音楽評論家の佐藤英輔さんが、映画「ベンダ・ビリリ!~もう一つのキンシャサの奇跡」のレビューを書いて下さいました!
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某出版社で夏のフェスについての座談会をやったあと、一杯ひっかけ、この9月に公開される音楽ドキュメンタリー映画の試写に。渋谷・イメージフォーラム、夜9時すぎの始まりなので、赤い顔していっても問題ない。今年のカンヌ音楽祭にも出品され、話題を呼んでもいる作品だ。
主役となるのはコンゴ(旧ザイール。リンガラ音楽を生むなど、アフリカの名だたる音楽豊穣国ですね)の主都キンシャサの、ストリート・バンド。練習場所は、騒音から逃れられるキンシャサ動物園だったりする。リーダーをはじめ多くは小児まひにかかり下半身付随となってしまった人たち(発病時に満足な治療を受けられなかったためであろう、それは劣悪な環境を指し示す。障害を持つ人の数は少なくないようで、映画ではそうした人たちによるボール・ゲームの様が紹介されたりも)で、彼らは自転車を改造したろう手漕ぎの車いすに乗っていて、祖末なギターだったり手作りの楽器を手にし、思うままブチかましていた。で、たまたま撮影で同地にやってきたフランス人がその存在を知って、彼らを追いかけることを決意。04年から09年に渡る、メンバーの日々の生活やメンバー間のやり取り、練習の様子、レコーディング、喝采を持って迎えられた欧州ツアーなどが、なんの細工もなく、そこには並べられている。
なるほど、もう見所満載。見る人によって、いろんなポイントで感動したり、考えたくなったり、身につまされたり、喝采をさけんだりできちゃう映画だろう。なんか、自分のなかにあるページを一杯めくった気分になっちゃったりもしたな。
アイランド・レコードがレゲエを売り出そうとしてジミー・クリフ(2004年9月5日、2006年8月19日)を主役に据えてジャマイカの状況紹介も絡めて作った72年作「ハーダー・ゼイ・カム」から、ライ・クーダーを案内役にキューバ音楽の豊穣さにスポットを当てて担い手たちの世界進出も促したヴィム・ヴェンダース監督の「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(2001年2月9日)まで。音楽好きの人なら、これをそうした傑作音楽映画の系譜に並べたくなるかもしれない。だが、ここには名のある企業も映画監督もミュージシャンも関わっていない。あまり持っていない者が自然発生的音楽的所作に突き動かされ、突っ走った末の掛け替えのない“黄金”がここには収められている。だからこそ本当に作為なく、彼らの天然的行為は哲学に昇華し、必然の結果はアートに転化し、本能に支えられた行為は粋にすり替わる。わあ!
影も光もあるが、細かくは触れない。見れば、判る。だが、素直に収められた、別の大陸に住む人たちの所作やキャラクターが、どうしてこうも魅力的に感じられるのか。ラテンやジェイムズ・ブラウンまでをも飲み込む素朴な手作り音楽が、なぜに爽快きわまりなく、また滋味ににあふれまくるのか。そんな彼らは、その音楽や怒濤のライヴ・パフォーマンスは、勝手にぼくたちの中に入り込み、あちこちをノックし、ぼくたちのなかにあるセンサーを刺激しまくり、思いや想像力を爆発させる。
音楽のことについて、一つだけ触れておこう。演奏される場面では歌詞の訳が載せられるが、普段歌詞なんかどうでもいいじゃねえかと暴言を吐くぼくはその歌詞にぶっとんだ。台詞やト書きがなくても、彼らの生活や心情を素直に言葉に置き換えたそれらさえあれば、その境遇や考えは鮮やかに伝わってしまう。見事、すぎる。歌詞なんて、身の回りの事、感じた事を作為なしに書けばいいのだ。それで自分の世界が語れないのなら、人をひきつけることができないのなら、本当に無味乾燥な生活を送っているということだ。その歌詞にふれて、啓発を受ける同業者は多数なのではないか。
雄弁にして、スリリング。世の中にはいろんなところがあり、様々な流儀があり、多様な喜怒哀楽があり、神が書いた気まぐれなストーリーがあり。そして、だからこそ、見る者は人間って捨てたもんじゃないな、人の営みって面白いなと、思わずにはいられないだろう。ああ、DIY の素敵……。頭のなかの常識や澱をさあーと吹き飛ばし、心の洗濯や磨き込みを促すこの映画に、ぼくは頭を垂れる。
佐藤英輔のライブ三昧より引用
