赤いのが出てきたりしたみたいで、今も肌がちょっと荒れているのがかわいそうでした。早く良くなるといいね。


 うちの祖父母は、実はかなり危険ゾーンにいたようです。
 国道45号線(海沿いの道)を車で走っていて、ちょうど大船渡に入る手前で地震に遭ったのだそうです。
 そこで引き返したのが幸運で、もしもそのまま大船渡、陸前高田を経由して一関に向かおうとしていたら・・・悲劇は避けられなかったかもしれません。
 引き返す途中、吉浜のあたりで津波を見たと言います。
 何かのタイミングで時間が少しでもずれていたら・・・と思うと、背筋が凍ります。
 結局、平田まで引き返したところで親戚宅に身を寄せ、そこから先は通行止めで車が通れる状態ではなかったので、翌日、山道や線路を伝って歩いて自宅まで帰ってきたそうです。
 あの距離を・・・!
(ローカル地名連発で失礼)

 平日の午後、あのくらいの時間だと、両親とも家(会社も同じ建物)を離れていてもおかしくなかったのに、たまたま家の中にいたというのも幸いでした。


 母は土曜の夕方のフライトで東京に来て、翌日の深夜バスに乗って慌しく帰っていきました。

 我が家の家業は電気工事屋です。
 父は地震当日その日から、あちこちからお呼びがかかって休みなく働いているようです。
 当面の復旧作業、そしてこれからの復興に向けて、忙しい日々が続くことは間違いないでしょう。

 ブルーカラー最強。
 うちのお父さんはやっぱりかっこいい。
 これほど家業を誇りに思ったこともありません。
 頑張れ。体を壊さないようにね。


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