おだにゃら記

地元小田原市中心のフィールドワーク備忘録。
歴史、神社仏閣、あとはいろいろ。


荒久をあるく

2021年07月11日 23時01分00秒 | 小田原のいろいろ
ふと海を見たくなり早川港に行った。


長雨で増水した早川でくつろぐサギ達


早川港は増設?工事の真っ最中。警備員がいて入れない箇所多く、釣り人が何人かいたこの辺りでようやく海の近くに出れた。

この足元は以前は海だった。港の形が変わってる。小田原ちょうちんの灯台が近くなってる。

港の海がつまらないので荒久(あらく)を歩くことにした。
私はかつて小田原城三の丸にあった産院で生まれ、3歳か4歳まで荒久に住んでいた。
引っ越した後も荒久の知人宅に遊びに通っていたので市内でもとりわけ思い入れが深い土地だ。
道いっぱいに干された魚網の臭いや砂に足をとられた広い砂浜、登山の真似をして登った土塁跡、荒久を通るとそんな失われた光景がわりと鮮明に浮かぶ。


半世紀前と変わらないこの階段


階段の先にある小さな細長い公園。
南町なぎさ公園という名は最近ついたのだと思う。昔は名前なんかなかった。


この公園は小田原藩の台場の一部だった。
台場はほとんど消滅したけれど、ここはほんの少し面影が感じられる。



もちろん昔は西湘バイパスはなく、公園から海岸が広く見渡せた。
現在はバイパスの工事中だとかで海岸に降りることさえできない。


またまた全く変わってない階段


和多利稲荷という小さな神社。
「わたり」という名の神社は色々な当て字でたまに見るけど、神奈川近辺では少ない気がする。


訪れたのは3年ぶりくらい。境内に人工芝が敷かれていて驚いた。雨の日も滑らなくていいかも。


なんだろう?この石?



お社は海岸(南)を向いてるので道路から見るとこんな感じ。
この石垣は小田原城総構の土塁の名残りと言われている。
荒久の海岸沿いの道には総構の遺構だと考えられてる箇所がいくつかある。
私の住んでいた家の前にも土塁があって、子供達の良い遊び場になっていた。


右手を流れてるのは小田原用水。
塀に囲まれているのは建築家横河民輔の別荘だったところで、この屋敷も総構の跡とされている。


横河氏の別荘跡から鍵の手に2回曲がる道。
ここも土塁跡。


曲がった左手は大蓮寺。
小田原城落城後に切腹を命じられた大道寺政繁の母親による中興開基。



小田原七福神の福禄寿様がいる。


不思議な閻魔様と五輪塔


おだやかな法然上人


大蓮寺向かいの細道からようやく海岸に出れた。でもここは荒久海岸ではなく御幸の浜だ。昔のように荒久の浜に気軽に出ることはもうできないのだろうか。

小石がゴロゴロしてて歩きにくいので散歩には向かない。


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