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某出版社で夏のフェスについての座談会をやったあと、一杯ひっかけ、この9月に公開される音楽ドキュメンタリー映画の試写に。渋谷・イメージフォーラム、夜9時すぎの始まりなので、赤い顔していっても問題ない。今年のカンヌ音楽祭にも出品され、話題を呼んでもいる作品だ。
主役となるのはコンゴ(旧ザイール。リンガラ音楽を生むなど、アフリカの名だたる音楽豊穣国ですね)の主都キンシャサの、ストリート・バンド。練習場所は、騒音から逃れられるキンシャサ動物園だったりする。リーダーをはじめ多くは小児まひにかかり下半身付随となってしまった人たち(発病時に満足な治療を受けられなかったためであろう、それは劣悪な環境を指し示す。障害を持つ人の数は少なくないようで、映画ではそうした人たちによるボール・ゲームの様が紹介されたりも)で、彼らは自転車を改造したろう手漕ぎの車いすに乗っていて、祖末なギターだったり手作りの楽器を手にし、思うままブチかましていた。で、たまたま撮影で同地にやってきたフランス人がその存在を知って、彼らを追いかけることを決意。04年から09年に渡る、メンバーの日々の生活やメンバー間のやり取り、練習の様子、レコーディング、喝采を持って迎えられた欧州ツアーなどが、なんの細工もなく、そこには並べられている。
なるほど、もう見所満載。見る人によって、いろんなポイントで感動したり、考えたくなったり、身につまされたり、喝采をさけんだりできちゃう映画だろう。なんか、自分のなかにあるページを一杯めくった気分になっちゃったりもしたな。
アイランド・レコードがレゲエを売り出そうとしてジミー・クリフ(2004年9月5日、2006年8月19日)を主役に据えてジャマイカの状況紹介も絡めて作った72年作「ハーダー・ゼイ・カム」から、ライ・クーダーを案内役にキューバ音楽の豊穣さにスポットを当てて担い手たちの世界進出も促したヴィム・ヴェンダース監督の「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(2001年2月9日)まで。音楽好きの人なら、これをそうした傑作音楽映画の系譜に並べたくなるかもしれない。だが、ここには名のある企業も映画監督もミュージシャンも関わっていない。あまり持っていない者が自然発生的音楽的所作に突き動かされ、突っ走った末の掛け替えのない“黄金”がここには収められている。だからこそ本当に作為なく、彼らの天然的行為は哲学に昇華し、必然の結果はアートに転化し、本能に支えられた行為は粋にすり替わる。わあ!
影も光もあるが、細かくは触れない。見れば、判る。だが、素直に収められた、別の大陸に住む人たちの所作やキャラクターが、どうしてこうも魅力的に感じられるのか。ラテンやジェイムズ・ブラウンまでをも飲み込む素朴な手作り音楽が、なぜに爽快きわまりなく、また滋味ににあふれまくるのか。そんな彼らは、その音楽や怒濤のライヴ・パフォーマンスは、勝手にぼくたちの中に入り込み、あちこちをノックし、ぼくたちのなかにあるセンサーを刺激しまくり、思いや想像力を爆発させる。
音楽のことについて、一つだけ触れておこう。演奏される場面では歌詞の訳が載せられるが、普段歌詞なんかどうでもいいじゃねえかと暴言を吐くぼくはその歌詞にぶっとんだ。台詞やト書きがなくても、彼らの生活や心情を素直に言葉に置き換えたそれらさえあれば、その境遇や考えは鮮やかに伝わってしまう。見事、すぎる。歌詞なんて、身の回りの事、感じた事を作為なしに書けばいいのだ。それで自分の世界が語れないのなら、人をひきつけることができないのなら、本当に無味乾燥な生活を送っているということだ。その歌詞にふれて、啓発を受ける同業者は多数なのではないか。
雄弁にして、スリリング。世の中にはいろんなところがあり、様々な流儀があり、多様な喜怒哀楽があり、神が書いた気まぐれなストーリーがあり。そして、だからこそ、見る者は人間って捨てたもんじゃないな、人の営みって面白いなと、思わずにはいられないだろう。ああ、DIY の素敵……。頭のなかの常識や澱をさあーと吹き飛ばし、心の洗濯や磨き込みを促すこの映画に、ぼくは頭を垂れる。
佐藤英輔のライブ三昧より引用
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