ぴらにあの写真館 in 伊豆大島→都会へ(新・日記帳)

8年間の伊豆大島生活から都会へ移住しました…
旧日記帳(ODNまいぺーじの思い出)は、BOOK MARKよりどうぞ!

最新鋭のA350に乗って、指宿の砂蒸し温泉に入りに行くぞの旅!(4日目)

2020-04-09 22:32:03 | おでかけ(国内)
*45年前に泊まった鹿児島のホテルはどこにあったのでしょう・・・の巻!

 せっかく火の国九州に来たんだから指宿以外の温泉(霧島とか)にも入って福岡に戻りたいんですけどね、生憎の大雨なんですよ。こんな天気で調子こいてレンタカーのノーマルタイヤで山になんか上がって、雪で遭難したらみんなの笑いものですからね、大人しく鹿児島市内の観光にチェンジですよ(それもまたよし)。で、ひとつ行きたかったのが小学校1年生の時に泊まったホテルの場所なんですよ。このホテルは鹿児島本線の線路沿いで、城山の下を通るトンネルの近くに建ってたという記憶。トンネルを出入りする寝台特急や貨物列車(当時はまだSLがフツーに走ってました)がお風呂の窓からよく見えて好きだったんですよね。確か、夏休みの絵日記の宿題はこのトンネルに入る特急の絵を描いて出しました・・・

 結局、ホテルの建物は見つけられませんでしたが、だいたいの場所は特定できました。帰ってきてからおばぁに「西郷さんの最期の場所の近く?」と聞いてみると、「そうだけどナニ?」みたいな感じ。だったら行ってるときに説明して欲しいじゃあ~りませんか。でも、おじぃもおばぁもいつもこんな感じ。高知も、京都や奈良も、萩も、津和野も、伊勢神宮も、北海道もロッキード・トライスターで行きましたけどね、そこがどんな場所なのか説明が全く無~い!。ゆかりのある人の説明も無~い!。もっと言えばご当地の名物もほとんど食わしてくれな~い!。まぁ、色々な所に連れて行ってもらったことについては感謝しております・・・


【市電の一日乗車券でホテルのあったと思われる場所を目指します。途中、立派な石垣に囲まれている公務員住宅みたいな建物があったんですけど、後で調べてみると私学校(西郷さんの作った学校)の跡でした。もっとよく見ておくんだった・・・】


【鹿児島本線の踏切を渡ると西郷さんの最期の地があります。城山の洞窟を出て銃弾に撃たれた西郷さんは、ここで晋どん(別府晋介)に介錯されて亡くなったそうです・・・】


【地図によるとこの付近に数多くの西南戦争ゆかりの地があるようです。ちなみに西郷さんの首が持ち去られてしまったため、新政府軍は西郷さんの下半身の特徴(西郷さんはフィラリアに感染していた)によって本人と確認したそうです・・・】


【西郷さん終焉の地から出てくると787系のきりしま(宮崎行き)が走ってきました。西郷さんの下半身の特徴についてはあえて書きませんが、目黒の寄生虫館にも詳しい説明がありますので・・・(馬にも乗れなかったそうです)】


【終焉の地から城山方面に歩いて行くと思い出のトンネルが見えてきました、おそらく若旦那が歩いている辺りで西郷さんは被弾したと思われます・・・】


【ホテルのすぐ近くのトンネルには「敬天愛人」のプレートがあったんですね。ちなみにホテルがあったと思われる場所には立派なマンションが建っておりました・・・】


【かな~り急な坂を登っていくと西郷さんが戦死するまでの5日間を暮らしていた洞窟があります。2つある洞窟のうち、実際に暮らしていたのは向かって右側の方だそうですが、防空壕として広げてしまったので、後に西郷さんが住んでいた洞窟と同じ大きさのを展示用に右側に掘ったそうです・・・】


【城山までバスで上がってきましたけど、どんどん雨がひどくなってきますね。歩いて下ろうと思ってたんですけど、城山観光ホテルからタクシーに乗ってしまいました。陽気な運転手さんが維新ふるさと館に到着するまで、ずーっとラーメン屋の紹介をしてくれました・・・】


【維新ふるさと館のすぐ前には西郷さんの生家がありますが、西郷さんが江戸に働きに行っている間にあまりのビンボーで嫁には逃げられ、この家を売って川の向こうに引っ越したそうです。今では少し鹿児島中央駅に近くなって便利だと思いますが、当時は武士が川の向こうに住むのはかなりの屈辱だったそうです・・・】


【さて、雨の鹿児島で冷えましたので市内の温泉に入って暖まりましょう、ここは健康ランド並の施設ですがフツーの銭湯と同じ料金でした。またひとつ移住候補先ができてしまいましたね・・・】
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする